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茨城のヒト・コト・バ PEOPLE, THINGS, SPOTS OF IBARAKI
ただいまコーヒー
和田昂憲さん
”ただいま”と言いたくなる場所から、チャレンジする人を応援する
JR常磐線日立駅の駅前通りを10分ほど歩いて、路地裏に入る。大通りの喧騒が届かない道を進んでいくと、路地裏の開けた場所に佇んでいる「ただいまコーヒー」に出会える。
日立市出身の和田昂憲 (わだ・たかのり)さんが、Uターンの後、オープンさせたコーヒー専門店だ。
ここで和田さんがコンセプトとして掲げているのが、「”ただいま”と言いたくなる場所をつくる、お手伝い」。単なる飲食店であるだけでなく、コーヒーをきっかけに、街や人と繋がっていくのが特徴。美味しいコーヒーを味わえることはもちろん、地域住民との交流や企業とのコラボレーション、コーヒーセミナー、何かにチャレンジしたい人への応援なども行っている。
ただいまコーヒーは、店舗がオープンする前から、コーヒーセミナーや自家焙煎豆の販売などで、地域のファンを作ってきた。今でこそ、コーヒーだけにとどまらない活動を地元で行っている和田さんだが、実は地元日立が嫌で茨城を出ていった過去を持つ。大学進学を機に地元を離れ就職したが、そこで挫折を経験。逃げるように移住をした後、憧れのコーヒー専門店で修行するなど、紆余曲折を経て、ビジネスコンペの参加をきっかけに開業までこぎつけたのだ。
「地元が嫌いだから出ていった」という話はよく聞くかもしれない。しかし、それでも和田さんは再び地元に戻り、日立市に「ただいまと言える場所」を作っている。その思いの背景には、どんな動機があったのだろうか。
オープンまでの紆余曲折
「コーヒーは、人をつなげるコミュニケーションの飲み物だと思っています」と語る和田さん。まずは、ただいまコーヒーを始めるまでの経緯について伺った。
「母親の料理を手伝うとか、家族に焼鳥を焼いてふるまうとか、そういうことをよくやっていましたね」
そんな子供時代だった和田さん。料理を通して家族に喜んでもらうことが好きだったそうだ。喫茶店に興味を持ちだしたのは中学2年生のころ。日立市の銀座通りにできたダイニング「SecondEarth」に行ったときに、「いつかこういうお店をやってみたい」と思ったのがきっかけ。
その一方で、日立の街のことは嫌いで、「大学は県外を志望していたし、茨城で就職するなんてありえない」とまで思っていたそうだ。
ただ、一度は地元を出ていったが、大学三年生のころに行った韓国でのインターンシップが、日立市を意識するきっかけになった。
そこで出会った事業家から、人生のミッションステートメントを刷り込まれたことで、「ただ就職するよりも、自分の使命感に燃えた働き方を青臭くやりたい。自分がいま一番燃えられる使命感ってなんだろうとて考えたときに、やっぱり日立市だな」と感じたそうだ。また、帰省するたびに感じ取っていた街も人も廃れていく様子からも、「このまま見過ごしていったら後悔するな」という思いも抱いていた。
大学卒業後は、大手企業の内定を蹴ってベンチャー企業を選択。社長の価値観に惹かれ、ここで修行したいという思いでの就職だった。しかし、結果を出そうと自分を追い込んでしまい、心身の不調をきたし、入社後半年で退職してしまった。
「今思えば、人のため、と言いながらも、結局自分の欲求を満たせなくなって偽善的になっていたんですね。睡眠時間削ってがんばっても、全然結果が出ない。負のスパイラルに入っていましたね」
退職後は、沖縄へ逃げるように移住。滞在型リゾートホテルで、プライドを捨てて様々な仕事に取り組んでいった。一方、以前の職場では目標を明確にしてストイックに仕事に取り組んできたが、沖縄では「休みたいときは休む」といった生活も意識。現地で様々な人と出会い、お酒を飲みかわし、話をする中で、気持ちの余裕も生まれてきた。
「自分の気持ちを素直に受け入れられました。認められたい、目立ちたい、お金も稼ぎたい、という気持ちはあって当然。そのうえで、結果的に人のためになれば自分の幸せに繋がる、みたいなところに気づけましたね」
そんな中、和田さんに転機が訪れる。Webメディアの記事から、愛知県にあるコーヒー専門店「コーヒーサクラ」の存在を知り、オーナー大西さんの思いに共感。「一緒に働きたい」という熱意をしたためた手書きの手紙を、大西さん宛てに送る。熱意が伝わり、その後2年間、コーヒーサクラで修行しながら、コーヒー作りや経営について学んでいった。
コーヒーサクラに勤めながらも、「茨城県北ビジネスコンペティション2016」に参加。頻繁に茨城に足を運べるわけではなかったが、企画書類に「ただいまコーヒー」の構想と熱意を詰め込み、みごと優秀賞を受賞。そして2017年1月ごろ、地元日立市に戻り、喫茶店に興味を持ちだしたきっかけとなる「SecondEarth」に籍を置きながら、自家焙煎のコーヒー豆販売やコーヒーセミナー、クラウドファンディングによる資金調達、店舗オープンの準備などを実行。
