- トップページ
- 茨城のヒト・コト・バ
- 茨城のヒト
- 綾部みよ(ちゃんみよ)さん
茨城のヒト・コト・バ PEOPLE, THINGS, SPOTS OF IBARAKI
フリーアナウンサー/司会
綾部みよ(ちゃんみよ)さん
街を見つめながら活動すると、地元がどんどん好きになる
茨城県牛久市を拠点にしているインターネットテレビ局『ちゃんみよTV』をご存じだろうか?
手作りながらも本格的な撮影スタジオで、平日19時から放送される牛久市の情報番組『夕暮れモーモー』を中心に放送中だ。11の番組を企画し、出演するMCは総勢40名以上。地域の企業も、番組を支えるスポンサーとして協力している。放送だけでなく、街や家族に向けた社会貢献事業も実施中。
まさに、地元愛溢れるローカル放送局。
『ちゃんみよTV』をスタートさせ、代表として放送を続けてきたのが綾部みよ(あやべ・みよ)さん。牛久市で育ち、大学進学後は、地元牛久から都内へ通っていたが、大学2年生からは都内で一人暮らしをしていた。「地域は一つの大きな家族がモットー」がキャッチコピーと聞くと「昔から牛久が大好きだったからローカル放送局を始めたの?」と思ってしまうが、実は違う。なんと、昔は牛久が嫌いだったそうだ。
そんな綾部さんは、どのように地元を好きになり、放送を続けながら牛久を見つめ、地域と関わってきたのか。これまでの活動や、感じてきたことについて話を伺った。
嫌いだった地元を、震災をきっかけに見つめ直す
地元で過ごした、綾部さんの小中学生時代。クラスでの友達関係や、親戚づきあいを通じて知った東京のきらびやかさとは対照に、牛久に対して「ださい・嫌い・恥ずかしい」というネガティブな印象を持っていた。中学卒業後は、市外の高校に進学。大学も都内に進学し、就職も都内。実家から都内の職場に通勤していたが、地元では、駅と家の往復をする程度の関わりだった。
そんな生活を送っていた毎日の中、2011年3月に東日本大震災が発生。これが地元を見つめ直すきっかけになった。
震災が発生当時、帰宅難民になってしまった綾部さん。なんとか帰宅したときに、家族が暖かく迎えてくれたこと、近所の人たちが親切に助けてくれたことが、とても嬉しかったそうだ。中学を卒業してから10年間、地元から目をそらしてきたが、振り返ってみると、卒業式、入学式、成人式などの人生の節目や日常生活の中でのあいさつなど、街の人たちが温かく見守ってくれていた。
牛久の街で、何かをしたい
「家族が温かく迎えてくれたり、水や電気が使えない中でも近所の方が『うちの井戸水使いな、お風呂使いな』と声をかけてくれて。このとき、地元ってこんなにほっとするんだな、って気づいて、『ここで何かしたい』という気持ちが初めて湧き起こりました」
震災後は、被災がきっかけで仕事への使命感も強くなり、都内に引っ越しをして一人暮らしを始めた。一方で、もともとイベントの企画や運営が好きだった綾部さんは「今しかできなことをやろう」と思い、仕事以外にも、都内での「家族の日」を広める活動や、牛久での地域活動をはじめ、様々な企画やイベントに精力的に参加。
しかし、無理が祟って体調を崩してしまったそうだ。
「仕事もやるし、地域の活動もやりたくて頻繁に牛久に帰っているし、都内での「家族の日」のイベントで実行委員会もやる、という風に動いていたら、体のバランスを崩してしまいました。色んなことを一杯やりすぎてしまって、自分がパンクしそうになって、『自分はいったい何がやりたいんだ?』と考えるようになりました」
そこで、会社の上司に相談し、仕事を休職。ふたたび地元に戻り、牛久での活動を活発にしていくことになる。
地域の活動って楽しい
牛久で取り組んだ最初の活動は、筑波山の名物大道芸でもある「筑波山ガマの油売り口上」。ガマ口上の活動に取り組んでいる綾部さんの父親から勧められたのがきっかけだ。そこで、綾部さんは女子だけのガマ口上チーム「おくのガマガール」を結成。
「父と筑波山に登ったときに勧められて、『おくのガマガール』を結成しました。活動の中で、子供たちと触れ合いながらガマ口上をやるし、街の大人たちもそこで声をかけてくれるし、地域との繋がりもできる。ガマガールをやりながら、『地域の活動って楽しい』って思ったんですよね」
さらに、おくのガマガールから生まれた繋がりから、イベントのライブ配信も体験。これが、インターネットテレビ局『ちゃんみよTV』を始めるきっかけとなった。
「ガマガールの活動で知り合った方に誘ってもらい、イベントの手伝いに行きました。そのときに『Ustreamで会場の様子を配信してみたら?』と言ってくれて、実際にネット配信してみたら意外と簡単で。『これって、自分で番組作れるじゃん!』と思って、じゃあやってみようということで2012年5月7日に『ちゃんみよTV』を始めました」
