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茨城のヒト・コト・バ PEOPLE, THINGS, SPOTS OF IBARAKI
高萩市地域おこし協力隊
笹川雄也さん・笹川美奈さん
農業を軸に、地域・行政・自分それぞれの良さを引き出しあえる関係を築く
暮らしや仕事をしながら、深く地域に関わることができる制度「地域おこし協力隊」。
隊員になると、最長3年間、地方自治体からの委嘱を受け、地域で生活し、農林漁業、環境、医療、観光、教育、地域づくりなどの各種の地域協力活動に従事していく。茨城県では、 平成30年10月現在(茨城県計画推進課調べ)、82人もの隊員たちが 、それぞれ様々な職業・学業などの経験と、街への思いを持って活動に参加している。
移住の手段としても地域おこし協力隊を利用したいという方も多いはず。しかし、隊員たちは、どんなきっかけでこの制度に出会い、 地域での3年間をどのように過ごしているのかを知る機会は少ないのではないだろうか。
そこで今回は、高萩市の地域おこし協力隊として夫婦で活動してる、笹川雄也(ささかわ・ゆうや)さん、笹川美奈(ささかわ・みな)さんにお話を伺った。
二人は現在、 市内の山間部で無農薬の食用ほおずきを栽培しながら も、地域おこしに取り組んで
いる。そして農業にとどまらず、人が集まり、ライフスタイルを提案できる場所を作ろうとしている。
そんなお二人に、高萩市までたどり着いた経緯や、協力隊の活動、これから取り組んでいき
たいことについて教えていただいた。

笹川さんたちの育てる無農薬の食用ほおずき「ゴールデンベリー」
日本とオーストラリアで農業を学ぶ
雄也さんと美奈さんは、二人とも福島県いわき市出身。もともとは、夫婦ともに同じスーパーマーケットの従業員として働いていた。当時、商品発注を担当する部署にいた雄也さんは、「海外から買い付けを行うバイヤーになりたい」という思いもあり退職。当時すでに雄也さんと結婚していた美奈さんも合わせて退職し、2013年、二人は英語を学ぶためにフィリピンへ語学留学に向かった。
留学中は、世界一周を計画する人、起業を志す人など、様々な人たちに出会い刺激を受けたそうだ。三か月の語学留学終了後、当初は欧米に向かうつもりでいたが、フィリピンで受けた刺激から「自分は本当は何をやりたいんだろう?」というためらいもあり一時帰国。
自分の気持ちを紙に書き出して見つめ直していく中で出てきたのが、「農業」というキーワード。だったら挑戦してみよう、と思い、夫婦で農業の世界に飛び込んでいった。
そして2014年ごろから、初めに山梨県の農業法人、その後は長野の有機農家に、夫婦そろって農業研修に参加。日々の作業に取り組みながら、仕事を覚えていくこともできた。農業をしながらも、「これなら自分で独立してできるな」という感触も、雄也さんの中では掴めていたそうだ。
長野県での農業が農閑期に入ったころ、いよいよ「どこかで腰を据えて、自分で農業をやろう」と思い、地元福島に戻りやすく、農業大国でもある茨城県の中で就農の場所を探していた。
しかし、米作りを学べる場所を調べていたときに、「日本人農家がオーストラリアで米作りを行う」というプロジェクトを発見。面白そうだな、と思った雄也さんと美奈さんは、すぐにオーストラリアに行くことを決断。

オーストラリアで稲作を行うときは、重機を使い水田を作るところから始まる。
1年に最大4期作れるというオーストラリアの稲作。三か月間で田植えから収穫までを体験できるため、二人は観光ビザを利用して米作りを学びに行った。しかし、夫婦でプロジェクトの研修生になったり、 病気で療養が必要となったプロジェクト代表者の作業を引き継いだり、ということが重なり、最終的には1年2か月もの間オーストラリアでの米作りに従事していた。
実は、米作りをしながらそのままオーストラリアに移住するつもりでもいたが、 永住権の取得が難しかったため帰国 。
しかし、土壌の栄養や収穫期といった点で、日本とは環境が大きく異なるオーストラリアでの農業経験は、試行錯誤と実践の繰り返しながらも、二人の中では「できそうなことは、まずは自分でやってみる」という意識が身についたそうだ。