2018年1月、現在の場所に「ただいまコーヒー」の店舗をオープンさせた。
コーヒーに限らず、チャレンジを後押しする場
挫折や様々な経験の果てにオープンさせた、ただいまコーヒー。
「やっていることは一つで、『ただいまと言いたくなる場所をつくるお手伝い』に尽きます」
そのために、和田さんはお店を介した人との繋がり作りも大切にしている。例えば、地域に住む人が、意識的に街に関わっていくためのきっかけづくり。
「ただいまコーヒーの店内には、街の人が、自分のおススメする本を自分の名刺と一緒に展示する、というスペースがあります。自分の名前を、パブリックな場所に出していく経験作りですね。『なにかやりたいけど、一歩踏み出せない』という方には、例えばその方が教室を開くのを僕がサポートする、ということにも取り組んでいます」
これまで、ただいまコーヒーのスペースを貸し出し、コラージュセラピー、傾聴Cafe、部屋の整理収納教室なども開催されてきた。
ガラス張りで明るくオープンな雰囲気、そしてにこやかに話しかけてくれる和田さんのキャラクターからも、チャレンジする人たちを後押ししているように感じられる。
他にも、セミナーをやろうと思っている人、自分で商売を始めようと思っている人なども、和田さんのところに相談に来ることがある。中には、県外から「話を聴かせてください」といって足を運んでくれる人もいるそうだ。和田さんが近所の学童施設にもボランティアとして関わっていることもあり、学童の小中学生たちも店に遊びに来てくれるとのこと。また、地元企業とのコラボレーションの企画が進んでいたり、ひたちなか市で新規オープンするカフェの手伝いにも出かけたり、コーヒーに限らず、さまざまなチャレンジが街や人をつなげている。
オープン前後に様々な取り組みを行っており、そのせいか「開業で苦労したことは?」という質問を受けることもあるそうだ。
「苦労や失敗、というとらえ方はしなくなりました。全部ネタになるし、失敗は全部成功へのプロセスですね」
頑張りたい人が頑張れる社会にしていきたい
2017年1月に日立市に戻ってきてから、店舗をオープンさせ現在に至るまで2年弱。地元日立市に戻り、濃密な時間を駆け抜けてきた和田さん。嫌いだった日立を好きになり、街の人と関りながら活動を続ける根底には、どんなモチベーションがあるのだろうか。
「根っこにあるものは『ただいまと言える場所』が日立だった、ということかもしれませんね。どんなに苦しくても、帰れる場所があるだけで救われる。ただいまコーヒーを『in hitachi』じゃなくて『from hitachi』って言っているのも、この場所から始めていきたい、という思いがあるのかもしれませんね」
また、「対象を好きになれるかどうか」ということが、和田さんの仕事のモチベーションにつながるそうだ。現在、日立市をどのように見つめているのだろうか。
「日立市への危機感から何かしたい、というのが、最初の切っ掛け。やっぱり地元はいいなあ、という思いから、徐々に好きになって、日立により希望を持てるようになってきましたね。ただいまコーヒーに関わる人を通じて、ちょっとは街に栄養を与えられているかな、という実感もあるので、より楽しくなってきています」
日立に帰ってきてから、ただいまコーヒーにやってくる人、何かにチャレンジしたい人など、和田さんは、自らアクションを起こそうとしている人を応援してきた。そこには、「人が頑張れる社会にしていく」という思いもあるそうだ。
「頑張りたいと思う人が頑張れる社会になったらいいな、と思っています。僕は、家族の存在とクラウドファンディングの経験から、必要なお金と情報が、必要としている人の手元にあることの尊さを知りました。加えて、失敗してもクッションのように倒れこめる場所があることも大切。でも、学童や養護施設に行って、そうじゃない人もいることを知ったので、そういうところに対してすごくモチベーションがわいてきます。1人では頑張れない人や、ちょっとでも背中を押せば頑張れそうな人を助けたいという欲求みたいなのがありますね」
そんな、和田さんの「応援したい」という思いとアクションの一つが、2018年11月から経営のパートナーとしてただいまコーヒーに参加した神定祐亮(かんじょう・ゆうすけ)さんのエピソードだ。
本当にワクワクすることを見出す応援
神定さんは、大手コーヒーチェーンの社員として5年間勤務。2018年に退職。子供時代は料理を作って親を喜ばせるのが好きだったそうだ。和田さんとは、似た過去を持っている。
和田さんと知り合ったのは、メディアを見て「ただいまコーヒーというお店ができた」という情報を知ったことがきっかけ。何度かただいまコーヒーに顔を出し、和田さんと交流してきた。
