トップページ 茨城のヒト・コト・バ 茨城のヒト 伊藤俊一郎さん 茨城のヒト・コト・バ PEOPLE, THINGS, SPOTS OF IBARAKI すべての記事 茨城のヒト 茨城のコト 茨城のバ PEOPLE 医療法人アグリー理事長 兼株式会社アグリケア会長 伊藤俊一郎さん ビジョンを貫き、医療サービスのナショナルブランドを目指す 起業家は、事業の背景にそれぞれの志を抱いている。2015年に株式会社AGRI CAREを立ち上げた伊藤俊一郎さんもその一人。伊藤さんは、10年間心臓外科医として仕事に打ち込む中で、日本医療の課題に直面。その課題を解決すべく医療ベンチャーを起業し、5年間で6個所もの老人ホーム・訪問診療施設の施設運営と、医療相談アプリ事業を展開。そしてその先に目指すのは、事業のナショナルブランド化という、さらに大きな志だ。 医療を必要としている人に、きちんと医療を届ける 2020年1月ごろから新型コロナウイルス感染症の緊張が広まる中、いつでもどこでも医師に相談ができるスマートフォンアプリ「LEBER(リーバー)」が注目されたのをご存じの方も多いはずだ。LEBERは24時間・365日、スマートフォンを使い、実名で登録された医師にチャットで相談できる、ドクターシェアリングプラットホーム。このアプリは、医師であり起業家の伊藤俊一郎(いとう・しゅんいちろう)さんが代表を務める株式会社AGREEによって開発と運営が行われている。 伊藤さんは、新潟県糸魚川市出身。筑波大学医学部進学を機に茨城県に住み、卒業後は心臓外科医として、茨城県内を中心に約10年間従事。そして2015年に医療ベンチャー「株式会社AGRI CARE」として独立。同年9月、茨城県つくばみらい市に老人ホーム「AGRI CARE GARDEN」をオープン。その後、MED AGRI CLINIC(訪問診療・リハビリ・入院治療)と株式会社AGRI CARE(スペシャルケアホーム事業・農林水産業)を事業主体とした「メドアグリグループ」として、2019年までに、茨城県内、千葉県、新潟県に、老人ホームや訪問診療所を設立。 現在、茨城県内ではつくばみらい市とかすみがうら市に有料老人ホームを展開、茨城町では訪問診療・訪問看護を行っている。 起業から5年の間に、6個所の医療介護施設をオープンさせ、医療相談アプリをスタートさせた伊藤さん。その背景には、「医療を必要としている人に、きちんと医療を届ける」というビジョンがある。 医師として打ち込む中で気づいた、現代医療の課題 今でこそ伊藤さんは、確固たるビジョンを抱き医療ベンチャーの経営者として活躍しているが、元々は起業を志していたわけではなかった。 2005年に筑波大学を卒業してからは「心臓外科医として医療の現場に携わり続けよう」という思いのもと現場に専念。茨城県内だけでなく、千葉県や山形県でも医師として働いていた。医師として10年経ったころに働いていたのは、茨城県境町の病院。当時、つくば市の自宅から職場までは、車で往復2時間かけて通勤していたそうだ。 伊藤さんが起業を考え始めたのはこの時。往復2時間という通勤時間は、内省や考え事ができる時間としては十分。その中で、これまで医療現場に必死に打ち込んできたことを通じて見えてきた医療の課題を振り返りながら、「自分の人生は、このままで良いのだろうか」と深く思いを巡らし、起業への意識を強めていった。医師である伊藤さんが、開業医ではなく起業家の道を選んだ理由の中には、「医師として自分一人では目の前の患者しか救えないが、企業として組織を作ることでより多くの人を助けられるはずだ」という思いもあった。 起業を決意した伊藤さんが取り組みたかったのは、老人ホーム事業。というのも、心臓外科医として打ち込む中で「お年寄りには、本来は時間をかけた入院が必要なのに、現在の病院の仕組みでは、それが難しい」という課題に気づいており、「今必要とされるのは、お年寄りが快適に過ごせて、いつでも医療を受けられるサードプレイスだ」と感じたから。 