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茨城のヒト・コト・バ PEOPLE, THINGS, SPOTS OF IBARAKI
株式会社PR Table PR室/水戸宿泊交流場 PR担当
川島飛鳥さん
2拠点での暮らしで知った、自分の強みと茨城の魅力
近年注目される、2つの拠点を持つ暮らし。なかでも都市部にアクセスの良い地域で暮らしを楽しみながら、転職をせずリモートワークで仕事を継続する若いビジネスパーソンが増えているそうだ。
川島飛鳥(かわしま・あすか)さんは、まさにその一人。都内にあるベンチャー企業の社員で、コロナ禍をきっかけに茨城に戻ってコワーキングスペースのあるゲストハウス「水戸宿泊交流場」の運営に携わりながら、リモートワークで熱心に仕事に取り組んでいる。川島さん流の2拠点生活のいきさつや感想、そして茨城への思いなどを伺った。
「PR」への信念を胸に、東京と茨城で
水戸駅から歩いて20分ほど桜川を下った、城下町の気配が残るエリア。ここに、宿泊とコワーキングスペースの利用ができるゲストハウス「水戸宿泊交流場」がある。川島さんはオープン前からこの場所の運営に関わって1年以上が経つが、茨城に住み始めたのは実は最近だ。

漁網店だった建物を利用した水戸宿泊交流場。共有キッチンと共有リビングがあり、宿泊もドミトリー形式。宿泊者同士や運営者との関わりを楽しむのがゲストハウスの醍醐味。
「小学生のときに飼い始めた犬が今15歳で、シンプルに一緒にいたいなというのもあって」
そんな素朴な思いを口にする川島さんが暮らす実家は、水戸市からほど近い場所にある。コロナ禍になって以来、所属する会社では全員がリモートワークで、川島さんは実家やお気に入りのコワーキングスペースで、社内外とのオンライン会議や個別作業をしている。仕事によっては都内にしばらく滞在するほか、茨城以外の地域でも働きながら過ごすなどフットワークは軽い。
川島さんの2つの拠点には「PR」という共通項がある。所属する会社のメイン事業は、働く人を切り口に企業の魅力を伝える広報やPRの支援サービス。一方、「水戸宿泊交流場」ではその経験を活かし、noteというコンテンツ掲載サイトでの情報発信やSNSの発信、イベント企画など「PR担当」として運営に関わる。
PRについての考えを、川島さんはこんな風に話してくれた。
「『PR』は『宣伝』という意味で受け取られがちなんですが、本来『Public Relations』という意味なので、相手に何をどう伝えると好きになってもらえて、そしてどんな行動が生まれるかを考えてコミュニケーションをしていくことなんです。だから誰とどんな関係を築いていきたいかという点でいうと、どの職業の方もみんな『Public Relations』を実践していると思うんです」
そう信念を燃やすPRの世界は、急速なSNSの浸透でより複雑になり、川島さんの会社はより世の中に求められるようになった。川島さんは入社以来、顧客の成功体験を実現するカスタマーサクセスを始めとしたマーケティング概念を学び、会社の成長とともに役割を替えては実践を重ねてきた。リモートでの業務になった今も、その熱量は変わらない。
2拠点の暮らしを試して、自分らしさを取り戻す
「2020年は自分らしくいられなくなってしまったので、そこから比べると、またこうなれてありがたいです。今すごくバランスが良いです」