当時、再就職先を探していた神定さん。内定を得た際は、就職の報告をしに和田さんの下へ足を運んだそうだ。そのときの神定さんは、再就職が決まっていたとはいえ、次の仕事に対してモヤモヤした気持ちを抱えており、気づけば、3時間近く和田さんと話し込んでいた。
そこで、お互いの将来のビジョンのことなどを話したうえで、神定さんは和田さんから「一緒にやらないか」という誘いを受けたそうだ。
しかし、和田さんの中には「人と一緒にとやることの難しさは、すごく分かっていたつもりなんです。だからこそ、本当に入ってくれるならば、お互いに相応の覚悟が必要だし、神定さんが中途半端な思いのままでは受け入れることはできない」という思いがあった。
そこで和田さんは、神定さんに沖縄への旅を提案。
沖縄を勧めた理由は、和田さんが過去に、沖縄で過ごし人々と交流する中で自分自身を見つめ直すことができた、という経験をしてきたからでもある。
このとき、和田さんの中にどんな思惑があったのか聞いてみると、「神定くんを前にして言うのもなんだけど」と照れくさそうに前置きしながらも答えてくれた。
和田さん「神定君と話していて、もっと自分にとって本当にワクワクすることを大事にしていかないと、『ただいまコーヒー』で働いても続かないと思ったんです。自分のためにバーンとお金を使ったことも無かったみたいなので、彼に『返さなくていいから』って旅費を渡して、沖縄で自分の気持ちを開放してこい!って送り出しました。それでもただいまコーヒーでチャレンジしたいと言ってくれるなら、彼と一緒にやっていこうという思いでしたね」
和田さん自身も、過去に辛い思いをした経験がある。だからこそ、少しでもいいから力になりたい、という思いがあったそうだ。
後押しを受けた神定さんは、すぐに航空券を買って、出発。2018年の10月半ばに5日間かけて、メモを取りながらも、沖縄の土地に触れ、島の人たちと交流を図ってきた。
神定さん「沖縄に行って、吸収してきたというよりは、『吐き出してきた』」という感じですね。島の人とお話しながら、自分の思いを吐き出して、自分自身の本当にピュアな部分を磨けたように思えます。その部分を仕事につなげるのであれば、接客とか、接客業に着きたい人のサポートとか支援とか、そういうことをしたいなと思えてきました」
沖縄から戻った神定さんは、2018年11月からただいまコーヒーに参加。働き始めて、まだ1か月(Re:BARAKI取材時)。しかし、和田さんと神定さんが持つそれぞれの力を活かしあいながら、「ただいまと言いたくなる場所」を作っている。
和田さん「神定くんとは『ただいまと言える場所』の感覚値をすり合わせて、言語化していきたいと思っています。そのうえで、いわゆる理念みたいなものををいっしょに作っていくことが大事かなと思っていますね」
神定さん「擦り合わせは、やればやるだけ二人のアイディアが交わって、お店の中に刷り込まれていくような感じがしています。時間を作るのは難しいと思うのですが、そういうところにどんどん時間をかけたいなと思います」
これから地域で頑張りたい人へ
かつては地元が嫌で出ていったけど、また戻ってみたい。戻ったからには、和田さんのように、街や人に意識を傾けながら活動をしてみたい。そんなことを考えながら、活動の切っ掛けを考えている人もいるのではないだろうか。
インタビューの最後に、和田さんが思う「Uターンしてみよう、もう一度地元に関わってみよう」という人に対しての、アドバイスを聴いてみた。
「3つあって、まず1つは、なにかやる対象を決めるときに、「小躍りしたくなるぐらいそのことが好きか」「そのことが人よりうまくできるか」「それで満足いくまで自分が稼げるか」「そこに意義はあるか」の要素で考えます。地元に帰って、起業するにしろ、ボランティアをやるにしろ、その人の個性が発揮できる考え方が整理されるのかな、と思います」
新しいことを始めるときに意識すると考えやすいのでは、ということだ。
和田さん「2つ目は、文化の時代と言われている中で、自分の名前をパブリックに出すことに抵抗を持たずに、どんどん発信して行くべきだと思います。3つめは、『ウルトラCは無い』ってことですね!結局、奇策とか大逆転劇とかなくて、活動するなら、粛々と努力をしろと。ちょっと偉そうですが、自分への戒めも込めて言っています」
失敗は面白い経験になる
挫折や逃亡、新たなチャレンジを経験し、起業。それだけでなく、チャレンジする人の応援もしてきた和田さん。
インタビューの中で和田さんが語った「チャレンジしたら、失敗しても良いと思っていて。たとえ失敗しても、僕が40歳ぐらいになったときに、面白い経験としてみんなに話せるんじゃないかと思って」という言葉から、紆余曲折の末、地元で活躍しているプレーヤーの力強さを感じた。
そんな和田さんが作る、ただいまと言いたくなる場所。これからどんな人があつまり、どのように育っていくのか、とても楽しみだ。