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茨城のヒト・コト・バ PEOPLE, THINGS, SPOTS OF IBARAKI
有限会社ウェアウッドワーク代表 木漆工芸作家
辻徹さん
新たな漆器「八溝塗」を通して、日本一の漆に出会う場所
新たな漆器「八溝塗」を通して、日本一の漆に出会う場所
茨城県最北部にある大子町は、豊かな自然環境を活かした観光産業が盛んで、人口約1万6千人の町に年間約110万人もの観光客が訪れるほど。
一方で意外と知られていないのが、質の高い漆の産地でもあるということ。大子町や栃木県那珂川町を含む地域一帯で採れる「大子漆」は、日本一の品質ともいわれ、圧倒的に透明度が高く、上質で美しい艶が最大の特徴とされている。そのため、高級漆器の仕上げに使われているほか、国宝建築の修復にも採用されているそうだ。
しかし今、漆の木を傷つけ樹液を採集する漆かき職人の減少や高齢化、漆の木自体の不足、さらには中国産の安価な漆の流通のため、職人の育成や大子漆の継承が重要な課題となっている。
日本一の漆を伝えるため、漆器の産地化を目指す

駅前商店街の通り沿いにある「大子漆八溝塗 器而庵」
そんな中、大子漆の魅力を伝える活動を続けているのが、木漆工芸作家の辻󠄀󠄀󠄀󠄀徹(つじ・とおる)さん。木工による生活家具や生活漆器を制作提案する、有限会社ウェアウッドワークの代表を務めている。󠄀
辻󠄀󠄀󠄀󠄀さんがものづくりの中で大切にしているのは、「一貫したものづくり」であること。美しい製品を完成させるだけでなく、木を扱うときは「丸太の素材から木を見極める」、漆を扱うときなら「自ら育てた漆の木から採取する」。素材の基礎的な部分から丁寧に向き合い、想いを貫いた作品づくりを続けている。
また、同社が発信するブランドのなかに「器而庵(きじあん)」がある。器而庵とは、漆かき職人の後継者不足に危機感を抱いた辻󠄀󠄀󠄀󠄀さんが、高品質を誇る大子漆を100年先の未来に伝えるために2010年に立ち上げた、生活漆器のブランドだ。
そして、ブランド「器而庵」の漆芸品をはじめ、大子漆を使った生活漆器を間近で見ることができるギャラリー兼工房が、「大子漆八溝塗 器而庵」だ。
大子漆はこれまで、採集された後、街の人々の目に触れることなく、地域の問屋や漆芸家のもとにわたっていった。というのも、実は大子町は「漆の産地」であって「漆器の産地」ではないからだ。そこで、大子漆の漆器を、街に住む人や観光にきた人たちに知ってもらうきっかけを作る場所として、このギャラリーを設立。
店舗名に冠された「八溝塗(やみぞぬり)」というのは、聞き慣れない名称かもしれない。それもそのはず、実は辻󠄀󠄀󠄀さんが考案した、大子漆を使った漆器のブランド名で、この地を漆器の産地としていくために生まれたものだ。八溝塗は、高級品として使用を躊躇されがちな漆器を気軽に普段使いしてもらえるよう、凹凸のある素朴な仕上げになっていることが特徴。
「大子漆八溝塗 器而庵」があるのは、JR常陸大子駅の駅前商店街。建物は築120年を誇る見世蔵で、商店街の中でもひときわ存在感を放っている。国の有形文化財にも指定されており、日本一の品質といわれる漆で作った漆器を展示するのにふさわしい場所だ。
漆の産地に不足する職人

漆かきをする辻さん。良質な漆を採るには、採集の技術だけでなく、漆の木が育つ環境を整備していくことも重要だという。
大子漆にまつわる活動を続けている辻󠄀󠄀󠄀さんの出身は、茨城から遠く離れた北海道札幌市。大学進学時に上京して、芸術大学で漆芸を専攻。その後大学院に進み、卒業後は富山県高岡市の短期大学で木材工芸の研究生として活動。
茨城にやって来たのは、研究生を終えた後の1991年。茨城県の旧美和村(現常陸大宮市)に住みながら、木工指導員として従事していた。その当時行っていたのは、茨城県の豊富な森林資源を活用した特産品の開発。たとえば、樹齢約90年の木から材木を切り出した後に残される、高さ約1メートルほどの切り株を、材木としてどのように活用するか企画制作を行っていたそうだ。
当時の辻󠄀󠄀󠄀さんは、仕事の中で漆が必要になると、地域の漆かき職人に依頼していた。しかしあるとき、いつもお願いしていた職人が病気になり仕事を引退。そこで辻󠄀󠄀󠄀さんは別の職人に頼もうと代わりの人を探したが、漆かき職人は他に2人しかおらず、しかも2人とも70代後半の高齢、という実情を目の当たりにした。
「これはなんとかしなくてはと思い、2008年から仲間と一緒に漆かきを学び始めました。今では当時の職人も2人のうち1人が辞めてしまって、残る1人も84歳。さすがに足腰の調子が良くないみたいです」
漆を見せただけでは、みんなに良さが伝わらない

