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茨城のヒト・コト・バ PEOPLE, THINGS, SPOTS OF IBARAKI
城里町地域おこし協力隊
坂本裕二さん
地域のシビックプライドを、関わってくれる人みんなと作りたい
茨城県城里町は、県庁所在地である水戸市の北西部に隣接し、一面に広がる小高い山々と、町の総面積の約6割を占める豊かな森林が特徴の街。山間の景色も魅力的だが、Jリーグに所属するサッカークラブ「水戸ホーリーホック」の練習場兼クラブハウス「城里町七会町民センター『アツマーレ』(以下、アツマーレ)」を有しているのも魅力の一つ。そんな城里町では、街づくりと農業の分野で、12人が地域おこし協力隊として従事している。
今回ご紹介する坂本裕二(さかもと・ゆうじ)さんも、その中の一人。坂本さんが協力隊として担う役割は、城里町の中で行われる様々な企画やイベントの計画が上手くまとまり実行できるよう、行政や地域の人たちと二人三脚で進めていくこと。アツマーレを利用し、町民や外部の人を巻き込んで水戸ホーリーホックを応援する企画にも取り組んでいる。
坂本さんは、ある分野のスペシャリストというよりも、色々なことに対応できるゼネラリストとして能力を発揮する方。その背景には、様々な仕事や旅の経験がある。
大学卒業後から地域おこし協力隊になるまで、ゼネコン、フットサル関連会社、デザイン事務所をはじめ様々な職場を経験。さらには、1年かけた世界一周の旅にも挑み、50か国を巡った経験もある。プライベートでは持ち前のフットワークの軽さで、興味の沸いたイベントには積極的に足を運んでいるそうだ。
変化や刺激に富んだ人生を歩み、様々な経験を積んできた坂本さん。彼が地域に根差して活動する地域おこし協力隊になったきっかけは、茨城県の企業と連携した本気の課題解決提案プログラム「if design project~茨城未来デザインプロジェクト~(以下、if design project)」に参加したこと。
プログラムの中では、水戸ホーリーホックとともにアツマーレや周辺公共施設等を活かしながらスポーツを中心とした地域活性化策を作っていく「スポーツ×地域」のチームメンバーとして参加。城里町やアツマーレ、水戸ホーリーホックと関わっていった後、当時住んでいた横浜市から城里町に移住し、2019年6月から隊員としての活動を開始した。
※if design project https://if-design-project.jp/
2019年7月現在、茨城県では約70名の協力隊が、様々な背景や思い、目標を持ち、独自のスキルやノウハウを活かして日々活動している。今回は、その中の一人である坂本さんから、ご自身の地域おこし協力隊としての取り組みや思いについて話を伺った。
行政と二人三脚で、いくつもの企画を進行させる役割
「地域でやっている色々なイベントに、ちょっとずつ足を突っ込みながら前に進める手助けをする感じ」
自身の役割についてそう語る坂本さん。
地域おこし協力隊の隊員に志願するときは、「この地域で、こういうことをやりたいです」といった具体的な目標を持って参加することが多い。もちろん、坂本さんにもその思いはあり、「アツマーレを中心に地域を盛り上げていく」という活動を考え協力隊を志望した。しかし現在は、坂本さん自身が持つ経験や人の繋がり、軽快なフットワークを活かした立ち回りが多いそうだ。
城里町では、アツマーレを中心とした市内外との交流、水戸ホーリーホックと連携した企画があるのはもちろんだが、それ以外にも様々な企画が動いている。例えば、古民家を利用した交流企画、江戸川区の子どもたちを招いた稲刈り体験、学生と連携した商品開発。映画祭、どろりんぴっく、農家とシェフが連携した野菜の試食会など。
「私の場合は、if design projectに参加したことから城里町に関わり始めました。その中で、アツマーレやそこで活動する水戸ホーリーホックの関係者ともつながることがあったので、地域おこし協力隊になるときも『アツマーレで何かできないかな?』と考えていました。でも実際に協力隊として入ってみると、『城里町には色々なイベントがあるけど、それを実行させるための人的リソースが足りていない』という状態だったんですね。なので今は、役場の人と話をしながら、二人三脚で考えつつ、企画をいくつも同時に進めていっているような感じですね」