オーストラリアに出来上がった水田。ここからさらに収穫や出荷の作業にも取り組んだ。
フィリピンへの留学から始まり、山梨、長野、オーストラリア、と各地を転々とし、農業の経験値を積み重ねてきた笹川さんご夫妻。帰国後、「いい加減、どこかで落ち着いて農業しよう」と思いいたり、水戸市の就農窓口に相談。通常の方法での就農は難しかったが、地域おこし協力隊としてなら農業に関わることができる、という提案を受けて、2016年に着任した。
協力隊の三年間は、プラスか足踏みか
初めに地域おこし協力隊の提案を受けたときは、各地で様々な経験を積んできた二人でも、迷いはあったそうだ。
雄也さん「農業を軸としてやっていきたい、と思っていたところに協力隊の話が来たんですよね。当時は協力隊という仕事をよく知らなかったし、この三年間は自分にとってプラスなのか、足踏みなのか、と迷いました」
美奈さん「足踏みだけで自分たちは40歳になっちゃうかもしれない、って。でも、今まで流れに乗って生きてきて、いい結果を生み出してるから、今回も流れに乗ってしまったほうが自分らしく生きられるかもしれないね、という結論になりました」
農業を軸に、ライフスタイルを提案できる場所を作っていきたい。そんな軸をしっかりと持ったうえでの着任だった。だからこそ、協力隊としての3年間を使い、本格的に就農するまでに、土地を借りたり、農機具や道具を揃えていく準備を進めることもできたそうだ。

もともとは田んぼの形が分からない程に雑草が生えた耕作放棄地だったが、二人で草を刈り圃場を整備していった。これもオーストラリアでの経験が生きているそうだ。
後押しを受けながらも、行動と結果で態度を示す
実は、高萩市での地域おこし協力隊の採用は、笹川さんご夫妻が初めてのこと。二人がすでに農業の経験を積んできたこと、そして自分たちがやりたいことが定まっていたこともあり、協力隊の仕事や地域への活動、就農の準備などは、高萩市の担当職員が寄り添って相談に乗ってくれたそうだ。
美奈さん「市の担当の方は、『こうしてください』、という指示よりも、『笹川さんは何をしたいですか?』『どうしたら農業に取り組みやすいですか?』というところを聞いてくれました。そこで、私たちにはこういうビジョンがある、ということを話していったら、『『では、その考えも踏まえて進めていきましょう』という風に、市の担当者が背中を押してくれました」
着任してから間もなく、地域と協力しながらほおずきづくりもスタート。高萩市では、ほおずきを地域の特産品にしていく動きがある。実は、笹川さんたちも長野県時代にほおずきを作っていた経験があり、いつか自分たちでも作りたいという思いもあったそうだ。
行政からの応援もあったが、それに甘えることなく、土地の開墾、土づくり、農場の整備やほおずきのためのビニールハウス設営、加工場の設置なども、自ら積極的に進めていった。ビニールハウスや小屋なども、作れそうなものであれば自分たちで作ってしまうとのこと。これも、オーストラリアでの経験の賜物。