ビジョンを語り前に進んだ、起業の道 2015年9月にオープンした「AGRI CARE GARDENつくばみらい」。国産の木材がふんだんに使用されており、そこには「木は時間が経っても陳腐化せず、むしろ味わいが増して価値が上がっていく」という意図がある。敷地内の池では、錦鯉がゆったりと泳ぐ様子を楽しめる。 お年寄りが安心して心地よく過ごせる終の住処。それを実現させるため、伊藤さんはまず、株式会社AGRI CAREを立ち上げ、茨城県つくばみらい市の土地も勢いで約8,000万円で購入してしまった。さらに施設建築設計費・設備費・当面の運営資金など合わせて、約10億円が必要となる。 資金を得るためには融資が必要。だが、伊藤さんにとって起業は人生初のことで、金融機関からは「経営の経験値が無い人にはそんな金額は貸せるわけない」と突き放されてしまったそうだ。 起業をしてすぐに「土地は買ったが、資金が無くて事業を始められない」というピンチに陥ってしまった伊藤さん。しかし、そんな伊藤さんを応援してくれたのは、筑波大学の起業家育成プログラム「筑波クリエイティブ・キャンプ」で出会った、二人の先輩経営者だった。 当時、伊藤さんはこの二人と付き合いが深くはなかったが、「高齢者が安心して住める終の住処を作りたい」というビジョンを熱心に伝え、「いま自分には資金が無いが、どうしても事業をスタートさせたい。株式会社AGRI CAREの株主になって、なんとか助けてほしい」とお願いしたそうだ。 「お二人とも『外部の僕たちが株を持つと、事業がややこしくなります。資金が無くても、お手伝いします』とおっしゃって、応援してくださいました。そして経営や事業のサポート、ノウハウを頂いただけでなく、銀行に融資の依頼をする際にも一緒に立ち会ってくださったんですね。この出会いが無ければ、事業をスタートできなかったかもしれないです」 現在、メドアグリケアグループ全体で、およそ200名ものスタッフが活躍中。施設内の仕事や訪問診療だけでなく、高齢者施設向け感染防御セミナーなども開催。また、職員でチームを組み地域のマラソン大会、地元大学生と利用者の交流会の企画など、地域との関りも積極的。 先輩経営者の支援もあり事業をスタートさせることができた伊藤さん、資金調達だけでなく、スタッフ募集にも苦労があった。実績のない事業に対する募集には人は反応しなかった。ここでも伊藤さんは、自らの思い描くビジョンを時間をかけてしっかりと伝えていった。 「募集で声をかけた方には、『いま病院では、お年寄りの長期入院が難しくなっている』『患者さんやその家族の方々が困っている現状もある』『だからお年寄りの終の住処になるような場所が必要』『そういった施設が日本だけでなく世界でも求められていくはず』。そういうことを、鮮明に、丁寧に説明していきました」 想いを伝えながら資金と人財を集め、2015年9月にオープンしたのが、日本を代表するログハウスメーカーがデザインした、デザイナーズ有料老人ホーム「AGRI CARE GARDEN」。 オープン当初は、新しい施設のために実績がなく、お年寄りやその家族の心情から、なかなか利用者が増えなかった。老人ホーム事業と並行して行っていた在宅医療や、他の老人ホームへの訪問診療を平行して続けていく中で、他の病院からAGRI CARE GARDENへの紹介も増え、徐々に利用者も増えていったそうだ。 2019年12月にオープンした「AGRI CARE GARDENかすみがうら」は、古民家をリノベーションして作られた。その時に使われた建材には、古民家の敷地に生えていた木々を活用している。つくばみらい・かすみがうら共に、施設利用者たちが地域で採れた健康的で美味しい食事を頂けるのも特徴。 