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本間健司さん

PEOPLE

木漆 呂空居 漆芸家

本間健司さん

漆の木の命とともに生き、国産漆を次代へつなぐ

東京から常陸大宮市(山方地域)に移住して約20年。下積みを経て、昨年、工房「木漆 呂空居(モクシツ ロクウキョ)」を構え、独立した漆芸家の本間健司さん。
独立してすぐ、国際的な公募展として高い評価を得る「国際漆展・石川2020」では大賞、続く韓国「清州工芸ビエンナーレ2021」では銀賞を受賞しました。
見た目の美しさだけでなく、熱や酸などの刺激に強く、長持ちするという頑丈さを兼ね備えた日本の伝統工芸品「漆器」を制作する一方、自ら漆の木を植え、育て、その木から漆を掻く。木地づくりから塗りまで、全工程を一人で手がけているという本間さんに「漆の木の命とともに生きる」ことについて話を伺いました。
取材:2021/12/2

―はじめに、漆工芸に進まれた経緯を教えてください。

本間:東京生まれ東京育ちで、大学卒業後、石川県で3年間木地づくりや木工轆轤(ろくろ、以下:木工ろくろ)の勉強をしました。
我が家は父(本間幸夫氏、常陸大宮大使)と兄(本間重隆氏)が漆芸家だったこともあって、漆の世界が甘くないということを知っていた母は僕を漆の世界には行かせたくなかったようで「大学に行って会社員になるように」と言われていました。
体育大学に入り卒業間近に将来を考えた時、自然保護レンジャーに興味があり、(養成)学校の説明会に行ったのですが、自分には違和感があったので、家業である漆芸の道に進もうと思いました。そこで父に「親父のような作家になりたい」と相談したところ「東京でやっていくなら、自分で形がつくれないとみんなと同じものしかできないから勝負にならない」と言われ、父の勧めで父がお世話になっている木地師さんのところに修行に行くことになりました。親方にはすごく可愛がっていただき、この世界にどっぷりはまって、木地や、漆の面白さに気づいて、そのまま今に至る、という感じです。

―漆芸家として、一貫してご自身でさまざまな工程を手がけていらっしゃるということですが。

本間:通常、漆掻き・木地づくり・塗りなどの作業工程は、いわゆる分業制で、それぞれを専門の職人が手掛けて、一つの作品を完成させることが一般的ですが、僕は、4〜5反(1反=約1,000㎡)ほどの漆畑の管理をしながら、漆掻き・木地づくり、そして塗りの作業とすべての工程を行っています。漆の木の命とともにある仕事ですね。

―常陸大宮市に移住することになったきっかけは何だったのでしょうか?

本間:30年ほど前、僕が高校生の頃ですね。父は大子の漆を買っていたのですが、漆掻きの職人さんに「自分で植えないと、このままだと漆がなくなるよ。」と言われたのがきっかけで土地を探し始めました。でも東京に住んでいると縁もゆかりもなくて。当時、国道118号沿いに蕎麦粉をつかったパン屋さんがあって、そこから現在(盛金地区)の畑を紹介してもらったのがきっかけです。ご縁ですね。
その頃は父と兄が東京からの通いで管理していましたが、僕が石川県の学校を卒業する2000年に(漆)畑の近くに家を建てて常陸大宮市へ移住してきました。

―漆は1本の木ができるまでに10年かかり、一度使ったら伐採するそうですが、現在はどれくらいの広さの山を管理されているんですか?

本間:知人の代わりに管理している部分も合わせて4〜5反です。
木を植えて、育てるという部分では、さまざまな面で正直これが限界です。今は同じタイミングで独立したスタッフに草刈りはお願いしていますが、一次産業的な「木を植えて、育てる」という部分は、おそらくどこまでいっても赤字です。現在の世の中のスピードには全く対応できていないのが現状です。10年後に採れる樹液を売っても利益は少ない。元々、漆の木を植えることは農家さんが小遣い稼ぎにやっていたものなので、漆を売ってお金にしようという歴史がない。1本の漆の木からは牛乳瓶1本(約200ml)分しか樹液は採れなくて、今でも、1キロ5万5千〜6万円くらいです。

―自ら育てて、漆を掻いて、作品を制作する、となると大変な部分も多いかと思いますが、漆の魅力はどんなところだと思いますか?

本間:一番は天然素材というところですね。樹液が、最終的にはとても美しいものになる。漆を塗ることで自分が思っている以上にいいものができる、そういう部分ですね。昔から続いている伝統という部分でも良さがあります。
漆は酸とアルカリには強いのですが、紫外線に弱いという特徴があります。ただそれも天然のものだからこそ土に戻るようにできているのだと思います。
僕らも自然の一部なので、自然の木から採れたものを使うという点が僕は漆の魅力的なところだと思います。

―初心者の質問で恐縮なんですが、漆の塗り直しというのは定期的にするものなんですか?

