茨城のヒト・コト・バ PEOPLE, THINGS, SPOTS OF IBARAKI

西野歩さん

PEOPLESPOTS

あいきマロン株式会社代表取締役

西野歩さん

地域とつながる仕事をすることで、街の中に溶け込める

茨城県は農業が盛んな地域で、様々な農作物の収穫量が全国の中でも上位を占めている。その中で、意外と知られていないのが「栗」。実は、栽培面積・収穫量ともに13年連続全国一位なのだ。

特に、笠間市の中にある旧岩間町の地域は、地形と気候に恵まれ栗の栽培が盛ん。車で道を走るだけでも、そこかしこに栗林が見える。また、栽培面積や栗農家が多いだけでなく、「かさま新栗まつり」というイベントの開催や、栗を使ったお土産やスイーツなどの商品開発も行われている。

そんな旧岩間町の中にあるのが、西野歩(にしの・あゆみ)さんが代表を務める「あいきマロン株式会社(以下、あいきマロン)」。現在西野さんは、輸入代行会社を経営しながら、二足のわらじであいきマロンを切り盛りしている。

矮化栽培で、甘くて大きな栗を収穫

矮化栽培で作られた栗。通常の栗より実が大きいだけでなく、糖度が約3倍近くある。


あいきマロンは栗栽培が盛んな地域にある焼き栗の会社だが、この会社は2016年に生まれたばかり。実は、西野さんの父・稲垣繁實(いながき・しげみ)さんが経営する装置設計と機械部品加工を主とする会社が前身となっており、そこで新規事業として「栗事業部門」を発足したことや、友人の果樹専門技術員の協力を得て「栗の矮化と結果母枝更新化方法」と言われる独自の栽培技術を生み出したことがきっかけとなり、あいきマロン設立に至った。

この「矮化(わいか)栽培」とは、剪定により主幹から直接に栗を実らせる技術で、樹高を2m程度に抑え、毎年収穫した枝は主幹より3cm残し、剪定する栽培方法。甘くて大きな栗を実らせるだけでなく、品質の良い栗を安定して収穫することができる。

矮化栽培で育てられた栗の木。樹高が2m程度になるため、脚立を使わずに効率よく剪定できる。

あいきマロンは、JR常磐線岩間駅から徒歩5分ほどの場所に店舗を構えている。「矮化栽培」で育てた新しいブランド栗「愛樹マロン」をはじめとする岩間の栗を使った焼き栗を中心に、生栗や剥き栗などの販売を行っており、栗の旬である9月初旬から10月中旬以外でも、年間を通して購入可能。ここで取り扱う栗の栽培は、会社と契約した地域の経験豊かな栗農家たちの手によって行われている。

また、あいきマロンは、茨城県の企業と連携した本気の課題解決提案プログラム「if design project~茨城未来デザインプロジェクト~(以下、if design project)」の、2018年度のパートナー企業でもある。プログラム期間中は、if design projectの参加者とともに、笠間の栗のブランディングやPR方法についても模索していった。

※if design projectとは?  https://if-design-project.jp/

風景の一部でしかなかった岩間の栗

あいきマロンの店舗外観。冷蔵設備や焼き栗工場も兼ねている。


そんなあいきマロンの代表を務める西野さんの出身も、旧岩間町。幼少期から岩間の街で育ってきたが、子どものころは栗農家の手伝いをしたことは無かったという。梅雨時に香る栗の花や、収穫の時期に頂く新栗の味など、暮らしの中にある季節の風景として岩間の栗を感じるのみにとどまっていた。

当時のことから考えると、「まさか自分が栗の仕事をするとは思ってもいなかった」そうだ。

「実家のすぐ隣の敷地は栗畑だったので身近でした。ただ、お隣にお邪魔して栗の木に登って遊んでいたぐらいで、手伝いや仕事で関わっていたことは無かったです。梅雨になると栗の花の香りがしてきて『またこの季節が来たな』と思ったり、収穫の時期になると『どんなに落ちていても拾わないように』とは父から釘を刺されたり。母が頂いた新栗をふかしてくれて、それをみんなで食べたり。地元の季節の中で栗を感じていたぐらいですね」

戻ってくるたびに感じた、地元の良さ

現在のあいきマロンの店舗は、もともとは味噌蔵として建てられていたもので、築およそ100年。中から天井を見上げると、立派な梁が見える。


父である稲垣さんは、西野さんが子供のころから会社を経営していたが、「跡を継いでほしい」と言うことも無かったという。西野さん自身も、自分の興味のある進路を考えながら、高校卒業後は地元を離れ静岡県三島市にある大学に進学。大学卒業後は、岩間に住みながらも海外ブランドのアウトドア用品を扱う輸入会社に就職した。就職直後は、会社の出向でアメリカのネブラスカ州に2年間住み、帰国後は岩間に住みながらも会社の事業所がある土浦まで通勤。カナダのバンクーバーへの留学や、結婚後の土浦への引っ越しもあったそうだ。

