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茨城のヒト・コト・バ PEOPLE, THINGS, SPOTS OF IBARAKI
農地所有適格法人 有限会社栗原農園 代表取締役
栗原玄樹さん
「おいしく、楽しく」のベースはチャレンジ精神 信念貫く三代目農家
のどかな田園風景が広がる常陸太田市芦間町。田んぼの一角に大きなビニールハウスが並ぶ。
「今日はよろしくお願いします」
汗を拭いながら軽トラを降り、人懐こい笑顔を見せるのは、栗原農園3代目で社長の栗原玄樹さんだ。
栗原農園は、1993年に創業。現在、小ネギ、サラダ用の葉物野菜、米などの栽培のほか、「ネギキムチ」などの加工品製造も手がける。
一度は料理人を志すも家業を継ぐことを決め、29歳で農園の社長となった栗原さんに話を伺った。
「おいしく、楽しく」ロゴと社訓に込める思い
全国屈指の農業県である茨城県。
なかでも、栗原農園のある常陸太田市では、中山間地域と平地の特徴を活かしながら、昔から米や蕎麦・ブドウ・梨などの多くの特産品が作られてきた。
栗原農園が手がけるのは水耕栽培で育てた小ネギや、リーフレタス、サンチュ、ホワイトセロリ、からし菜、ルッコラ、サラダ春菊など様々。小ネギは売上の6割を占め、続いて数種類の野菜をセットにした独自商品「サラダ野菜」、レタス 、ハーブ類、米、小麦と続く。
ー初めから水耕栽培だったのでしょうか?
栗原:水耕栽培は、創業当時から続けています。継続しながら、契約販路や水耕栽培する品目を、ニーズに合わせながら変えてきました。
今、創業から29年目。父が社長の頃から、少しずつ切り替えていって、販路も10年くらい前から少しずつ契約販売のみにしていきました。水耕栽培も、それ自体を売りにするのではなく、品質と安定供給に活かしています。
水耕栽培は、培地を使用せず、水に養分を溶かした培養液で野菜等を育てる栽培方法。主にハウスなどの施設内で栽培するため、天候の影響をはじめ、虫や病気などの外的要因による被害を受けにくいというメリットがある。
一方、水道光熱費が高いというデメリットもある。市場における植物工場などとの価格競争の影響も受けて、茨城県内の水耕栽培を行う農家は減少し、現在は県内でも数軒のみ。栗原農園が水耕栽培を維持できるのは「ほとんどを契約販売しているから」だという。
栗原:品質という部分では、うちは圧倒的に鮮度が強み。30キロ圏内を商圏にして、物流も自社で回しています。ダイコンやニンジンは分かりにくい場合も多いですが、レタスの場合は一般の人が食べても収穫日から1週間近く経っているかどうか分かるぐらい、全く味が違いますからね。
栗原農園でロゴを作ったのは、2008年ごろ。
水耕栽培に注力していくという方針に合わせてブランドコンセプトとともに制作を決めた。ロゴには、青、オレンジ、緑の3色を使った氵(さんずい)が二つ並ぶ。青=水、オレンジ=ミネラル、緑=植物を育てる様子をイメージし、会社も右肩上がりになるように、と「氵」のハネにはより力強さを込める。
栗原:水稲(すいとう)や水耕栽培を続けていたことから、このロゴに結びつきました。
このロゴは、県内のデザイン会社と相談して作り上げたもの。なんとなく予想もつくけど疑問も浮かぶデザインです。これはデザイナーさんが栗原農園やそこで働く私たち「人」を見て考えてくれました。このロゴをきっかけに会話が生まれることもあり、助けられることも多いんですよ。
また、「おいしく、楽しく」という企業キャッチコピーも掲げられている。
栗原:分かりやすい方がいいなって思ったんです。
誰かに伝えるにしても、スタッフに伝えるにしても、うちの会社の理念はああでこうで、と言っている間にもう頭に入ってこなくなる。だから、シンプル・イズ・ベストで、野菜も米も作り手も『おいしく、楽しく 野菜とお米で笑顔に』なんです。
と、栗原さんは清々しく言い切る。
料理人の道から家業へ
二人兄弟の弟である栗原さん。兄はパン職人の道に進み、栗原さん自身も料理人の道に進もうとしていたという。栗原さんの高校卒業前、栗原農園では、第三者継承も視野に入れ、2004年に法人に組織変更していた。栗原さん自身のここまでの歩みを尋ねた。
ー栗原さんはどういった経緯でお父様の後を継ぐことになったのでしょうか?
