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茨城のヒト・コト・バ PEOPLE, THINGS, SPOTS OF IBARAKI
株式会社れんこん三兄弟
れんこん三兄弟
れんこん三兄弟の、つなぐ農業、とどける農業
茨城が収穫量全国トップの作物の一つに、レンコンがある。主に霞ケ浦周辺で盛んに作られており、湖の南側に位置する稲敷市も、レンコン収穫が盛んな地域の一つ。
霞ケ浦と利根川にはさまれたこの地域は、砂地の土壌が多く、年間を通して水量が豊富。白く肌ツヤのよいレンコンづくりにもってこいの土地だ。広大なハス田が広がり、収穫風景は地域の風物詩となっている。
そんな稲敷でレンコンづくりに取り組む会社、「株式会社れんこん三兄弟」がある。その名の通り、長男・宮本貴夫(みやもと・たかお)さん、次男・昌治(まさはる)さん、三男・昭良(あきら)さん兄弟が中心となって農業を営む。
ここで作られるレンコンは、高いレベルで安定した、味と供給量が特徴。口コミで広がっていき、現在では都内を含む約150店舗の飲食店で扱われている。
れんこん三兄弟の中では、対外的な動きが得意な長男が営業、商学部出身の次男が経理、寡黙な職人肌の三男が現場を主に担当。兄弟で役割分担の利点を生かし、幅広いノウハウや情報を集め、経営に落とし込んでいる。最高のレンコンを作ることはもちろん、農業への雇用と人材育成、顧客の開拓やファンづくりも積極的に実践。
きつい・汚い・危険の3K産業と言われがちな農業。しかし彼らは、レンコンの魅力発信や、新たな農業スタイルを広めることをモチベーションに、日々レンコンと向き合っている。
次世代につないでいく農業、消費者に届けていく農業に取り組むれんこん三兄弟。今回は、取り組みについて長男・貴夫さんにお話を伺った。
農業は斜陽産業というイメージを拭い去りたい
学生時代、家業を継ぐつもりは無かったという貴夫さん。大学卒業後は、学校の講師を勤めていた。
貴夫さん「社会人になり実家から離れてみて、農業という業種が、世間一般から『苦労しているのに報われないのは寂しいね』のような、哀れみの目で見られているような空気を感じました。自分を育ててくれた両親は、自分を大学にも行かせてくれたし、きちんと生活できているし、愚痴を言わずに楽しくやっていました。でもその一方で、メディアでクローズアップされる農家の声は下向きな発言ばかり。そのギャップに疑問を感じていました」
そう思っていたころ、たまたま実家に三兄弟が集まり、家業について話す機会があった。2002年ごろのことだ。
そのときに、「三人いる強みを活かし農業でしっかり生活することができれば、世間の人が持つ印象も変わるのではないか」「農業は斜陽産業というイメージを拭い去りたい」という思いを兄弟で共有。その後、半年と経たずに、実家に三人が戻ってきたところから、宮本さんたちの農業への道が始まった。
最初の3年間は、父の言うことをひたすら聞きながら畑で動き回る修行期間。そのうち、農業を進める1年の流れが分かってくると、畑の一画が兄弟に任されるようになる。この頃から、自分たちが作ったものが、世間でどう評価されているか知りたくなってきたのだそうだ。
貴夫さん「農業の業界としても、一般野菜やお米は競争相手が全国各地にいますが、レンコンは限られた産地しか無いんですね。レンコンを別の地域で新たに始めよう、というのもなかなか難しい。競争相手の問題や『地域産物』という特徴から、レンコンに絞っていこう、という方向性にしていきました」
その後、実践のなかで徐々に自信をつけ、2010年に「株式会社れんこん三兄弟」として法人化に至った。
そして現在、れんこん三兄弟は、単なる「美味しいレンコンの作り手」というだけでなく、農業への雇用や求人、レンコンのファン作り、販路開拓にも積極的に取り組んでいる。
「農業への雇用」という更なるチャレンジ
レンコンづくりを続けていく中で、販売先も増え仕事も徐々に安定。社名も相まってメディア露出も多くなった。そんな中、「農業でもきちんと食べていけることを伝えたい」という目標が一旦達成してしまった。