奥にある小屋作りや太陽光パネルの設置も、笹川さんたちの手作業。建築の知識は無かったが、独学で学び作り上げていった。
美奈さん「着任して4か月後ぐらいには、自分たちでほおずきの加工場を作っています。着任後の2、3か月目ぐらいから、市の担当者に『ほおずきの生産量に対しての収益を考えたら、自分たちで加工場持たないとダメですよね。だから、自分たちで加工場作ります!』と宣言をしていました」
市の担当者からは、もうそこまで考えているんですか?と驚かれたが、「これから地域でほおずきを作っていく上で必要なものだし、自分たちで作りたい」という気持ちで相談していったところ、協力してくれる人もたくさん現れたそうだ。
農業だけでなく、地域をPRするイベントなども積極的に参加。もちろん、協力隊としての役割もあるが、笹川さんご夫妻が地域と共生しながら活動していくための心がけでもある。
雄也さん「着任したころから、もし嫌な仕事だとしても高萩市のPRになるならやろうね、といことは二人で言っていましたね」
美奈さん「実際にやってみて、実績を上げてから初めて自分の物言いができる。だからといって我慢はしすぎない。言っても仕方がないと諦めるのは、言わないのと一緒ですからね」
二人は、市が主催するイベントに参加するだけではなく、地域の古民家を活用したマルシェなども自主企画し、実績も残してきた。自主企画を立ち上げた際は、最初は市の担当者から難色を示されることもあったそうだが、きちんと成果を残していくことで、納得してもらえるようになったそうだ。
農業を軸とした次の展開も準備中
着任1年目から行動し、協力隊の活動の傍ら、自分たちが持つビジョンを実現する準備を進めてきた、笹川さんご夫妻。着任当初は「まだ3年あるだろう」と言われることもあったそうだが、協力隊卒業もあと半年に迫り「あっという間だった」と二人は語っている。
しかし二人は、すでに次の3年の計画も考えている。
雄也さん「ほおずきでしっかり収益を出すというモデルを3年でつくりたいですね。その先は、例えばこの地域に移住してやっていきたい、研修生として農業を学びたい、という人との連携も考えています」

笹川さんご夫妻が自ら設置した、ほおずきを栽培するビニールハウス。長野県でのハウスを解体した経験をもとに組み立てていった。内部を温めるボイラーは、廃油を燃料にしている。
ほおずきの栽培だけでなく、加工製品についても次の展開を予定中だ。
美奈さん「今はほおずきで洋菓子を作っていますが、去年の年末からは和菓子も勉強しています。和菓子作りって本当に奥が深いんですけど、ほおずきのご縁で和菓子づくりの講師とも知り合うことができました」
二人が作った加工場も、加工品づくりだけでなく、お菓子作りの講習会やワークショップ、イベントなどで利用していくことも考えているそうだ。
さらに、農業を軸としたライフスタイルの提案の場所を作っていくの準備も進んでいる。イベントや体験を行うための圃場整備、民泊やギャラリーとして利用するための古民家改修などがそうだ。将来的には、若い人達とともに耕作放棄地を利用しながら作物を作っていくモデルが作れれば、とも考えている。
ほおずきを作りながらも、次の展開に向けて動いている雄也さんと美奈さん。「やりたいことがいっぱいありすぎて、時間がない」「二人でできることには限界があるから、一緒にできる仲間が欲しいよね」と口をそろえて言っていた。
地域でそれぞれの良さを引き出しあえる関係性

笹川さんご夫妻が、腰を据えて農業を軸とした活動をする場所として選んだ茨城県。地域おこし協力隊という、より地域を意識した立場だからこそ感じられる茨城での暮らしについて聞いてみた。
美奈さん「良いところは、やっぱり人ですね。苦しい思いすることもありますが、でもやっぱり人に助けられることも味わっています。今住んでいる地区に住む方たちも協力的になってくれるし、話も聞いてくれる。私たちが困ってるんだなというときに、さっと手を添えてくれてる空気感なんですよね」
お話を伺う中で、笹川さんご夫妻は「地域、行政、自分のそれぞれの良さを引き出しあえる関係性が良いと思う」と語っていた。笹川さんたちが感じている空気感は、自分たちのライフスタイルの軸を持ちながらも、地域、行政との関わり意識しながら協力隊の取り組みに参加してきた結果なのかもしれない。
これからの笹川さんたちが作っていく、ライフスタイルを提案していく場所。そこにどのような人たちが集まってくるのか楽しみであり、その場所から生まれる地域とのつながりや展開にも期待が膨らむ。