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室瀬祐さん

PEOPLE

漆芸家・「工房 山のは」代表

室瀬祐さん

漆芸の未来は、豊かな生産地があってこそ。奥久慈の移住者が伝える漆の魅力

日本有数の漆液の産地として知られる奥久慈。その玄関口とも言える常陸大宮市内の山間に、2023年6月、東京から妻と子の4人家族で移住した漆芸家の室瀬祐(むろせ・たすく)さん。空き家だった築約150年の古民家を譲り受け、「工房 山のは」を設立。漆林の管理から蒔絵の制作まで、漆の仕事を通じて自然や人とつながり、その多様な関わりが何よりも楽しいという。そんな室瀬さんは、どんな学びと刺激のもとで作家活動に取り組んでいるのだろうか。

移住先の古民家は、少しずつ改修を進めており工房も徐々に整備しているそう。取材当日は、そんな工房の一画で話を伺った。


常陸大宮市内から車で北へ向かい、沢沿いの道を進んだ先に、やっと目的の古民家が見えてきた。山に囲まれた庭先には、柿やカリンが実り山里の風景そのものの佇まい。高台にある家の前で、室瀬さんが笑顔で迎えてくれた。

都会暮らししか知らない室瀬さんの山里への移住に対し、「周囲の人たちは心配するばかり」だったそう。それでも移住を決めたことに、どんな覚悟があったのだろうか。早速、これまで培ってきた漆芸家としての経験と今に通じる活動について尋ねてみた。

活動の中心は「研究」「制作」「発信」

第64回伝統工芸展入選作品「大手毬合子(おおでまりごうず)」は、庭で育てた大手毬の優しくも凛とした存在感をテーマに作られた。漆芸に関わり続けながら、「漆芸に関わっていて思うことは、時間軸が長いこと。作品に対しても、数百年先を見る目を持つことが大切なのです」と感じているのだそう。


祖父、父(重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝)が漆芸家の家に次男として生まれ、兄弟で漆芸の道へと進むことになったという室瀬さん。鶴見大学大学院文化財学科で、尾形光琳作『国宝・八橋蒔絵螺鈿硯箱』の復元研究で博士号を取得。卒業後も、技法・材料の研究・教育活動を続ける。

並行して、父が設立した「目白漆芸文化財研究所」で制作と修理の技術を学んだ。現在 は、蒔絵と螺鈿の作品制作に取り組んでいる 。「来春の完成に向けて制作中です」と話す手元の漆塗りの大きなパネル作品には、短冊型に切られた貝片が並べられ虹色に光り輝いていた。

これらに加えて大切にしてきたのが、発信活動だ。同研究所主宰の「目白漆學舎」では、蒔絵と金継ぎ教室の講師を務め、今も隔週で上京している。

子供から大人までを対象とする蒔絵のワークショップも行ってきた。東日本大震災の復興支援事業では、金粉を使った体験に子供たちが目を輝かせ、純粋に喜んでくれる姿が印象的だったという。

さらに、スペインの漆作家に技術講習を行うなど、漆の魅力を国内から世界にまで発信。鶴見大学では非常勤講師として、漆の技法と歴史についての講義を受け持つ。

移住後の2023年の夏には、国産漆について学ぶフィールドワークを実施。母校で学生の頃に設立した「うるし研究部会」の後輩たちを奥久慈に招き、作家や生産者と交流した。

これら「研究」「制作」「発信」という3つの活動を軽やかにこなす姿には驚くばかり。東京で漆芸家として多様な活動を行いながらも、あえて奥久慈の山里への移住を決意した背景には、どんな理由があったのだろうか。