当時は、地元の産業とは関連が無い仕事に就き、地域との関わりもそれほど深くは無かった。しかし、岩間に戻ってくるたびに、地元の良さも感じていたそうだ。

「住んでいた時には分からなかったんですけど、ここから外に出て別の地域に暮らす機会があって、そこから岩間に戻って来た時に、こんないいところだったんだ、という発見がありました。物価が安いし、安全ですし。景色もいつだって旅行に行っているみたいですよね。ちょっと走れば山が見えて、空が広くて、田んぼが広がっていて。茨城県の魅力度ランキングは、7年続けてワースト1位ですけど、実際に暮らしている人はそんなに悪いところだとは思っていないんじゃないでしょうか」

少しずつ手伝いながら、栗の仕事を継業

低温で熟成させた栗を剥いているあいきマロンのスタッフ。栗にたずさわり「この道何十年」のベテランだそうだ。


あいきマロンの前身が始まったのは、2008年ごろ。当時リーマン・ショックのあおりを受け、稲垣さんの会社内に新規事業「栗事業部」を発足し、焼き栗の機械を開発。さらには、栗の品質と管理を安定化させるために「栗の矮化と結果母枝更新化方法」と言われる独自の栽培技術「矮化栽培」を生み出し、2011年に特許を取得。2014年には、それまで会社の1部門であった栗事業部を発展させる形で分社化し、稲垣さんが代表を務める「あいきマロン株式会社」を設立。

矮化栽培で作られた甘くて大きな栗を使い、自社製の機械で焼いた焼き栗の販売は、同じ年にテレビ番組に取り上げられ話題に。番組が放送されたその日のうちから、何件もの問い合わせがあった。しかし、当時、普段は設計や加工を担当するスタッフたちが販売対応していたため、現場は大変だったそうだ。

そこで、輸入代行の業務の中で販売のノウハウを習得してきた西野さんが、焼き栗販売のサポートとして参加。これが、西野さんが仕事として岩間の栗に関わっていくきっかけとなった。

皮をむいた栗をしばらく水に浸したもの。皮むきをしていたスタッフは「宝石のように思えてくる」と話していた。

「普段は機械を扱っているスタッフの方が通信販売の業務をしていたので、注文を受けて商品を出すという一連の作業がシステム化されておらず、行き当たりばったりになっていました。そのままではお客様にご迷惑が掛かってしまうので、配送や電話対応など、最低限の部分をちょっとお手伝いさせていただきました。栗に仕事として関わったのはその時が初めてですね。ただ、自分の本業ではない部分なので、遠巻きにサポートさせていただいていました」

その後、業務の効率化を図るため、栗の冷蔵庫、焼き栗の設備、販売機能を、現在のあいきマロンの店舗内にまとめることになる。ちなみにこの店舗は、築およそ100年の味噌蔵だそうだ。この時、西野さんも、以前から営んでいた輸入代行業の事務所を、同店舗内に移動。輸入の仕事を行いつつも、年間を通して栗を買いに来るお客様への対応を手伝えるようにするためだ。

当初西野さんは、父の事業のお手伝いのつもりであいきマロンに関わっていたが、店頭まで栗を買いに来るお客様への対応をするため、栗に関する知識もゼロから勉強していった。店舗で働く栗農家の方や、地元の方からアドバイスをもらうことはもちろん、時には買いに来たお客様からも教えてもらうこともあったそうだ。

栗の知識を徐々に学び、栗事業部への仕事としての関わりだけでなく、岩間の栗を支える地域の人たちとも関りを深めていった西野さん。そして2016年には、父・稲垣さんから娘である西野さんが事業を引き継ぎ、あいきマロンの代表取締役として就任。稲垣さんは、取締役として栗の生産管理を担うようになった。

「父から会社の代表としての肩書をもらったとき、やるんだったら一生懸命気持ちを入れてやりたいなと思いました。それまでは、お手伝いという気持ちで関わってきましたが、私が主導権を握って会社の代表としてやると決まったときは、モチベーションは変わりましたね」

栗をきっかけに地域とつながる

父・稲垣さんの会社で製造された設備で焼き栗を焼いている。


テレビ番組で焼き栗が紹介されて以来、毎年必ず購入してくれる人や、栗の季節になると家族で買いに来てくださるお客様もいらっしゃるそうだ。地元岩間では、口コミであいきマロンが広まることが多いそうで、「以前知り合いから頂いて食べたのが美味しかったから、ショップカードを捨てずに取っておいた」と言って買いに来てくれる方もいる。