イベントの企画運営やSNS更新のほか、ゲストハウスのオペレーション改善など多岐に渡り関わる。無理のないように各々が得意なことを活かして関わることが、水戸宿泊交流場では大切にされている。
今の大きな笑顔からは想像ができないが、川島さんにも立ち止まる時期があった。
バランスを失ってしまった2020年というのは、コロナ禍のこと。川島さんは新卒採用で入社して4年が経ち、仕事が面白く人と会うことが楽しみだった中、社員全員がフルリモートでの業務になった。都内で一人暮らしをしていた川島さんは、人に会えないことや行動が制限される日々により、一気に元気を失ってしまった。
しかし、立ち止まる時間は、それまでを振り返る良い機会になったという。川島さんは、入社の動機をふと思い出した。
「大学生のとき、色々な地域や離島に行く中で、『地域に住む人を通して、地域の魅力を伝えられる人になりたい』と思うようになりました。そのためにPRについて学びたいと思って入社したんです」
その原点を思い出し、川島さんは再び「地域」に意識が向いた。場所は特に意識はしていなかったが、SNSを見ていたところ、「STAND IBARAKI」という茨城県主催のプログラムが目に留まった。これは茨城県内でチャレンジをしたい人が、自らのプロジェクトを実践するプログラムだ。
川島さんが早速イベントに足を運ぶと、水戸市出身の中村彩乃(なかむら・あやの)さんの企画に興味が湧いた。それが「水戸宿泊交流場」の始まりで、「水戸に小さな宿泊型のコミュニティスペースを作る」というものだった。中村さんは建築家で、建物という箱を作ることは専門だが、コミュニティ作りという中身については未知数。その部分が得意な人と一緒に運営をしたいと呼びかけていたのだ。
川島さんを魅了する要素はたくさんあった。地域や離島での経験から、地元茨城でコミュニティを作ることに興味があったこと。帰省ではなく、挑戦のために茨城に戻るという面白さ。
また、中村さんが東京と茨城の2拠点暮らしを実践していたことも心を動かした。川島さんも、2拠点での程よいバランスを見つけ出したいという思いが生まれ、2021年の1年間を「お試し2拠点期間」に設定した。

建築が本業の中村さんが宿泊スペースやコワーキング用のユニークな空間を設計したほか、たくさんの人が水戸宿泊交流場をオープンするためのDIYに参加をしてくれたという。
そうして茨城に通うようになり、「水戸宿泊交流場」では川島さんの力が色々な場面で発揮された。
中でも、水戸宿泊交流場がどうありたいかというコンセプトを言語化できたことは大きなことだった。当初はコンセプトが決まっておらず、情報発信もできていなかった。そんな中で宿泊予約した方はホテルに期待するようなサービスや空間を求めており、その方が体験したいこととのミスマッチが起きてしまった。そこで川島さんは、中村さんに「今後水戸宿泊交流場がどうなっていってほしいか」をヒアリングした。すると「地域に暮らす人と訪れる人の交流から、新しいことが生まれるきっかけとなる場」という核を見つけ、それを軸にウェブサイトを整え、メッセージを発信するようにした。すると徐々に、想定した利用者層が宿泊するようになり、ミスマッチのトラブルは起きなくなっていった。
それはまさに冒頭での川島さんの話にあった、「誰とどんな関係を築いていきたいか」という『Public Relations』の考えを持ってこそできることだった。
「地域に関わろうとしたとき、自分の何が活かせるのかが全くわかっていなかったんです。でもとりあえず動きながら気付いていこうと思って、そしたら『私のこれがここに活きるんだ』って一つ一つ見つかって。自分の得意なことに気が付いて、自信に繋がりました」

共有リビングで会社の人とオンライン会議をして、水戸宿泊交流場を紹介することもあるとか。共有キッチンのすりガラスや土間など、元の古い雰囲気を味わえる。
志を共にする仲間たちと、茨城で暮らしていく
川島さんが茨城で過ごす比率は東京よりも多くなっていき、「お試し2拠点期間」の1年はあっという間に過ぎた。そして高校を卒業して以来、10年ぶりに茨城にUターンをした。
周りの人はUターンと聞いて驚くそうだが、「都市部でも電車で1時間半の移動をすることは日常なのだから、水戸にいても同じこと」と川島さんは話す。ワークライフバランスも全く変わっていないそうで、茨城にいながら会社の業務はきっちりと進めている。
改めて、川島さんはなぜ茨城を主な拠点に選んだのだろうか。
「水戸宿泊交流場のオープン前から2年間活動をしてきて、そのなかで茨城の各地で活動している、同志と思えるような人たちと出会えました。その人間関係の輪は今どんどん広がっていて、『茨城ってこんなに面白い人がいるんだ』と発見し続けているところなんです。これからどんな人と時間を共にしたいかと考えたときに、今は茨城の人達との時間を増やしたいなと思って引っ越してきました」
誰とどんな関係を築いていきたいか。川島さんがPRで大切にしているこの思いは、川島さんの人生をも貫く信念なのだろう。