栗原:私の父は、30歳過ぎまで全国各地でいろんな仕事をしてから実家に戻った人なんです。祖父の反対を押し切って水耕栽培への投資を始めたということもあり、強要されて何かをすることがイヤだったようですね。だから、僕ら兄弟にも強要しなかったみたいです。自分も兄のように好きなことをしたいと、高校卒業後は調理学校に進学しました。
今じゃ当たり前だけど、当時は産地直送の野菜を使ったイタリアンやフレンチが流行りだしてきたころ。「いいお店があったら、そこでバイトさせてもらおう」と飲食店を探していると、うちの料理人が独立するからこっちに来ないかと誘われてバイトすることになりました。その店では、使う野菜を育てる農家にもちゃんとリスペクトがあったんですよ。その時に「あぁ、農家もこんなに大事にされているんだ」と胸にストンと落ちました。
しばらくして、実家からバジルを送ってもらって店のパスタを作らせてもらったんです。父という信頼できる生産者から届いたバジルを調理して、お客さんの口に運ばれる過程を直に見届けて、その時は言葉で説明できない感覚でした。次第に、料理の元となる野菜を作るのも面白いなと、家業を継ぐことを意識し始めました。
当時、栗原さんは19歳。「家業を継ぐことになれば、これで自分の一生が決まる」と悩んだという。専門学校の先生や先輩、友人にも相談すると、意外にも背中を押す声が多かった。
栗原:相談すると、みんな「これからは農業だよ」と言うんです。今考えてみると、料理業界のことは分かっていても、逆に農業を知らないからこそ言えた言葉だったと思うんです。 きっと、先生をはじめみんなは、、僕が何をするにしても応援してくれていたのかもしれないですね。
父とも相談して、最終的に家業を継ごうと決めました。父には「農業やるなら農大に行け!」と言われ、平日は農大、週末は農園の社員として働くようになりました。今振り返ると、怒涛の日々でしたね。
迫るタイムリミットと試行錯誤の日々
家業を継ぐと決意した栗原さん。そのとき、父から「お前が30歳になったら社長を交代する」と宣言されたという。
栗原:逆算すると10年しかない。「どう考えても時間が足りないぞ」と焦りはありました。
そんなこともあって、最初の3年はとにかく、作業の技術的な部分とスピード感を覚えることに必死でした。一方で、人とコミュニケーションを取ることは好きだったし、声がかかったものはなんでも関わらせてもらって、外との繋がりを築きました。
技術、地域での繋がり、経営、営業と、学ぶこともやることもいっぱいです。のんびりしていられないので、タイムリミットは自分の意識の中でも大きかったですね。
ー期限が決まっているからこそ、社長交代までを逆算して行動された、と。地域での繋がりを作るという部分ではどんなことをされたのでしょうか?
栗原:地域で事業をするとなったら、やっぱり地域に信頼されないとうまくいかない。これは今でも継続していることですが、地域のイベントや草刈り、掃除、消防のような活動にも積極的に参加して、地域とのコミュニケーションを持ち続けられるようにしています。
そういった地域活動をやらない若い人が多いからこそ、地域の中で受け入れてもらいやすいんですよね。これはもちろん打算だけの話じゃなく、普段から地域とコミュニケーションを取ることで、知らなかったことを知ったり、何かあれば人を紹介してもらえたり、関係性も良くなります。
「選択と集中」やめる勇気と変えたもの
2016年、予定通り社長に就任した栗原さん。
採算が取れない野菜の栽培をやめたほか、社内制度の改革などにも積極的に取り組んだ。これにより、生産性や収益性は向上。正社員やパート従業員の働きやすさにも注力し、有給休暇の取得はパート従業員でも90%以上の実績もある。
栗原:改革というほどではないけど、始めたことだけでなく、やめたものもあります。具体的に言えば、水耕栽培以外の畑の野菜はすでに契約していたものだけに絞ったこと。生産性や収益性が合わないというのが大きな理由ですが、「頑張ってやろうぜ!」っていう精神論じゃ、誰もついてこない。同時に、社会保険や働きやすさに関わる部分を充実させていきました。
例えば、扶養の範囲内で働きたいという人は介護や子育てなど理由がある場合が多い。以前は、社内の部門によっては土曜出勤がありましたが、今は賃金も上がり、週3〜4の短時間がほとんど。とにかく、安定して雇用して、仕事も自分だけでなく社員で回せる体制を整えてきました。
ー何かを始めるよりやめる決断の方がエネルギーが必要で大変だったかと思ういますが、どう乗り越えたのでしょうか。