「軌道に乗るにも、地元のお客様に知っていただくにもまだまだ時間がかかると思っています。やっぱり、地元のお客様に少しずつ認知していただいて、あいきマロンの栗をどんどん気に入っていただきたいです。テレビに取り上げられて以来、ずっとファンでいてくれる方や、毎年栗の季節になると買いに来てくださるご家族もいらっしゃいます。あいきマロンが、季節の楽しみの一部になって、『秋が来たから笠間に行こうかな』と思ってもらえたら嬉しいですね」

栗農家が多い旧岩間町出身の西野さんとはいえ、栗に関する知識や経験では、まだまだ初心者マークがついているという。今でもベテランスタッフや地元の先輩たち、地域の人たち、そして買いに来てくださるお客様や、取引のある企業の支えを受けながら、あいきマロンを経営している。栗の収穫や加工で忙しい時期には、近所に住む人たちはもちろん、町のキーマンたちも協力してくれるそうだ。

焼き栗器の中から取り出したばかりの、焼きたての栗。


「毎年9月になると、『また今年もよろしく』っていう風にスタッフが集まって、同じ季節を共有するその時間もすごく楽しんでいます。栗の仕事は、地域の皆さんに助けていただかないとできない仕事。栗の時期には、仕事の時に近所のおじさんと毎日のように顔を合わせますし、それ以外の時は偶然道で会ったりして。色々な経験をされてきた方たちと一緒に栗の仕事をできるのはすごくありがたいことですね。この仕事を始めていなかったら、こんなに地域の人と関わることは無かったですし、皆さんの暖かい気持ちに気づくことなく日々過ごしていたんだろうなと思います。関わる人たちのつながりが広がったことで、私もこの街で暮らしやすくなっていきました」

さらに、ご両親の手助けを受けつつ、一緒に栗の仕事を行ったり、事業をより良い方向に持っていくために話し合ったりする時間も大切にしている。台風の後に行った栗拾いでは、現在中学生の西野さんのお子さんも、地元の大人たちに混ざって協力。中学生の身軽さを活かしてか、参加した人たちの中でも、一番たくさん拾ったそうだ。

ニーズに合わせた栗づくりにも挑戦したい

岩間の町の人たちと一緒に栗農業を支えているあいきマロン。日々の業務の中での学びや、昨年度のif design projectへの参加を通し、今後のチャレンジとして考えているのは、様々な品種の栗を矮化栽培で育てていくこと。品種によって、味わいだけでなく適した調理方法なども異なるそうだ。

「去年if design projectに参加させていただいて、いろいろと勉強する機会があり、そのときに、お客様は色々な品種を試したいんだな、ということも分かりました。なので、色々な品種を焼き栗として提供できるようにしていきたいなと思いますし、これから新しく矮化栽培で栽培するために植える栗も、お客様のニーズや食べ方に合わせて色々な品種をチャレンジしていきたいなと思っています。他にも色々な取り組みをしていきたいですし、品種ごとに適した熟成の仕方、収穫のタイミングなども、まだまだ勉強が必要ですね」

地域と繋がる仕事をすることで街に溶け込める

西野さんは、中学生のころは地元から離れたところに通っていたそうだ。進学や仕事、結婚などを機に岩間から離れていたことも多かったが、それでも現在地域の中に溶け込んでいるのは、あいきマロンを通して行う事業が、地域と繋がる仕事であることが大きい。

「地域と繋がる仕事をすることによって、地域の一員として少しずつでも溶け込んでいくと、この地域で暮らしやすくなるし、楽しくなるし、愛着も沸いてきます。岩間には大好きな人たちが住んでいるというのが、本当に私の人生の宝ですね」

仕事を通して、地域の人たちと想いや時間を共有することで、今住んでいる街での暮らしが、少しずつ豊かになっていくのかもしれない。

PROFILE

PEOPLE

あいきマロン株式会社代表取締役。
市町村合併して笠間市の一部になった、旧岩間町出身。
大学卒業後からアウトドア用品の輸入代行の仕事を続けてきたが、父・稲垣さんの会社が新規事業として立ち上げた「栗事業部」にお手伝いとして参加したことがきっかけとなり、岩間の地域と繋がり、栗の仕事を継業。2016年から、あいきマロン株式会社の代表。地域の人々に支えられつつも日々栗の勉強をしながら会社を経営中。

あいきマロン株式会社 http://www.aiki-marron.jp/