利用者が増え、少しずつ地域にも認知されて、事業が軌道に乗りはじめてからも、伊藤さんは精力的に事業に打ち込み、2019年12月までには、茨城県内はかすみがうら市・茨城町、千葉県は野田市・香取市・成田市、そして伊藤さんの生まれ故郷でもある新潟県糸魚川市にも、老人ホーム・訪問医療施設を築いていった。 対面でしかできないことの価値 広々とした立地と環境を活かした施設のなかで、メドアグリケアグループの職員たちは「最期まで生活の情味を味わえる介護」を目指し、日々の仕事に取組んでいる。 伊藤さんがこれまで展開してきた事業は、老人ホームを中心としたサービスが主だ。そして「介護」は、人間同士が対面で行うサービスであることは、想像に容易い。 現在、新型コロナウイルス感染症の影響もあり、3密を避ける行動が推奨されているだけでなく、テレワーク導入の動きも進んできた。オンラインツールを駆使した「遠隔」の仕事やコミュニケーションは、これまでよりも活発になってきている。 しかし、だからこそ伊藤さんは「人間にしかできないこと」の価値が残っていくのではないかと話す。 「オンラインの流れが加速すると、対面でしかできないことへの価値が高まっていくのではないでしょうか。今では介護は給与の低い仕事のように見られがちなところもありますが、これからは、対面でしかできない介護という仕事に、光が当てられていくのではと思います」 アプリの中にも生きる伊藤さんのビジョン LEBERには2020年6月現在、270名以上の医師が実名で登録されている。さらに、6月6日・7日の両日、Apple Inc.が運営するApp StoreのiPhone無料アプリ・ランキングのメディカル部門では、トップを獲得した。 一方で、株式会社AGREEが提供する医療相談アプリLEBERは、インターネットを通じて医師に相談をすることができるアプリ。医療を必要としている人に、きちんと医療を届けたい。病院以外でも、いつでも、どこでも、誰でも医療を受けられるようにしたい。伊藤さんの信念は、LEBERの中にも貫かれている。 LEBERの企画は、MED AGRI CLINICに入職していた相談員が「医療相談アプリで医療に貢献したい」と提案したことからスタート。その後、偶然出会った、アプリに興味を持ってくれたスタッフを加えて、伊藤さんを含めた3人でアプリの企画を構築。開発は外部のエンジニアに依頼し、2018年にアプリをリリース。 「老人ホーム事業は『高齢者が退院した後も、いつでも医療を受けられる場所を作りたい』という思いで続けてきましたが、LEBERを利用した医療サービスも『医療を必要としている人に、いつでも、どこでも、誰にでも医療を提供したい』という想いは同じです」 その想いを届けるため、伊藤さんは、茨城県をはじめ、各地の自治体や病院と連携したLEBERのサービス提供も行ってきた。 2020年1月ごろから新型コロナウイルス感染拡大が問題になった際は、感染に対する適切な対応を行い、医療機関への一極集中に伴う二次感染やパンデミックを防ぐため、コロナウイルスに関する相談に限ったサービスの無料提供も実施。SNS等を通じてウイルス感染と闘う伊藤さんの姿を目にした方も多いだろう。 そんな取り組みを継続しているLEBERを使った医療相談件数は、新型コロナウイルスの期間中になんと20倍に増加したという。それでも伊藤さんは慢心せず、「さらに世の中の役に立つものになるよう、アプリを磨き上げていく」という目標を掲げ、LEBERの運営に打ち込んでいる。 一見順調なLEBERのようにもみえるが、少なからず苦労もあった。 伊藤さんは、LEBERを企画・運営スタッフを増強するために、イベント登壇などを行いながら人財のスカウトも行ってきた。数名のスタッフを仲間にすることはできたが、その後、組織マネジメントの課題にも直面し、メンバーが集団離職するというような憂き目にも遭ったそうだ。 