この日は研究調査のために長期滞在をする大学院生と、様々なゲストハウスに長期滞在してワ―ケーションをする社会人が利用していた。川島さんは雑談のなかから、水戸の楽しみ方をさりげなく伝える。
茨城での経験は、都内での仕事に還元できる
刺激をもらえる人たちと出会いながら、水戸宿泊交流場の運営にも工夫を凝らし、少しずつ場がまわってきたと感じる中、川島さんは会社で「メディア・リレーションズ」という新しいミッションを担当することになった。それはメディアの記者や担当者と関係を構築し、記事や番組で取り上げてもらうことで、企業や団体の魅力を伝えたい相手により多く届けるためのもの。PRパーソンとしてさらなる成長を目指す川島さんにとって、大切なチャンスだ。
その成長のために、川島さんは水戸宿泊交流場のPR担当として「メディア・リレーションズ」を実践することを考えた。ちょうどその頃に立ち上がったのが、水戸宿泊交流場での「アーティスト・イン・レジデンス」というアーティストが地域に長期滞在をしながら作品制作をする企画。取手市に住む東京藝術大学の大学院生が滞在し、最終日には展示会を開催することになり、川島さんはその企画を活かして地域のメディアと関係を築くことを目指した。
川島さんが試みたのは、記者に興味を持ってもらえるよう、企画の見せ方や要点、補足情報を記事にまとめることだった。会社の先輩や同僚はその動きを応援して、記事のタイトルや情報として必要な要素の提案、情報の送付先や具体的な連絡の仕方など、丁寧にアドバイスをくれたという。
その甲斐あって、興味を持ってくれた記者が取材に来てくれることになった。記者は事前に川島さんの記事を丁寧に読み、それを土台にして大学院生に深い質問を投げかけてくれたという。そして世の中に出た新聞記事は、「人」「水戸宿泊交流場」「地域」それぞれの魅力が伝わる読み応えのあるものだった。
この一連の経験は、川島さんの背中を強く押した。
「茨城で動いていることが会社での活動に活きて、これは本当に良かったです。この成功体験を自信にして、会社の新しいミッションをがんばっていこうと思っているんです」

事前にまとめたという記事。会社の先輩は水戸宿泊交流場での経験が川島さんの成長に繋がることを深く理解をしていて、記事作成に協力をしてくれた。
2拠点での暮らしが与えてくれた、柔軟な強さ
川島さんは、2つの場所を行き来していることを改めてこう話す。
「会社には新卒で入社したので1つの世界しか見えていませんでしたが、今は2つ目のコミュニティが出来たことで視野が広がりました。改めて会社の良い部分や改善した方が良い部分、社会にどのようなメッセージを伝えていけば良いのかなど、以前よりも俯瞰して見ることができるようになったと思います」
そして、元気がなくなっていた時期を思い出しながら、こんな風に話してくれた。
「自分の強みが何なのかを認識して言語化できていないことに、もやもやを感じていたんです。でも中村さんのように、全く関わったことのない分野の人と関わるようになって、『それ助かる、ありがとう!』と一つ一つ言葉にしてもらえたことで、自分が役に立てることや強みに気付けました」
今までとは別の場所、関わったことのない人達。そんな別の視点というのは、何かに行き詰ったときの、大切な突破口になるのかもしれない。