本間:そうですね。10年くらいでリペアして、大事に使っていただければ何世代も持ちます。時々「なんで漆器はこんなに高いのですか?」と聞かれますが、まず工程数がとても多く、時間も手間もかかっています。そして何より、国産の漆は品質がよいので、値段もとても高いのです。

―質の良い国産漆で仕上げられた漆器が高価になる理由がわかりました。

本間:漆は採るのも大変、育てるのも大変で、採算が合わないからと、約30年前には、国産の漆を当時誰も使わなくなり、漆が叩き売られるような状況になっていました。そんな状況を憂えて、国産漆の良さを広めようとしている父の姿を、僕はずっと見てきました。茨城県北に良質な国産の漆があるというのはもちろんなのですが、そんな背景があって今、ここで漆と向き合っている自分があります。

―国産漆の本来の価値を取り戻そうとしているわけですね。

本間:はい。昔から国産漆の価格には乱高下があり、いっときは漆バブルで家が建ったという話もあるくらいでしたが、ここ30年は価格の低迷が続き、漆掻きという職業がますます衰退しているという状況です。ただ、この10年くらいは価格が安定しています。

―そんな状況の中で、お父様は漆芸家を続け、本間さんご自身もこの道を選び、続けてくることができたのはなぜですか?

本間:おそらく父はこの漆の文化をなくしたくないと思ったのでしょうね。
今、僕がやっている漆畑も、赤字なのですが、外注の木地制作などで補填して続けています。やはりこの漆の文化をなくしたくないからです。
「SDGs」という言葉は、個人的にはあまり好きではないのですが、自分がやっていることは「1人SDGs」なのかもしれません。漆の木を植えて、育てて、周辺の環境も含めて整備して、自然素材で作って、使い終わった木・余った木はまた自然に返す。

―まさに「漆の木の命とともに」ですね。年間ではどのようなスケジュールなんですか?

本間:だいたい1月〜3月は外注の木地を挽きつつ漆の木を植栽、4〜5月に畑の管理をしながら外注の仕事と作品制作、年によっては6〜10月にそれらに並行して漆掻きをします。11〜12月に伐採をして、展覧会などに出展する、というのが主なスケジュールです。

―作品の制作について、漆の木を使った作品が受賞されていますが、どんなところにこだわって制作しているのですか?

本間:僕が独立する数年前に開いた銀座三越での初個展の時はまだ今のスタイルではありませんでした。たまたま父の手伝いをしている時に、漆の木を割ったらその表情がすごく良くて。作品に使うきっかけになりました。
独立後あらためて考えてみた時、自分で漆の木を育て、漆を掻き、漆の木を使って作品を制作するという一連の流れに気づいて、それからは、「漆」という素材にこだわって制作するようになり、今に至ります。

―話は変わりますが、移住されて地域との関係はいかがでしたか。

本間:越してきた頃は20代だったので、近所の方は父や祖父の年代の方ばかりで可愛がってもらいました。集落の皆さんが歓迎会をしてくれたり、お花見したり。ストレスなく地域に溶け込めたような気がします。

―それは何よりですね。独立されてからすぐ、「国際漆展・石川2020」大賞、韓国「清州工芸ビエンナーレ2021」銀賞受賞、2022年12月には日本橋三越での個展も決まっているそうで、本当に素晴らしいですね。

本間:ありがとうございます。今まで続けてきたことが認められた気がしてとても嬉しいです。「国際漆展」では「目新しかった」という評価を多くいただきました。コロナ禍ということもあり、審査員の方々も「自然との調和」のようなものを意識されていたのかもしれません。

―今、生き方や暮らし方、働き方を考え直す人が増えているなと感じていて、本間さんの生き方や作品にあるような「自然への回帰」とか「自然との調和」という部分にもつながるかと思いますが、ご自身の生き方、働き方などはどう思われますか?

本間:自分としては、バランスは取れているなと思っています。自分の作品のテーマの一つに「調和」がありますが、そこも自然が多いこの地だからこそできていると感じます。何より、漆掻きのように人がやらないこと・できないことをできるこの環境は、作家やクリエイターとしては絶対にプラスだと思っています。

―今後の展望などはいかがでしょうか?

本間:産業的に復活させようとまでは思っていないのですが、漆の木を育てる人も漆掻き職人も減っているので、小規模でも必ず次の世代に渡せるようにはしたいですね。また個人的には、漆の樹液の取り方や、樹液の特徴を継承していきたいと思っていて、YUS(山方漆ソサエティ)主催の漆教室の講師もやらせていただいています。大きい産業は無理でも、小さい産地だからこそ品質にこだわることができるのは逆にチャンス。小さい産地ならではのやり方をいかすという逆転の発想ですね。
今後は作品の制作活動も、より精力的に取り組みたいです。

そんな本間さんが主宰する『木漆 呂空居 (モクシツ ロクウキョ)』では、
即戦力の木地師を募集しています。

https://kenji-honma.com/
https://www.instagram.com/kenjihonma1117/

文・写真=高木真矢子

PROFILE

PEOPLE

本間健司 -Kenji Honma-

1974年、東京都生まれ。1997年、大学卒業後、石川県山中町にて辻英芳に師事し、木工轆轤を学ぶ。石川県挽物轆轤技術研修所に入所。2000年、同所卒業後、漆工芸荻房に入り、茨城県常陸大宮市に拠点を移す。荻房奥久慈工房で漆林の植栽や育林・漆搔き・木工轆轤・塗りを手がける。2020年に独立。工房「木漆 呂空居(モクシツ ロクウキョ)」を構え、現在はその漆を作品に用いている。受賞歴は、2020年、「国際漆展・石川2020」大賞、2021年、韓国「清州工芸ビエンナーレ2021」銀賞など。