それだけでなく、if design projectでできた仲間とともに、アツマーレを活用した企画も実施。2019年11月には水戸ホーリーホックの試合のパブリックビューイングなどを開催し、およそ140人ほどの集客を実現させ、城里町の内部と外部をつなぎ合わせる取り組みを行っている。
現在、坂本さんは、チームの雰囲気を良くすることや、城里町のシビックプライドを高めることを大切にしながら、協力隊の仕事に取り組んでいる。それは、自分で「こんなことをやりたい」と思う環境を選び、その場所に身を置き、自分自身の生活を実験のようにとらえる経験から生まれた意識でもある。
6社の仕事とバックパッカーで培ってきた経験値
大学卒業後に初めて就職したゼネコン時代。現場と先輩の板挟みに合い、心身ともにすり減らす思いを経験。強い思いをもって選んだ道というわけでもなく、10ヶ月で退職してしまった。
思考を切り替え、「この仕事をやりたい」と思い転職したフットサル関連会社では、現在でも交流の続く尊敬できる先輩に出会えた。その出会いから、「みんなを元気づけられる人ってカッコいい」「チームの雰囲気を良くしていきたい」という思いが芽生えてきたそうだ。しばらくそのフットサル場を中心としたスポーツ施設の設計・施工業務に従事していたが、残念ながら会社が解散。
しかし、これを好機ととらえた坂本さんは、バックパッカーとして世界一周の旅に出た。
「明確な目標があったわけではなく、世界を広く見たかったんです。1年で50か国行ったんですよ。普通は2、30か国ぐらいみたいなんですけど、ふたを開けたら50か国回っていました。バックパッカーをしてみて、新たな目標が見つかったとか、英語がペラペラになって帰って来たというより、自分としての行動の軸や考え方が分かって来た、という感じですね。旅をしてみて、毎日場所が変わったり、環境が変化していくのが好き、ということも分かりました」
帰国後しばらくの間、地元企業の工場で働いていたが、知り合いに旅の話を伝えたことがきっかけで、旅行会社を作ろうと決意。総合旅行業務取扱管理者の資格や、世界遺産検定1級を取得し、さらに、経験を積むために旅行代理店に入社。しかし、実際に会社の中で旅行業務を取り扱ってみると、自分でも行ったことがないような街への旅行ばかり手配していることに、違和感を覚えたそうだ。
「海外を巡っていた時、現地でシビックプライドみたいなものを感じたんですよ。日本に帰って来た時も、地元日立市を盛り上げようと思って何かやりたかったんですよ。そのときは、まだ茨城のプレーヤーたちとも出会えていないし、自分と地元の人との温度差もありましたね。地域を良くしたい、っていう熱量はあるけど、その熱量をぶつける相手がいない。でも、やっぱり自分の地域に誇りを持てるのはすごい大事なことだと思っていたんですよね」
パック旅行を手配するより、地域を盛り上げる活動の方が面白いかもしれない。そんな気持ちを抱いていた時に出会ったのが、水戸市のデザイン事務所。この事務所が企画する地域のイベントに何度か顔を出していたことがきっかけで、事務所からスカウトされ就職。事業の中で、地域資源のPRや、課題解決、農作物の六次化などに携わってきた。
デザイン事務所で5年ほど働いた後、今度は横浜市に引っ越し、再びフットサル関連の会社に就職。仕事をする上でチームを大切にしている会社で、この会社との出会いが「チームとして勝ちに行くにはどうすればよいか」を考えていく機会にもなったそうだ。そして、if design projectの存在を知ったのも、この頃。
「当時知り合った方から、if design projectのお誘いを受けました。会社の先輩にも相談したら、『それ参加してみなよ』と後押ししてくれて。そのときは、フットサル会社に貢献したいと思っていたので、if design projectに参加することで、例えば茨城でのサッカー関連の仕事やスポーツ施設建設の仕事を会社に繋げていければな、とも考えていました」
当初は、自分が所属する会社の仕事にも繋げていこう、という思惑もあった。しかし、仕事と趣味の間のような雰囲気で進んでいくプログラムや、普段なら出会うことのできない参加者たちとの協業にも面白さを感じていたそうだ。
「if design projectの中ですごい面白かったのは、上下関係が無いチームで同じ課題に向き合い、サッカーと同じで、みんな得意なことやポジション、役割があるというところ。自分は小学五年生のことからサッカーを続けていて、今でも社会人リーグで続けているんです。長くやってきた結果、色々な角度からスポーツやサッカーを見られるようになっていました。そういう視点を活かすことが、if design projectの中での役割でしたね」