放送初期のころは、新聞やWebなどを使って、牛久の情報を集めて発信するところからスタート。手探りながらも徐々に活動の幅を広げ、番組に出てほしい人がいれば、ひとまずメールを出して出演依頼し、必要があれば、自分で取材にも出かけていった。『ちゃんみよTV』は「牛久市の情報をお届けする番組」と謳っているが、大きな役割を担うような気負いは無かったそうだ。
「最初は、綾部みよという何も知らない一市民が、地域に出て知ったことを発信する場、という風に思って放送を始めました。それだけじゃなくて、集まったみんなの声を代弁することもできる、というのもインターネット生放送の良さだと気づくことができました。みんなが意見を言える場づくりみたいなものができていったらいいな、と思ってきましたね」
続けることで、自然に集まる街の仲間
2012年に始まった『ちゃんみよTV』。2017年からは番組を『夕暮れモーモー』にリニューアル。2019年1月現在、合計放送回数は1,500回を超えている。
最初は一人で始めた活動も、7年近く活動を続けていく中で様々な出会いがあり、ともに活動する仲間も増えていった。現在では、スタッフや関係者合わせて60名以上が番組に参加している。番組に取り組みながら、地域コミュニティやイベントへの顔出し、出張放送なども積極的に行ってきたが、仲間集め自体はあまり意識していなかったそうだ。
「『メンバー募集してます』という告知を出したりもしましたが、『ちゃんみよTV』の仲間は、みんな自然と集まった感じなんですよね。たまたま出てくれたゲストさんが番組を面白がってくれて、定期的に出演するようになったこともあります。私がパソコン内臓のカメラとマイクで放送してたころ、『音響が良くない』と言ってくれた方が番組の音響を担当してくれるようになりました。その方は今でも番組制作に関わってくれています」
長く続けていく中で、『ちゃんみよTV』自体が、コミュニティのような役割も果たしているという。
「放送局だからか、人が集まりやすいのかもしれませんね。運営側としても出演依頼などで関わりのきっかけを作りやすいから、この場自体がコミュニティになっているのかな、と思っています。ここで出会った人が仲良くなったり、新しいことを始めたり。それはすごく嬉しいことですね」
意識的に関わることで、街を好きになっていく
最近の『ちゃんみよTV』の番組では、綾部さんは裏方に回り、出演を後輩MCに任せている。後輩たちとは、地域活動の関りの中で知り合った。
「この子たちに前に出てもらいたいから、私は裏方に回ることが多くなっています。この子たちみたいな若者が放送をやることで、街に対する思いや愛着も強くなる。だからこの子たちには『街に飛び出せ!』って言ってますね。若い子たちが、番組の制作を通じて街のことを自分の言葉で伝えられるようになって、『こういう番組にしていきたい』と思えるようになったら、次のステップだなと思います」
若手MCたちは、意識的に街に関り、地域の大人たちと話をしたり、時には自分達の想いが伝わらずに辛い思いをすることもあるという。アルバイトとは違う、放送局ならではの経験を積みながらも、彼ら自身の中にも緩やかなコミュニティを作りつつあるそうだ。
そんな若手を、綾部さんはお姉さんのような立場で見守っている。ただ、「ずっとここに留まることはない」とも語る。
「若者は将来があるから、ずっとここに留まることは無いと思います。牛久からどこかに出て、また地元に戻ってくる人もいるし、ずっと東京にいる人もいる。だけど、ここで意識的に街に関わっていくことで、牛久を嫌いにはならないはず。『ちゃんみよTV』が、行ってらっしゃいと、送りだせる通過点みたいになったらいいなと思いますし、戻ってくる人にも『おかえりなさい』と言える場所でもありたいです」
意識を向けることで、見え方も変わってくる
地元牛久市を意識的に見つめながら、活動を続けてきた綾部さん。以前は嫌いだった牛久も、今では大好きな街だ。放送を通じて、牛久の街をどのように見つめているのだろうか。
「牛久には、いろいろな人がいて、活動があって、ドラマや思い出がある。そういうところが、自分の街の魅力だなと思っています。毎日放送をするので、へこんだ時でもやらなくちゃいけない。でも、放送をやると皆からパワーをもらえます。出演者がスタジオに入ってきたときは「おかえり」って言うし、番組が始まるときにも「みなさんおかえりなさい」って言うんです。そういうところからも、ホッとできますね」
震災をきっかけに地元を見つめ直し、街を見つめながら地域に関わってきた経験を話しながら、「自分が暮らしている場所に意識を向けることで、見え方も変わってくると思います。そうすると、いろいろなところから魅力が見えてくると思うんですよね」と綾部さんは語っていた。
かつて「うちの地元は何もないし、好きじゃない」と言って都会に出た人は、意外と多いかもしれない。それでも、ちょっと地元が気になるんだよな、という方は、まずは地域のヒト・コト・バを意識して見つめ、関わってみてはどうだろうか。これまで知らなかった地元の魅力を見出し、暮らしの中に新たな展開が生まれるかもしれない。