大子漆八溝塗 器而庵の中には、器而庵ブランドの漆器の他、辻󠄀󠄀󠄀さん個人の作家作品も展示販売されている。
高齢の職人を師に漆かきを学び始めた辻󠄀󠄀󠄀さん。しかし、技術と知識を学びながらも、その中で一つの疑問が生まれたそうだ。それは、「採った漆をそのまま問屋さんに収めていては、これまでの大子漆の流れと何ら変わらないのではないか」ということ。
「採集した漆がいくら高品質でも、一般の人の目に触れる機会が無かったのが今までの大子漆。それに、良いものなら地元の人たちにも、もっと見てもらいたいですが、漆芸家や漆問屋でない方に漆だけ見せても、良さが全然伝わらないんですよね」
昭和30年代後半から40年にかけてが、大子漆生産の全盛期で、当時は漆の木の数も漆かき職人の数も今とは比べ物にならないほど多く、地域の人々も地元の特産品として大子漆のことを知っていた。しかし昭和40年以降、プラスチック製品の流通増加や漆の需要減少もあり、漆の木や職人の数が一気に減少。大子町は漆器の産地ではないという事情もあり、地域での大子漆の存在も薄れていったそうだ。
「だったら、大子漆を『漆芸品』という分かりやすい形にすることで、沢山の方に魅力を感じてもらえるのではと思い、大子漆を使った『八溝塗』という塗り方や、『器而庵』というブランドの構築、そして『大子漆八溝塗 器而庵』というギャラリー兼工房を始めようと思いました」
築120年の物件を、街の人からバトンタッチ

商店街の中でもひときわ存在感を放つ、大子漆八溝塗 器而庵。建物の奥には、八溝山を水源とする久慈川が流れている。
茨城に来た当時から、旧美和村に住んでいる辻󠄀󠄀󠄀さん。しかし「大子漆を使うのだから」という思いから、ギャラリー兼工房になる物件探しを大子町でスタート。
大子町役場に相談しに行ったところ、「市街地活性化も期待したいので、山の中ではなく駅前商店街で物件を見つけてほしい」という希望も受けたそうだ。商店街の中をくまなく探していったが、なかなか思うように行かず苦戦。一件一件調べてみると、通りに面した場所から見ると空き家のように見えるが、奥に人が住んでいるので借りられない、という物件が多かったそうだ。
そんな中、丁度いいタイミングで出会えたのが、現在の物件。辻󠄀󠄀󠄀さんが探していた当時は喫茶店として運営されていたが、そのオーナーが店を閉じるつもりでいたそうだ。しかし店を閉じてしまうと商店街にまた空き家が増えてしまう。だったら、自分の後をきちんと引き継いでくれる人にバトンタッチしたい、という希望があり、そのタイミングに辻󠄀󠄀󠄀さんが出会えたのだ。
ありがたいことに、棚や床板などの内装はもちろん、厨房設備も整ったまま、ほぼ居抜き状態で物件を借りることができたそうだ。さらに、築120年という古民家だが、「平成の大修理」と称し大家さんが屋根をすべて直していたこともあり、物件をギャラリー兼工房として使うための整備費を抑えながら「大子漆八溝塗 器而庵」をスタートすることができた。
こうして、木漆工芸作家としての活動拠点を大子町に築くことができたのも、辻󠄀󠄀󠄀さん自身に地域の人たちと関わっていくための心がけがあったからだろう。