それぞれの役割を活かすだけでなく、チームメンバーと活動し、時に自分と相手の持つ役割や能力を比較することで、刺激にもなった。
「チームの中で、最初はそりが合わない人もいたのですが、それでも途中で打ち解けることができて『こういう考え方もあるんだな』と自分も勉強になりました。都内の色々な業種や企業で働く人たちが参加していて、自分も最初は自信が無かったのですが、参加した人と話をしていて、『自分の考え方や思考の豊かさは、全然負けてないな』と思えて、自信につながりました」
地域おこし協力隊という新たなフィールドに挑戦
チームメンバーとともに何度も城里町に足を運び、アツマーレや水戸ホーリーホックの関係者と交流しつつ、地域の課題解決プランを考案。およそ3ヶ月かけ、水戸ホーリーホックの課題を解決する地に足が付いた良いプランが完成し、if design projectでは手ごたえを感じることができた。また、あまり馴染みが無かった城里町も、プランを作り上げる過程の中で思い入れのある地域になっていった。
さらにif design projectを終えた後、活実績を通じて城里町の地域おこし協力隊への誘いを受けており、坂本さん自身もこのタイミングでアツマーレに関わることは大きなチャンスだと感じた。
しかしこの頃は、横浜のフットサルの会社に入社してまだ1年。社内でまだ結果を出せておらず、焦りや葛藤もあった。
「if design projectを通して、地域おこし協力隊のお誘いも受けていたんですよね。でも正直なところ、『協力隊ってどうなんだろう』と思って2ヶ月ぐらい悩んだんです。でも、協力隊をやることを応援してくれる人や喜んでくれる人がいました。それに、悩んでモヤモヤしている時間がもったいないなと思い、城里町の地域おこし協力隊になりました」
着任してまだ半年だが、活動の中で、これまでになかった学びや気づきもある。行政と連動しながら活動するために必要な提案の作り方、企画の進め方があることや、民間企業よりもスムーズに動くことができる部分もあることなどがそうだ。
「行政的な考え方ができるようになった、と感じていますね。『事業として収益があるから』じゃなくて、企画の主語として『城里の人たちが』であることが大事なんだな、という。自分ひとりで動いているんじゃないし、関わる人や組織が複雑に絡み合っているし、みんなが苦労しながら動いていますからね。でも、民間企業と違って、直接お金が発生しない企画であっても『これはみんなが求めているよね、これは重要だよね』というものであれば、きちんとお金を使って進められる。こういうところは行政ならではかもしれません」
今、坂本さんが掲げているビジョンは、城里町のシビックプライドを作ること。町の中の人だけでなく、外部から関わってくれる人も一緒になって町を盛り上げ、住んでいる人も外から来た人も地域の変化を感じられるような状態を目指していく。
「たとえば、水戸ホーリーホックがJ1に上がれたときに、城里の人たちが自分の町に誇りをもてるんじゃないかなと思っています。それも、チームと地域の人たちとの間に『城里の皆様の支えがあってJ1に行くことができました!これからも一緒にもりあがりましょう!』みたいな関係性を作ったうえでJ1昇格するような、そんなドラマのある状態を作りたいですね。自分たちの住む地域に魅力を感じて、外から来る人にも『なんて良いところなんだろう』と思ってもらえるような町にしたいですね」
余白があるから、やれることがたくさんある
就職や転職、バックパッカーの旅など、紆余曲折を経て、地域おこし協力隊として茨城に戻って来た坂本さん。様々な経験を重ねてきた坂本さんに、「茨城の良さとは」というシンプルな質問をなげかけると、その答えの一つに「余白があること」を挙げた。
「空間的な余裕も時間的な余裕もあるじゃないですか。まだ誰もやっていないことがあるけど、その分やれることがいっぱいある。東京だと、なんというか『隙間』っていう感じなんですけどね。地方は、そもそも足りていない部分が多いのかもしれないですが、そこが面白いところかもしれません」
余白があり、まだまだ可能性が感じられる茨城県。その中の一つ、城里町では、現在12人もの意欲ある協力隊と行政職員、水戸ホーリーホックの関係者や地域住民が協力し、様々な取り組みを進めている。
そのなかで、人と人とのバランスを取る、チームの空気を良くする、企画を前に進めていく、ということを意識しながら「ちょっとずつ足を突っ込みながら前に進める」役割を果たしている坂本さん。彼が任期を終える頃、城里町と町のシビックプライドは、どのような変化を遂げているのだろうか。