当時を振り返って、「医療なら自分の専門分野だけど、アプリの専門的な部分は、正直自信が無かった部分もある」と伊藤さんは省みる。 しかし、運営を続けていく中で優秀な人材にも出会うことができた。今年、アルバイトとしてLEBER運営に参加していた地元大学院生が、株式会社AGREEに就職を決定。内定していた都内の大手コンサルファームを断った上での就職とのことだ。伊藤さんは、「この騒動を経た変化かもしれないですが、東京一極集中ではない時代が来るのかもしれません」と語る。 茨城発のナショナルブランドを目指す これまで伊藤さんは、一つのビジョンの元、老人ホームや在宅医療診療、在宅看護、そして医療相談アプリ事業を続けてきた。事業の規模はまだまだ成長段階。だが、「日本を代表するナショナルブランドにしていきたい」という大志がある。 これからの茨城県の可能性について、「茨城は都心とのアクセスも便利だし、すごく良い場所だと思います。新型コロナウイルスの騒動を経て、東京から少し離れた自治体の魅力も増してくるのではないでしょうか。密集へのリスクからも、茨城県のような自然豊かな地域で楽しむアウトドアというのも、キーワードになるかもしれません」と語る。 「LEBERやMED AGRI CLINICを、茨城発の日本を代表するようなブランドにしていきたいです。世の中の役に立つからこそナショナルブランドになる。いま僕たちは、人の健康や生命のために直結し命を救うサービスを作っているつもりだし、それを日本だけでなく、世界にも広めていきたいです」 そして「茨城発」という想いは、茨城の人たちへの恩返しの気持ちから。 「僕は進学でつくばに来てから、もう人生の半分以上茨城県にいます。それに研修医だったころは、まだ新人だった僕に体を預けてくださった患者さんのおかげで、医者として育つことができましたから、そんな皆さんへの恩返しの気持ちもあります」 起業を目指すなら、世の中に深くコミットを 2015年に起業してから5年、意欲的に経営を進めてきた伊藤さんが大切にしてきたことは二つ。 一つは「自分がいなくても回る組織を作ること」。 属人化を排除し、伊藤さんがいなくても組織がきちんと機能し続ける組織を作ることで、事業の継続的な運営が可能になる。もちろん、人と接する事業を行う以上、イレギュラーも発生するが、そこでは人間が持つクリエイティビティを発揮して対応していく。 もう一つは、「他の人が見逃してきたことに気づき、力を注ぐこと」。 伊藤さんの事業の中で言えば、給料が安いと言われる介護事業に目を向けたこと、老人ホームを時間が経つにつれ味わいの出る木材で作ったこと、ビデオ通話が流行っている中でもLEBERの医療相談の仕組みを、医師と利用者双方の負担を少なくするため、ビデオ通話ではなくテキストを使うチャット形式にしたことなどがそうだ。 もちろんこれまで失敗もあったが、伊藤さんは、それも成功へのプロセスと考えながら前に進んでいる。 「失敗したときは、成功のための過程だと捉える方が多いですが、立ち直れない大きな転倒ではなく、小さくたくさん転ぶように心がけています。一番最初に10億円の借金をしたときは、ちょっと危険でしたけどね」 最後に、起業を志す後進たちへのメッセージを伺うと「特に若いうちは、中途半端にやるよりは、しっかりコミットした方がいいんじゃないかな」と伊藤さんは語った。それは、伊藤さんが起業のビジョンを見出だす種が、心臓外科医として必死に取り組んできた10年間の中にあったからだ。その10年間があったからこそ、現代医療の課題や矛盾に気づき起業に至った。 「何かにしっかりと打ち込んでインサイダー(内部関係者)にならないと、起業の種も見つからないと思います。地方でも都会でも、世の中に相当深くコミットしていかないと、課題もその解決方法も、リアルなものを得られない。あれこれと手を出すのではなく、一つの分野にしっかりとコミットしていく時期は必要だと思います」 前の記事 次の記事