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茨城のヒト・コト・バ PEOPLE, THINGS, SPOTS OF IBARAKI
染色作家
佐川麻穂さん
染色工房「安穏」 暮らしと創作がひとつながりになる場所
茨城県の、海側の最北端に位置する北茨城市は、雄大な太平洋と山景に彩られた自然豊かな街。岡倉天心や野口雨情などの著名な作家を輩出するなど、数々の文化人を魅了してきた地域だ。
染色工房「安穏」を構える染色家・佐川麻穂(さがわ・まほ)さんも、この土地に惹かれている作家の一人。草木染を中心とした佐川さんの創作活動は、季節ごとの自然の恵みを活用する、里山の暮らしそのものでもある。
今回は、自然と暮らしが和やかに交わるアトリエで、活動拠点である北茨城市での、作品作りにまつわるお話を伺った。
県北地域で染色作家としての一歩を踏み出す
佐川さんは、東京の呉服会社で経験を積んだ後、故郷・高萩市に戻って染色作家としての活動をスタートした。
通常、友禅などの着物は、細分化された分業制のもとで作られている。図案の作成や下絵描き・糊置(のりおき。染め工程の下準備)など、それぞれの工程ごとに分担し、一つの反物を仕上げるためにたくさんの職人が関わるのが特徴だ。
一方で、佐川さんが学んだ染色の専門学校では、反物ができるまでのすべての工程を一人でできるよう、幅広い染色技術を教えていた。自分一人で反物を仕上げられる技術が身についていたことと、その身軽さに惹かれて、佐川さんは染色家になる道を選んだ。
「染色作家の制作は、自分のイメージを形にしていくこと。そこが、職人仕事との大きな違いだと思っています。自分が目指す作品のためには、セオリーから意図的に外れることもありますし、作家によって十人十色のやり方や考え方があると思います。より自由度があるからこそ、学生・社会人時代に得たデザインスキルや技法を使って、自分だけの作品作りを試みていきたいと思いました」
独立後、しばらくは地元の高萩市内で活動していた佐川さん。結婚を機に現在の拠点である北茨城市の自宅へ拠点を移した。染色工房「安穏」は、佐川さんの自宅であり、アトリエであり、染色体験ができる教室でもある。元々は夫の実家でありながら、敷地内には蔵を改装した作品展示スペースがあるなど、創作活動を充実させている拠点だ。佐川さんは「安穏」で約20年ほど前から創作を行ってきた。
自然と一体になった、自分らしい創作活動
独立以前は、着物の友禅染やろうけつ染めで使用される化学染料も使っていたが、Uターン後は植物染料にシフト。草木染を中心に創作することによって、地の利を活かした創作活動になったという。
「人生で初めて物を染めたのは、中学校の家庭科の授業で藍染めをした時。その原体験から、私にとって染色とは、家庭科の延長であり、台所を使ってできる暮らしの一部です。特別な道具や材料がなくても、工夫次第で草木染を楽しむことができます。だからこそ、私自身の作品や教室でも『暮らしを彩る染色』ということを、ひとつのテーマとしています」
「知っている人しか来られない、偶然辿り着くのは難しいです」と、佐川さんが語るように、「安穏」は、丁寧に手入れされた美しい庭と里山にすっぽりと包まれている。染色の材料には、アトリエ周辺で採集した植物などを使用しているそうだ。
「草木染の魅力は、飾った後の草木や可食部以外の作物の葉や皮まで、染料として使えること。暮らしの副産物を材料に染色し、自分で染め上げた布をまとって暮らす。暮らしと染色が途切れることなく、ぐるぐると循環した作品作りを心がけています」
佐川さんの作品には、主に自身の心象風景が投影されている。木や葉、空などの自然から切り取ったモチーフが多用され、佐川さんの創作活動を里山での暮らしと切り離して語ることはできない。
また、北茨城市に移り住んでからは、「県北地域の作家さんとの繋がりができたことで制作の幅が広がりました」と語る佐川さん。
たとえば、地域のNPO活動や体験教室で講師をしたときの縁から、天然記念物の御神木「爺杉」(高萩市安良川八幡宮の境内にある)の木屑を使った染色を行っている。また、栗の産地として有名な笠間市の栗の鬼皮を使ったオリジナル半被の制作も、作家活動の縁から生まれた依頼だったという。
「県北地域では、自然素材の調達と広い制作スペースの確保が可能なため、陶芸家や和紙作家、漆芸家など、多くの作家さんたちが制作拠点を構えています。制作分野を横断した作家同士の交流があることで、作品の感想をもらったり、逆に作品を拝見することで刺激をもらったりしています。またお互いに情報交換する中で、共同での作品発表の機会につながっています」
アトリエでの体験教室は、”選手生命”を支えたライフワーク
自身の創作活動以外にも、佐川さんとって大切なライフワークがある。それは、Uターンして以来、20年以上にわたって続けてきた染色教室だ。染色教室は、「染色を身近に感じてほしい」という自身の思いを体現するものでもあり、孤独に創作活動をしていた佐川さんに染め仲間ができた大切な活動となった。
「茨城県に戻ってきて、相談できる作家も、教えてくれる師匠もいなかった私には、教室の生徒さんたちが一緒に染色ができる唯一の仲間でした。三児の子育てで忙しいときにも、決して制作活動を止めずにいられたのは、教室があったからです。一度活動を休止してしまったら、復帰するのは容易ではないとわかっていましたが、教室を楽しみに待ってくれている生徒さんがいなければ、やはり継続するのは難しかったかもしれません。だからこそ、どんなに忙しい時でも、家族の手を借りながら教室を続けました。教室の存在が要になって、これまで染色家として長く続けてこられたのだと思います」
染色教室は子育て中も、コロナ禍でも休止することなく今も継続中だ。教室では、基本的な手順や方法は紹介するものの、「気軽に染色を楽しんでほしい」と伝えているそうだ。
「私自身、制作中の作品を失敗だと投げ出すことはことはありません。あるゴールを目指して制作していたとしても、途中でゴールが変わっても良い。思うようにできなくても失敗と捉えずに、作品として成り立たせる方法を考えながら楽しんでほしいと思っています。生徒さんには、予想外の仕上がりのところも生かすような工夫をお伝えしていければ良いなと思っています」
作家生活を通じて、継続する才能を体現する
佐川さんが大事にしていることに「続けられることも才能の一つ」という恩師の言葉がある。学生時代、漠然と「自分には才能がないのではないか」という思いが佐川さんの頭をよぎった時に贈られた言葉だ。
「続けることなら私にもできると思いました」と柔らかく微笑む佐川さんだが、実際に30年近く染色家としての活動を続ける姿から、たしかな覚悟と矜持を感じる。
「私の制作活動は、続けることが根幹になっています。まずは、これからも変わらずに教室や作品発表をできる限り長く続けることを目指しています。そして私自身の作家生活を通じて、自分に特別な才能がないと感じている人にも、チャレンジしてもらえればいいなと思います。根気のいることではありますが、制作活動を継続していく中で、新鮮な発見や成果、出会いがあり、何かに繋がっていくと思います」
長い目線で自身の作家生活を見つめる佐川さん。遥か未来へ向かって、これからも直向きに創作活動を続けていく。
「最近は、自分本位の作品作りというよりも、求められるものを形にする制作も多く取り組んでいます。慣れない仕事で苦戦していますが、その分出会いと学びも多くあると感じています。今後も、みなさんに染色の楽しさをお伝えするためにも、私自身が新しいことに取り組みながら、自分を研鑽していきたいと思っています」