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茨城のヒト・コト・バ PEOPLE, THINGS, SPOTS OF IBARAKI
有限会社長野園 茶園管理責任者
花水理夫さん
世界が認める「SASHIMA」を目指す、Iターン継業のお茶農家
お茶と言えば、日本では静岡県が有名。しかし茨城県にもお茶所が存在する。その一つが、県西部にある古河市、坂東市、常総市、八千代町、境町からなる「猿島地方」。鬼怒川と利根川に挟まれた肥沃な土壌、夏は暑く冬は冷え込む気候が、良質な「さしま茶」を育んでいる。1859年の日米修好通商条約発効と同時に日本で初めて海外輸出された日本茶、という歴史も持ち、現在でも約30件の茶園がさしま茶を作り続けている。
その中の一つに、創業70年を超える茶園「さしま茶 長野園」がある。長野園の茶園管理責任者は、花水理夫(はなみず・みちお)さん。東京生まれで、2007年に異業種からのIターン継業で現在の仕事に就いた。修行や仲間との出会いなど様々な経験を経て、現在では、猿島地方の土壌・気候・風土を活かし、五感を研ぎ澄ましたお茶づくりを行っている。また、製造の軸足を緑茶から紅茶に移しながら、仲間とともに研究を行い、海外も視野に入れたさしま茶の新たな展開を見据えているところだ。
お茶の生産管理だけでなく、品質向上のための研究、PR、パッケージデザイン、販路開拓など、長野園のお茶づくりのほぼすべてに携わっている。独自のPRとして、茨城県内外のアウトドアイベントに出店し、炭酸を注入してソーダにした緑茶、ラム酒と合わせたほうじ茶カクテルなど、お茶になじみが薄い人たちに向けたお茶の提案も行っているそうだ。
リストラされても会社は回るけど
花水さんの継業以前の生活拠点は都内。もともと海外に興味があったこと、大学卒業後に就職した会社で英語を話せるようになったことをきっかけに、英語を活かせる職場をいくつか経験してきた。
その中で、長野園を継ぐ直前に勤めていたのが、食品輸入の多国籍企業。世界規模の会社での仕事は、忙しい一方でやりがいも感じていた。しかし当時、狂牛病が流行しており、牛肉の輸入が滞った影響で社員たちが次々とリストラされていく様子を目の当たりにした。その様子を見ながら、花水さんは「自分が50歳を過ぎて、いきなりリストラされたらどうすればいいんだろう」と、仕事や将来について不安を覚えたという。
また、当時結婚していた奥様からは、「実家は茶園をやっているけど、後継ぎがいないから仕事を畳む」という長野園の事情も聞いていた。
「会社は誰かがリストラされて人がいなくなってもその人に関係なく回っていくけど、彼女の実家のようなところだと、継いでくれる人がいないとそこで終わってしまうんだな、と思いました」
花水さん自身、茨城に深い縁があったわけでも、お茶が大好きなわけでもなかった。しかし、会社勤めへの危機感、そして「お茶農家も面白いかもしれない」という思いから、長野園を継ぐことを決意。継業することを申し出たときはお義父様から驚かれたそうだ。
まずは地域をリスペクト
長野園を継ぐことになった2007年から、お義父様の紹介を受け、静岡県の製茶問屋で修行を開始。1年かけて学んできたが、知識や経験がゼロからのスタートだったため、「お茶づくりの表層が見えてきた」「お茶の良し悪しがぼんやりと分かるようになった」というところに行きつくのがやっと。
修行を終えて境町に戻ってからも、お茶について分からないことだらけだったという花水さん。しかし、過剰な使命感に駆られ気持ちばかり先走り、お茶づくりのベテランであるお義父様とはよくぶつかっていたという。そのせいで、しばらくの間はお義父様から相手にしてもらえなかったり、話しかけにくくなってしまった時期もあったほど。
それでも、茶園の仕事はお義父様からどんどん任されていったため、さしま茶を作る同年代の職人や、さしま茶協会青年部のメンバーたちからアドバイスをもらいつつ、お茶づくりの知識と経験を蓄積。そんな時期が、4~5年続いたという。
異業種からのIターン継業で茶園を継いだ花水さんは、当時を振り返りながらも、「まずは地域をリスペクトすること」が大切だと語る。
「移住して何かをするときは、大前提として、今までその土地で培われてきた環境をまずリスペクトすることが大切です。その軸足があって、もう一つの足で『自分らしさを失わないこと、その場所に埋没してしまわないこと』も大切。せっかく外から来たわけなので、外の視点を活かして仕事をするシーンはいくらでもある時代だと思います」
五感で作るクラフトティー
長野園では、代々さしま茶の緑茶を作り続けてきたが、花水さんは生産の軸足を徐々に紅茶に移している。
花水さんが長野園で紅茶作りに取り組みだしたのは、2009年ごろ。さしま茶協会青年部の活動として、地域の小学校でお茶の授業を行った際、子どもたちが、さしま茶で作った紅茶に目を輝かせていたのを目の当たりにしたのがきっかけ。