きっかけは、「漆の木が足りない」ことへの危機感

「高品質な奥久慈漆の木を増やしたい。地元の人たちにもその価値をもっと知ってもらって、誇りにしてほしい」と熱く語る。


「移住のきっかけは、漆の木を育てないと、将来、漆の文化が無くなるという危機感からでした」

作品制作や文化財修理について学ぶなかで、原料である漆の樹液の生産状況に関心を持った。

漆はウルシノキの樹液であり、これを集める作業を「漆掻き」という。ウルシノキは、漆掻き職人の手によって樹液を採取できるようになるまでに、植えてから10年以上かかる。さらに、採取を終えた木は切り倒すので、常に新しい木を植え続けて管理しなければいけない。

しかし、今ウルシノキを育てる人は少なく、このままでは将来的に「漆掻き」の仕事が維持できないともいわれている。国産漆が生産できなくなることは、日本の漆文化の根底を揺るがす事態につながる。

「日本の漆文化を未来に繋げるために、今、動かなければ」

そんな思いから「目白漆學舎」の活動の一環として訪ねたのが、常陸大宮市の奥久慈漆生産組合だった。

同組合の協力を得て、4年前に常陸大宮市内に畑を借りてウルシノキの植栽を始めた。草刈り等の管理のために東京から通っていたが、活動を続けるうちに、現地に拠点を置くことでより深く関わりたいと感じるようになり、移住を考えるようになった。

独立を考えていたタイミングとも重なり、「奥久慈に工房を開こう」と、動き始める。

「この周辺には大学院生の頃から何度も国産漆の見学に通い、自然景観の美しさや奥久慈漆生産組合の方々の人柄に惹かれていました」

そう振り返る室瀬さん。移住前に、この地域での付き合いを深めてきたことが、地域への愛着となり、決断の後押しになったようだ。

移住先は山里の古民家。漆を愛する家主さんとの出会い

この古民家が暮らしと工房の拠点になったことで、多様な人たちとのつながりが広がっている。


いざ奥久慈で住まい探しとなると、思いのほか苦戦を強いられることに。住まいに求めていた条件は3つ。漆の文化を支える人たちが近隣に住んでいること、生活と仕事が両立できる広さがあること、漆畑の管理に使う農機具を保管する納屋があること。

最初は「独立する限りは人に頼らず、自分たちで探そう」と、県北の不動産を1年かけて探し回ったのだそう。

「空き家はたくさんあるものの、条件に合う物件はなかなか見つかりませんでした。契約寸前で白紙に戻った物件もあり、何度も挫けそうになりました」

家探しが難航し途方に暮れている中、手を差し伸べてくれたのが、お世話になっていた地元の漆仲間の方だった。空き家について相談した翌日に、この古民家を紹介されてびっくり。

「家主さんは地元の漆愛好会の会員で、漆を愛する人という巡り合わせ。不慣れな私たちにこの土地での暮らし方について丁寧に教えてくれたり、引越しの当日には地元の人たちへの挨拶回りに同行してくれたりしました。お陰様で隣近所の人たちともすぐに打ち解けることができ、子供たちもとても可愛がってもらっています」

苦労した家探しの1年は、田舎の人付き合いの大切さを知るためにも必要な時間だったようだ。

奥久慈の自然や人に学ぶ、良質な漆の魅力と繊細さ

地元産漆を含ませた蒔絵筆を使い、蒔絵の技法を説明してくれた。


引越しを終えるとすぐに「奥久慈漆生産組合」に加入。「苗木研究会」にも誘ってもらい、地元の専門家から苗木の育成について教わっている。

活動を通して、漆の性質を見極めるために実際に土に触れ、木を育てることの必要性を学ぶ。漆畑の管理や漆掻きの技術が樹液の量や質に大きく影響することは、知識として知っていたが、現場に身を置くことでしか分からないことがたくさんある、と気づかされたという。

室瀬さんは、学びを次のように振り返る。

「漆の質や採取量を確保するために、膨大な試行錯誤と繊細な管理が大切だということ、また奥久慈の生産者の方々がその仕事に類稀なる情熱を注いでいることが、深く理解できるようになりました」