器而庵では、辻さん主催のお茶会やワインバーなども開催されており、漆器に親しむきっかけにもなっている。
「まずは、地域の人たちと仲良くならないと始まらないですね。無節操に、というわけではなく、信頼できる人や、分からないことを質問できる人を作る。私の場合は運が良くて、最初に大子町役場の方に出会い、そこから地元の方々を紹介してもらいました。そうやって生まれたつながりも大きかったです。私は外から来た人間なので、大子町でいきなり『信用してくれ』と言っても難しいですしね」
そして2010年に大子漆八溝塗 器而庵をオープン。漆に興味があるり訪ねてくる方がいるのはもちろん、漆に馴染みが無くても古民家の雰囲気に惹かれて来店し、八溝塗の漆器に出会う方も多いそうだ。
辻󠄀󠄀󠄀さんは大子漆の採集や漆器づくり、そしてギャラリーからの情報発信を続けながらも街と関わり続けるなかで、地域が少しずつ活気づいている様子も目の当たりにしている。古民家をリノベーションしたカフェやシェアオフィスがオープンしたほか、マルシェ、講演会、ワークショップなども開催されるようになり、その様子を視察に訪れる団体も増えたそうだ。
「大子の人たちは、企画やイベントに一生懸命取り組む人が多く、だからこそ街のなかで相乗効果が起こって、ここまで盛り上がってこられたのかなと思います。僕は地元の人間じゃないので上手く言えない部分もありますが、地域の問題意識を持った人たちがリーダーシップをとって何かを始めて、その輪の中に入ってくる人たちも増えたのだと思います。これから、さらに面白いことが増えていきそうな感じがしますね」
最北端の街でも、東京へ日帰りでアクセス
北海道、東京、富山を経て茨城にやって来た辻󠄀󠄀󠄀さんは、30年ほど茨城で過ごしてきた。
移住した当初は、仕事に必要なものをすぐに買えないことや、一日の中でできる仕事が限られていることにストレスを感じていたそうだ。確かに、東京の利便性を知っていると、ギャップに戸惑うこともあっただろう。しかし半年も過ごしていくうちに、「1日に1つの仕事ができればそれで良い」という感覚にシフトしていったという。今では、仕事の道具も揃い、若いころのような物欲もなくなったため、ストレスなく日々を過ごしているそうだ。
30年ほど過ごしてきた茨城県の良さを改めて考えてみると、まず思い当たるのが「食べ物が安くて美味しいし、海のものも山のものも手に入る」ということだそうだ。確かに、農業も水産業も盛んな茨城県ならではの良さである。
そして、いち作家である辻󠄀󠄀󠄀さんにとって決め手であるのは「東京まで日帰りで行ける」ということ。茨城県最北端の大子町であっても、大子町やその東隣の常陸太田市から乗車できる高速バスを利用し、都内まで日帰りで往復できるのだ。都内の展示会に出展する場合なども、交通費や作品の輸送費を含め便利だという。
また大子町は、災害も少なく、積雪量が少ないので雪かきに時間をとられないことも魅力。暮らしやすく作品作りにも集中しやすい環境だそうだ。
スタンダードを作って来た10年と、これからの展開

漆器の新たなラインナップを提案するギャラリー兼アトリエになる物件。壁に描かれているのは、「大子まちなかアートウィーク」に参加した作家の作品で、制作には一般家庭で使われるアース線が用いられている。
「大子漆八溝塗 器而庵」という場所を構え、漆器の産地化を進める取り組みを続けて10年。これまでの漆器づくりは、漆器の産地化を意識した発信をするための基盤づくり、という思惑があった。
「これまで器而庵では、意図的にお椀やお箸など、基本的なアイテムを作ってきました。漆器の産地ではないところに『八溝塗』という新しい漆器を作り発信しているので、いきなり奇抜なものを作ってもどんな漆器なのか理解してもらえない。例えば最近では、電子レンジ対応の漆器やパステルカラーの漆器を作っている産地もありますが、それは産地としての歴史と基盤が成り立っていて、そのうえで作られているものですからね」
10年間の中で作って来たのは、素朴な仕上げが特徴のスタンダードな八溝塗の漆器。そしてこれからの展開は、地域おこし協力隊として大子にやって来た若手とともに作る、若い世代への発信も意識した漆器のアイテムだ。
「これまで作って来たスタンダードな漆器を基本に持ちつつも、若い方に向けた新しいラインナップを増やしていこうと思っています。それは食器ではなく、たとえばアクセサリーでも良いと思いますし、今まで漆になじみが無かった方にも振り向いてもらえるものを模索中です。まだ何かは見えていないのですが、実験しながら見出していこうと思っています」
現在、大子漆八溝塗 器而庵から徒歩5分ほどの空き家を改装し、漆器の新たなラインナップを提案するギャラリー兼アトリエのオープン準備を進めているところだ。新たな展開をみせる大子漆と八溝塗。大子町が、漆の産地から漆と漆器の産地として知れ渡るのも、遠くない未来の話かもしれない。