栗原:「選択と集中をした」に尽きます。自分自身、多くのことを同時進行することができないんですよ。それこそ、最初のころはなんでも手を出していましたが、一つのことしかできなくて、いろんなことをやると自分がパンクしちゃうんで、徐々に「これやりたい」と思った時に「こっちをやると、こっちができないな」と一呼吸置いて考えるようにしました。
ー事業を続けていく中で、お客様や地域との関係性の中で大切にしていらっしゃることはありますか。
栗原:当たり前ですが、まずは約束を守る。
うちは契約での取引が多いので、事前に生産量や納品の予測スケジュールを立てて、収穫量が少なそうな時は早めにお客さんに伝えるなど、情報の共有などは意識していますね。
また、うちは自社で商品の配送を行うことが多いので、配送の際に現在の状況や新しく取り組んでいることを伝えて、コミュニケーションを密に取るようにしています。
描く未来予想図
2022年4月、栗原農園では、小ネギの加工品「本格手作りネギキムチ」の販売を開始した。「よりおいしく小ネギを食べてもらいたい!」その一心で試行錯誤を重ね、開発は栗原さん自身が約1年をかけ手がけてきたという。
栗原:うちから独立した元・料理人が持ってきてくれた自作のキムチがおいしくて。以前から加工品を何かやりたいと思っていたんですけど、なかなか始められていなかったんです。
小ネギって、生で食べるのが一番なんです。長ネギは火を入れても生でも美味しいけど、小ネギに関しては、やっぱり生で食べるのが香りも立つし一番美味しい。冷凍やドレッシングも試したものの、いまいちピンとこなかったですね。
そんな中、おかずとして食卓に並ぶキムチなら小ネギと相性がいいはずだと思い立ち、試作を始めました。生野菜だと2〜3日の賞味期限も、加工品のキムチなら1〜2週間は保つことから、販路も拡大できる。雇用も増やしている以上、安定した収益源を増やすことも重要でした。
通販でキムチや唐辛子を十数種類取り寄せては食べ比べ、本場である韓国のキムチを食べたりレシピを教えてもらったり、試行錯誤は続いた。ここで栗原さんが目指していたのは、韓国のどの家庭でも当たり前にあるようなオイキムチやカクテキのように身近に食べてもらえるもの。そして、「小ネギ農家だからできる、化学調味料無添加のキムチ」だ。
栗原:どうしても自分で食べたい味にならなくて、とにかく悩みました。
「自分がおいしい、食べたい」と思うものしか作らないと決めているんです。それは、野菜にもキムチにも共通していること。
どうしても妥協ができなくて、ようやく納得できた時には1年近くが経っていました。開発には、取引先の飲食店にも協力してもらいました。何度も味見とフィードバックを受けながらだったので、完成した時の達成感は大きかったです。
今、地元のスーパーやコンビニ、道の駅でも徐々に置いてくれるところが増えてきて、SNSも使って食べ方の紹介をしているところです。
ー継続したお付き合いができているのも、品質と安定出荷、コミュニケーションあってこそ、ということですね。これから先、農業を続けていくにあたり、必要だと思う考え方や心構えはありますか?
栗原:進路を悩んだ時から15年経っても未だに「これからは農業」と言われているのが現実で、結局、野菜って需要と供給なんです。天候による不作などで、野菜の高騰も身近な話ですし、大手の資本力には勝てない。価格競争で目の前の状況に慌てて値下げをしたら結局続かないので、自分ではコントロールできない部分には流されないようにする。
そうして、信頼とコミュニケーションを積み重ね続けて、その中で地域の仲間たちとも手を取り合って新しいことにもチャレンジしていきたいと思っています。
ー基本のスタンスとして、まずはやってみる、ということでしょうか。
栗原:そうですね。自分で面白そうと思うことは、まずはやってみる。
今年3年ぶりに再開した、地元酒蔵さんや有志の人たちと取り組んでいる「ご縁だね – 常陸太田自酒プロジェクト-」では、田植えや収穫、酒造りのイベントを通して地域内外の広がりが生まれています。これまでにたくさん手を出して、失敗もしてきたからこそ、自分が関わりたい、何かやりたいって思うことを選択していけるようになりました。
「何がおいしいのか」「何が楽しいのか」って、気持ちにも余裕がないと分からなくなってしまう。うちの理念は「おいしく、楽しく」なので、自分自身でおいしいものを食べに行ったり、人に会いに行ったり、遊びに行ったり、仕事だけじゃない体験を通して整理する。そして、自分がちゃんと作りたいものを作って、届けたいところに自分たちの手で届けるということを続けていきたいですね。