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茨城のヒト・コト・バ PEOPLE, THINGS, SPOTS OF IBARAKI
株式会社MIITO CREATIVE
川井真裕美さん
茨城ならではの二拠点のライフスタイルのつくり方
働き方、休日の過ごし方、地域との関り方、家庭や実家とのかかわり方などを考えたときに、「自分はこれからどんなライフスタイルを送っていこうか」と思いを巡らすことはないだろうか。
たとえば、最近よく聞くのがUターン・移住・二拠点生活。うまく自分の生活の中に取り込めれば、仕事やコミュニティなどの面でさらに充実させられるかもしれない。さらに、茨城県は、県内からも十分に都内に勤めることができるし、反対に都内からも十分に茨城に関われる、立地的な強みがある。
とはいっても、Uターンを考えているけど、地元には自分のスキルを活かした仕事があるかどうかわからない。
今回お話を伺った川井真裕美(かわい・まゆみ)さんは、二拠点生活の実践者。2014年にフリーランスとして独立。その後、2016年にグラフィックデザイン制作会社「株式会社MIITO CREATIVE」を設立した。都内を居住地にしながらも、東京と実家のある茨城県で、グラフィックデザイナー・イラストレーターとして活躍。軽やかなフットワークで、二つの場所で自分のスキルを活かしながら、仕事をつくり、こなしている。最近では、徐々に茨城に足を伸ばす機会が増え、「この前数えてみたら、ひと月で16日ぐらいは帰っていますね」とのこと。
無理なく自分の生活に合わせた二拠点生活。どんな経緯があって、今のようなスタイルになったのだろうか?
そもそも茨城のことを考えたことが無かった
川井さんは現在、都内と実家のある水戸市を電車で行き来しながら、グラフィックデザイナー・イラストレーターとして活躍するほか、茨城で活躍する女性たちのロールモデルを紹介するフリーペーパー『茨女(いばじょ)』を創刊し、編集長を務めている。
出身地は、茨城県水戸市。高校までは地元で過ごし、多摩美術大学への進学を機に都内での生活を始めた。川井さんに高校時代に持っていた茨城への印象を聞いてみると、「そもそも考えたことがなかった」のだそうだ。
川井さん「実家は水戸市内で、小中学校も学区内にありました。小学校は徒歩5分ぐらい、中学校には20分ぐらいで行けたし、高校も水戸市内なので自転車通学。生活のすべてが、自分の家の周りで完結していました」
大学では情報デザイン学科で学び、卒業後はそのまま都内で就職。当時はデザイン会社や企業のインハウスデザイナーとして働いていた。
祖母の介護をきっかけにUターンを考える
高校時代は、地元について特に印象を持っていなかった。しかし、そんな川井さんは、2012年ごろからUターンを意識するようになる。大きなきっかけは、実家での祖母の介護。
川井さん「最初にUターンしたいと思ったきっかけは、『大好きだったおばあちゃんの介護を助けたい』ということですね。両親は共働き。母は教員として働きながらも介護。私が週末に実家に帰ると、家族が疲れ切っていたり、ケンカをしていたりするんですよね。そういうのを助けたいと思ったのが、Uターンの行動を起こし始めたきっかけです」
また、都内の企業に勤めていた際、都内に出ている茨城出身の友達同士で行った飲み会も、地元について意識するきっかけの要因になったそうだ。
川井さん「茨城出身同士で飲んでいて、私が『最近人生に悩んでいて・・・・・・』『実家のおばあちゃんが・・・・・・』みたいなことを話していました。『みんな実家茨城じゃん?今、仕事をこっちでやってるけど、実家で介護とか始まったらどうする?』みたいな。そういう深い話をしながら、自分の気持ちがすごく救われました」
それだけでなく、友達それぞれが、色々な背景や思いを持ちながら働いていることが分かった。ここで聞いたみんなが持つ思いを、同じような悩みや不安を持つ人にも伝えたい、という気持ちは、『茨女』を始めるきっかけにもなった。
川井さん「『この話、人生で大切な話じゃない!?』と感じ、突発的にまとめてみたいと思いました。『このことメモっといていい?』と相談をして、みんなが語ってくれたことを書き上げていきました」
それぞれのエピソードをきちんと文章として書き上げて、Facebookページに公開するという形で『茨女』が始まった。今でこそ冊子を中心に展開しているメディアだが、もともとはライフワークのような感覚でスタートしたそうだ。
働き方への、ふとした疑問
実家のことを考える一方で、自分の働き方についても思うところがあった。
2013年ごろ話題になっていた「ノマド」という働き方。ノマドとは、IT機器やインターネットを駆使して、オフィスだけではない様々な場所で働くスタイルのことだ。ちょうどそのころ、川井さんはWebに関する技術を習得するため、会社に勤めながらもビジネススクールに通っており、その中で、フリーランスのノマドワーカーたちに出会った。
川井さん「そこで出会った方たちの話を聴いていたら『今時だな』と。正規雇用でなくても、掛け持ちをして複数の場所から収入をもらいつつ、自分のやりたいこともやる。そんな柔軟なスタイルで働く方が多かったです。今まで『正社員じゃないと生きていけない』みたいな漠然とした不安がありました。でも冷静になってみると『会社に行って、何で毎朝この時間に座っていなくちゃいけないんだろう』と疑問に思うようになってきました」