「このまま、体が動かなくなるまで農業をやっていけばいいのかな?」と考えたときに、新たなチャレンジしたいと思い、積極的な雇用を開始。会社としての保険、年金の制度を整えつつも、雇用についても勉強していった。
2012年ごろ、最初の雇用者として、地元の県立農業大学校の卒業生を採用。
貴夫さん「法人化当初は事業計画もなく行き当たりばったりでしたが、人を雇用する責任も意識しながら、長期的な目標や事業計画をたてるようになりました。現在では、『何年後にこの規模感になりたい』という目標も、しっかり作っています」
また、農業求人イベントへの出展や農業専門の求人サイトでもPRをしているという。「将来的には、中小企業として、一般企業と同じ求人イベントに出たい」と考えているそうだ。
貴夫さん「課題としては、教育・指導の仕組みができあがっていないので、そこをきちんと作っておきたいですね。そうじゃないと、入社してくれた人をガッカリさせてしまいかねない。思いを持ちながらも、仕組みをしっかり作っていきたいですね」
消費者に思いをとどける農業
Webサイトやリーフレットに、自社のレンコン農業の写真を積極的に掲載し、人々の目に触れる機会も作っている。写真はどれもプロが撮ったもの。とくに、収穫の様子を撮った写真からは、水辺の仕事場ということもあり、爽やかな雰囲気が伝わってくる。
貴夫さん「当初持っていた、『農業へのイメージを変えたい』という思いを少しずつ形にしてきました。雇用するときに、僕たちのイメージを具体的に伝えたい、というのもありますね」
これらの写真を掲載したリーフレットも作成。三兄弟のレンコンを取り扱う店舗に設置してもらい、お客さんに食材のストーリーを伝え、ファンを増やすためのツールとして使われている。
レンコンを扱う飲食業界の人や、消費者との顔を合わせた交流にも参加している。
取引先の料理長がレンコンの収穫体験にやってくることもあり、田んぼの様子やにおいを感じて帰ってもらうそうだ。飲食店の自主勉強会のテーマが「レンコン農家」のときは、貴夫さんも参加させてもらったことがあったという。
東京都内で行われた食のイベントでは、イタリアンのフルコースの料理すべてに、れんこん三兄弟のレンコンが取り入れる企画があった。約100名の参加者とともに、生産者と料理人、それぞれの思いを共有していった。
貴夫さん「うちの農業のやりかたが正解というわけではありません。でも、『私はあの人が農作業してるときの真剣な顔が好きです』『霞ケ浦から見える筑波山が好きだから、このレンコンがいいのよ』って思ってもらえる生産者でいたいし、そこまで思いを馳せながら食べてくださる消費者との関係も作っていきたいですね」
茨城のレンコンを世界に
父の下での、農業の修行から始まり、三兄弟で法人化。雇用体制の整備や、写真とリーフレットを使ったイメージ作り、消費者や料理人と実際に顔を合わせた交流を行うなど、単純な「作り手」にとどまらない活動を続けてきたれんこん三兄弟。次なる目標は何だろうか?
貴夫さん「レンコンを食べているのがアジア圏だけなので、アメリカ大陸、ヨーロッパにも食べてもらえるような環境を作っていきたいですね」
現在では、欧米の日本人街や中国人街に住む人が、中国からの輸入ものを食べている程度で、日本産の輸出は無いそうだ。目下、大学と連携して輸送実験を行っている。ゆくゆくは、欧米での現地生産も可能にしたいと貴夫さんは語る。
2020年の東京オリンピックも見据えており、貴夫さんは「銀座の天ぷら屋さんをウチのレンコンで埋め尽くせば、世界からやってくるVIPたちに知ってもらえる」という野心も持っている。ここまで来ると、「食文化を伝える」という取り組みにもなりそうだ。
れんこん三兄弟が取り組んできた、つなぐ農業、とどける農業。ぜひ一度、稲敷のレンコン畑を眺めに行ってはいかがだろうか。そして、作り手に思いを馳せながら、三兄弟のつくるレンコンを味わってみてほしい。