当時、さしま茶で紅茶を作る動きはわずかながらあったが、茶葉を育て美味しい紅茶にするための情報が無かったそうだ。花水さん自身もに、師匠となる人がいなかったため、手探りで紅茶づくりを実践。当時作っていた紅茶の出来栄えは、「今思うと恥ずかしいぐらい」とのこと。
作る紅茶の質が高まったのは、中国茶の茶園と茶工場を頻繁に訪れ、発酵茶の本場の現場を良く知る女性と出会った頃。その方の紹介により、国内で良いモノづくりをする人達と出会い、茶畑のアドバイスを得ることができた。台湾への研修にも出向いたそうだ。その中で花水さんが気づいたことは、「美味しいお茶、違いのあるお茶を出せるのは、五感をフルに使ったお茶づくりをしている人」ということ。以前は、時間や温度管理ができていれば工業的にお茶が出来上がってくると考えていたが、必要なのは人間の五感。
「茶畑の土壌のミネラルがあり、気候や風土があり、品種があり、その芽の状態を把握しないとお茶の製造ができない。製造をきっちり行ったうえで仕上げの技術があり、それができて初めて一杯の紅茶が出せる。その工程の中で、五感を使っているかどうかで、仕上がりが全然違います」
花水さんにとって、お茶づくりの中で好きな工程は、収穫されたお茶の特徴を最大限に引き出す「製茶」と、製茶されたお茶の味を研ぎ澄まし香りをつける「仕上げ」の部分。自らの五感を研ぎ澄まし、お茶の中にある地域の気候や風土の特徴を最大限に引き出し、完成形をイメージしながら作り上げていく紅茶を、花水さんは「クラフトティー」と呼んでいる。
猿島地方の外に向けた展開
研究と試行錯誤の甲斐あって、2019年にエントリーした、紅茶専門のテイスターが国産紅茶を審査する「プレミアムティコンテスト」では、長野園の紅茶と、花水さんとともに研究を進めていた古河市の吉田茶園の紅茶が入賞。吉田茶園の紅茶も、さしま茶である。このコンテストでは、受賞全20点のうち、9点がさしま茶(長野園3点、吉田茶園6点)。国内のお茶業界では「さしま茶の紅茶はすごい」とざわついているのだそうだ。
「試行錯誤をどんどんやっていかないと、美味しいものができない。紅茶をどんどん良くしていかないと、面白くない。数年後、さしまの紅茶はビックリするものになっていると思いますよ」
味だけでなく、紅茶のパッケージや売り方も試行錯誤している。
さしま茶は、生産地域で大半が消費される状態が続いていたため、これまではパッケージや売り方、販路開拓などを深く考える必要がなかった。しかし今後は、人口減少などで、さしま茶の消費量が減ることも考えられる。東日本大震災時には、お茶を一切販売することができない時期もあり、「これはお茶屋さんの10年後を見ているのでは」と感じたそうだ。
そこで花水さんは、手に取ってもらえるようなインパクトのある紅茶のパッケージづくりや、お客様が気分よくお茶を買っていってくれるような店舗づくりを独自に実践。現在では、紅茶を都内の専門店に卸したり、京都の外資系ホテルに出荷したりするようにもなった。また、県外のお客様にキロ単位で送ることもあれば、遠方からはるばる長野園まで買いに来てもらえることもあるそうだ。時には海外の方も来店するという。
「SASHIMA」を世界に
猿島地方の茶園を継業し、紅茶の魅力を見出し、賞を獲るまで技術と感性磨き上げてきた花水さん。目下チャレンジしているのが、「世界に向けて『さしま』の名を出していく」ということ。
「『ダージリン』『セイロン』のような産地の名前で呼ばれる紅茶があるように、この紅茶のクオリティを高めて、世界で『さしま』という名前で呼ばれるようなお茶を作りたいです」
猿島地方が紅茶の名産地として認められるには、地方全域で美味しい紅茶を作る必要がある。この目標に近づくため、吉田茶園とともに研究を進めており、海外の紅茶コンクールにも出品しているほか、一緒にさしまの紅茶づくりに携わる仲間も探している。
「僕らが手にした技術を囲って僕らだけが良い思いをするのではなくて、紅茶をやりたいという人がいたら一緒に協力してやっていきたいと思っています。さしまの茶業がこの先も永続していくための、ブランディングとしてもさしまの紅茶があります。僕らが作ってきた流れを継いでくれる人に来てもらいたいですね」
さしま茶の進化は続く
花水さんの自分らしさは「声が大きいこと」。そして、自分に発破をかけるための強気な発言も得意だという。ある紅茶のサミット会場でコメントを求められた花水さんは、「これからのさしま紅茶を楽しみにしていてください」と強気の発言を残してきたそうだ。そして、発言だけで終わらせず、この地で作られるクラフトティーが世界に認められるため、日々研究と挑戦を続けている。
長野園で花水さんが作るクラフトティー、そして猿島地方のお茶はどのような進化を遂げていくのだろうか。実際に味わいながら、世界に向かう道のりを応援したい。