そんな疑問を持つのと同時に、仮に茨城にUターンして働き始めたとして、「今と同じような仕事はできるの?」「茨城ではどんなライフスタイルになるんだろう?」という疑問や不安も湧いてきたという。というのも、茨城での就職を考え、インターネットで就職情報を探したこともあったが、仕事以外の部分、例えば通勤についてや、休日の時間の使い方が見えてこなかったそうだ。
川井さん「会社や仕事の情報は検索で出てきますが、その先のライフスタイルに関わることが不透明でした。身近な知り合いの、茨城で暮らすモデルケースみたいなものを聴く機会もなかったですね」
自分の中にある優先順位を考えた働き方
実家のこと、働き方のことを考えつつ、オフィスで仕事をしながらも「ここではない別の場所でPC開いていても同じパフォーマンスで仕事ができるのにな」という気持ちが日に日に募っていったという。茨女のこと、ビジネススクールで出会った新しい働き方をしている人との会話を考えながら自問自答を繰り返した。
そのなかで「グラフィックデザイナーでも、営業力や経理の知識を身につけていけば、フリーランスとして活動できるのでは」という仮説にたどり着く。そして、当時働いていた会社の上司に「一年後に会社辞めます」と意向を伝えて、独立の準備を始めた。
川井さん「Uターンだけではなく、フリーランスっていう選択肢もあるかも、と思いました。茨城にも帰るけど、東京でも活動するし、海外にも行きたいという思いもありましたしね。独立するときは、分からない事をそのままにしておくと不安が募っていくので、何が不安なのか、何が自分の中で優先順位が高いのか、どれぐらい働けばいいのか、ということを明確にしていきました」
無理することなく、縁のあった仕事を全うする
会社の上司や家族の理解もあり、2014年に独立。東京に住みながらも、水戸に事務所を構え、東京と茨城の二拠点生活が始まった。続いて2016年に法人も設立している。会社としてしっかりと仕事の基盤を構えながらも、フットワークを活かしたライフスタイルを送っている。移動の時間や費用は大変だが、何度も茨城に足を伸ばすことは、仕事を行う上での信頼関係の構築にもつながっている。
川井さん「確かに交通費は掛かりますが、何度も足を運ぶことで、『ちゃんと関わってくれる人なんだな』という信頼関係ができて、仕事も増えていったのかもしれませんね」
もちろん、水戸にある川井さんの実家にも顔を出している。水戸に帰る頻度が少なかった頃は、家族から「お客様」のような感覚で扱われていたという。しかし今では、「今日は何しに帰ってきたの?」と言われるほどに、東京も茨城の実家も、川井さんにとっての日常の場所。実の娘が家にちょくちょく顔を出してくれるというのも、親にとっては安心する面もあるだろう。
祖母の介護をきっかけに、自分の働き方や暮らし方を考え、自分のスタイルに合った二拠点生活を行ってきた川井さん。今後の仕事や生活の仕方については、どんなことを考えているのだろうか。
川井さん「独立してデザインの仕事を続けてきて、地元の企業さんも応援してくださったり、私自身の可能性を試してくださったりと、応援していただいています。今は、まずは自分の成長とともにステップアップしようと思っています。二拠点生活でいえば、旦那さんと結婚していま四年目になるんですけど、もし子供ができたとしても、今の通り生活ができるんじゃないかな、と思っています」
デザインの仕事も、茨女としての活動も、きちんとこなしていけば、仕事や周りからの信頼も高まっていく。川井さん自身、活動する中での感覚や、自社の決算報告書の内容からも、それを実感しているそうだ。
川井さん「とはいえ、年齢や働く時間も体力と相談、というところもあります。子供ができたら仕事も少しペースダウンする、ということも重要かもしれませんね。無理することなく、ご縁のあったお仕事を全うする。そこで何か新たにやりたいことが生まれたら挑戦していく。それぐらいのスタンスでいます」
そんな自由なスタンスを選べるのも、仕事の信頼と機動力を活かした二拠点で生活する川井さんならでは。
地元と関わりたいなら、まずは行動
最後に、これからのライフスタイルを模索する中で「今は東京に住んでいるけど、ゆくゆくは地元と関わりたい」という人は、どんな一歩を踏み出してゆけばよいのか伺ってみた。
川井さん「たとえば、地元の同窓会や飲み会に参加すると良いかもしれません。実際にそこにいる友達に会いに行ったほうが、情報が入ってきますしね。今はどこにいても情報の検索ができますが、それだけでは時間が経ってしまうだけ。やっぱり、行動を起こすことが大事だと思います」
もちろん、川井さんを始め編集部が作る『茨女』も、これからのライフスタイルを考える上で一読の価値あり。茨城に縁のある、20代から30代前半の女性たちのロールモデルが紹介されている。茨城で、どんな暮らし方、働き方があるのか、彼女たちの生き生きとした表情の写真と等身大の言葉から知ることができる。アクションを起こすきっかけにもなるはずだ。
都内にいながらも、仕事、生活、地元、実家などを意識していきたいなら、まずは切っ掛けを作り行動を起こすこと。それが、次のライフスタイルのスタートになるかもしれない。