また、漆を使う作家という立場でも、奥久慈漆の持つ特徴を体感しつつある。

「国産漆の固まり方は、温湿度の影響を大きく受けます。素材の力を最大限引き出すのが、作家の仕事。特に奥久慈漆の樹液は、温湿度に対する感度が高い。質のいい奥久慈漆があれば、透明度を生かして、繊細で微妙な蒔絵の表現が可能になります」

産地に身を置き、漆に真摯に向き合うことで、少しずつ手応えを感じつつあるようだ。

繊細な技法で華麗な装飾を施す蒔絵の作品は、ことのほか時間がかかる。その工程をスムーズに進めるため、作家は漆が固まる温湿度には、とりわけ敏感でなければならない。

「その生物としての漆の特性を実感できるようになったのも、ここに住み、漆を植え育てる人たちの仲間に入れてもらえたから」と、生産者への感謝を語る。

東京では漆芸の歴史や制作・修理の技法等をアカデミックな場で学んできたが、ここ奥久慈では、自然や漆に関わる人たちが先生。「地元の名人が経験から語る話は、科学よりも的を射ていることがある」と、自然にも人にも畏敬の念を持つ。

奥久慈漆の可能性を模索する室瀬さんの姿勢は、純粋で前向き。地域に飛び込み、身体的な体験から得た学びは、さらに高みへと向かっていた。

奥久慈は、必要な情報がもたらされる場所

自然環境が豊かな奥久慈は、多くの潜在的魅力を秘めている。


東京から暮らしの拠点を移した者として、また、地域に根付き作家活動を続けていく者として、こんな気持ちを語ってくれた。

「奥久慈と東京は車で2時間余りで行き来できる、ちょうど良い距離感だと思います。都会との接点は必要ですが、そこに住むだけが選択肢ではありません。東京にいたときは情報が氾濫していて、自分を見失いそうになることもありました。奥久慈にいるとその分野に興味や関心のある人が集まって、自然に得るべき情報の共有や交換ができます。見えるものがシンプルになり、自分のすべきことがはっきりとしてきました。感性を磨き、創造性を高めていける、魅力的な地域だと思います」

生産地から、漆文化に新たな流れを

最近は制作の仕事に集中する時間が増え、活動の焦点が定まってきたという。

「これまで漆芸作品の制作に関わって来られたのは、根っこを守っている漆の生産地があったからこそ。これからは、ウルシノキを植え、育てている上流域も含めた新たな経済の仕組みが重要だと思っています。そのためにも、作品制作をはじめ、奥久慈から漆の魅力を発信できる活動を行っていきたいです」

そんな熱い想いを胸に、新たな夢を追いかけているところだ。

「JR水郡線の常陸大宮駅舎改築にともなって、駅周辺の街づくりが進んでいますが、常陸大宮は様々な自然素材の宝庫でもあります。駅周辺の開発と連携しながら、山の中でも面白いことが起きていると発信したいですね」

「工房 山のは」の「山のは」とは、山の稜線、すなわち山と空が接する場所のこと。漆を通じて、生産者と作家、地方と都市などの「接点」に身を置き、ゆるやかにつないで行けたらと願っている。

PROFILE

PEOPLE

室瀬 祐さん
http://tasukumurose.com/

1985年、漆芸家・室瀬和美の次男として生まれる。慶應義塾大学環境情報学部卒業、鶴見大学大学院文学研究科文化財学専攻にて文化財学博士号取得。制作・修復活動と並行し、国内外における漆工文化財の材料・技法研究および教育活動を行う。2023年6月、国内有数の漆産地である茨城県奥久慈地方に移住し「工房 山のは」を開設。

INTERVIEWER

斎藤和子

フリーライター。これまで県内の伝統工芸や郷土料理の取材、水郡線の情報誌の制作やグリーンツー リズムの企画提案などを行い、奥久慈の食文化を紹介した「いばらき奥久慈すたいる」を発行。2017 年から地元新聞に食に関する「里山里海ふうど」を5年間連載しました。現在も自然に寄り添った里山 里海の食文化をライフワークとしています。

Photo:佐野匠(つくば市)