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茨城のヒト・コト・バ PEOPLE, THINGS, SPOTS OF IBARAKI
株式会社GREEN FORESTERS 代表取締役
中井照大郎さん
「未来の森を、今つくる。」サステナブルな生活とGREEN WORKの実現に挑む青葉組
「未来の森を、今つくる。」そんなキャッチコピーを掲げた林業事業者がある。「青葉組」。株式会社GREEN FORESTERSが運営する植林・育林に特化した組織だ。
地方でのサステナブルな生活とともに、キャリアの実現も目指す”柔軟で効率的な働き方” =「GREEN WORK」で植林業界の人材不足を解決しようと、茨城県大子町で挑戦を始めている。
地球規模のエネルギー問題や気候変動などにより、SDGsへの関心が高まる今、なぜ「植林・育林」に舵を切ったのか。そして、青葉組が目指す「森づくり」とは?株式会社GREEN FORESTERS代表取締役の中井照大郎さんに話を伺った。
「人間は森なしでは生きていけない」植林と伐採のアンバランス
世界の森林面積は約40.3億ヘクタールで、全陸地面積の約31%を占めている。
しかし、木材需要の増加や開発等により、世界の森林面積は、毎年約520万ヘクタールが減少している。
他方、日本では、長年、約2,500万ヘクタール規模の森林面積を維持しているが、近年の大型機械の開発・導入により伐採が進む一方で、機械化も労働環境の改善も進まない植林側は、高齢化と相まって著しく人材不足が加速している現状がある。そんな中、茨城県大子町に拠点を構え、森の再生を目指すのが、植林・育林専門ベンチャー「青葉組」だ。
―青葉組の事業について教えてください。
中井:私たちは林業の中でも植林や、植林した後の育林といった「森を育てる」ことに特化している会社です。一般的に想像される林業というと、チェーンソーを持って木を伐採するイメージがあるかと思いますが、私たちは一切伐採を行いません。
林業の仕事は、昔から段階毎に分業体制が確立しているという。植林するための苗木を育てる苗木業者、木を植えて育てる造林(育林)業者、木を伐採する伐採業者。伐採・運搬後の役割を担うのが製材業者やプレカット業者であり、加工された木材は家具職人や工務店、住宅メーカーなど市場に流通する。
―あえて「植林・育林」を選ばれた理由は何だったのでしょうか?
中井:私は元々、商社に勤めていて、海外志向がすごく強かったんです。それも、ただ海外に行くのではなく、その地域で課題となっていることを解決したいという気持ちが強かったんですね。
例えば、途上国であれば、貧困地域に暮らす人々が豊かに暮らせるような世界をつくれないか、と考えていました。そんなあるとき、太陽光発電をはじめとした再生可能エネルギーの仕事に関わるようになったんです。
その仕事に関わる中で、「日本には森林という資源が豊富にあるけれど、有効活用できていない」という課題に気づきました。
心機一転、「日本にもそういう課題があるのなら飛び込んでみよう」と思い立った中井さんは2017年に岡山県西粟倉村に移住。3年間「林業の課題とは何か」に向き合った。
中井:いろいろ見聞きして自分なりに考えた結果、「伐採は今後どんどん盛んになっていくけれど、圧倒的に木を育てる人がいなくて、それが森林の循環を妨げている」という結論に至りました。
このままでは、どんどん森林が減っていってしまう。
どんな時代であっても、どれだけ技術が発達しようと、人間は森なしでは生きていけない。「『木を育てる人』がいないなら、自分でやろう」。そんな想いを抱き、2020年7月、中井さんは仲間とともに株式会社GREEN FORESTERSを設立。植林・育林専門事業「青葉組」として、林業業界の人材不足解消と”森づくり”による新しい働き方の創造を掲げ、挑戦を始めた。
―拠点としてなぜ茨城県の大子町を選んだのでしょうか?
中井:会社設立後、はじめは栃木県に事業の拠点を置きましたが、当初から、隣接地域である大子町に興味を持っていたんです。そして、知れば知るほど大子町に広がる八溝山系の山に興味がわきました。自然も豊かで八溝杉の名産地。言わば、「一大生産地」と言えそうな場所だったからです。
栃木と茨城という距離の近さ、そして事業を進めるなかで生まれた大子町の林業会社とのご縁などから、新たに大子町に拠点を設けることを決めました。
私たちのお客さんは50年後の未来に生きる人たち
青葉組が挑む植林・育林は50年スパンという先の長い事業だ。植林の1~2年前から取り組む育苗、地拵え(じごしらえ)から植林(1年目)、下草刈り(1〜5年目)、間伐(20~30年目)、主伐は50年目からだという。先の長い取り組みの中で、青葉組は主に育苗〜下草刈りを手がける。
※地拵え:伐出後に林地に残された幹の先端部(末木)や枝(枝条)、あるいは刈り払われた低木や草本などを、植栽しやすいように整理、配列すること
起業当初は、熟練の林業従事者から「造林は先がないから諦めた方がいい」と言われたこともあったそうだ。
機械化が進む伐採事業に対し、まだまだ手作業が主となる植林・育林事業。2000年に4万人いた育林従事者は、2015年までの15年間で54%も減少。2万人を切っている現状がある。複数の従事者から同じように言われたが、中井さんの意志がゆらぐことはなかった。
育林従事者数がどんどん減っている理由の一つに、きつくて危険な作業現場が挙げられる。自然が相手である以上、仕事環境を変えることはできないが、「勤務形態、給与体系、デジタルツール導入など工夫を凝らしながら仕事に取り組んでいくことで、他の多くの仕事よりもむしろ豊かに暮らしていくことができるかもしれない」と考えているのだそう。
―中井さんは、林業の従事者の方が担う役割をどう捉えていらっしゃいますか。
中井:私たちは、林業の中でも植林・育林を担ういわゆる造林業者。私たちのお客さんは基本的に、今生きている人たちではなくて、50年後の未来に生きている人たち。未来の世代にどういう森を残すのかを考え、行動していくことが、僕たちの仕事ですね。それが、理念でもある「未来の森を、今つくる」につながっています。
単に林業という産業がこれまでと変わらない森林の循環を続けられるだけでなく、例えば生物多様性の観点や土砂災害を減らすという防災の観点、水源を守るという環境保全の観点などに基づき、どういう森を自分たちが未来に残したいのかを一つ一つの現場で考え、実行していく組織にしていきたいと考えています。
3日働いて1日休む、革新的な勤務体系のワケ
「3日働いて1日休む」
青葉組のWebサイトには、気になるキャッチコピーがある。「働き方改革」や「リモートワーク」など、働き方に関する言葉を耳にする機会が増えた昨今、林業の世界での働き方に、どんな思いがあるのだろうか。
中井:毎日山の中で自然と向き合って、身体を動かしていくこの仕事でしか味わえない充実した瞬間がたくさんあります。特に青葉組で掲げる「自然にまみれながら自分らしく豊かに暮らす」ということが実現できる働き方を、大事にしようと思って決めたのが「3日働いて1日休む」という勤務体系です。
青葉組は、日給制で兼業も副業も可能。
そこには、中井さん自身の経験が大きく影響している。
中井:僕自身、サラリーマンの頃から週休2日という働き方が性に合わず、月曜日が本当に嫌でしたね。やる気があるときは週7日全部働きたいのに、なぜ「週休2日」に合わせないといけないのだろうか、と思っていました。
それが、青葉組の設立のときに、労働日数や休日に関する法律を調べていると、「必ず週休2日で働かないといけない」という決まりは無いことを発見。就業規則や従業員と結ぶ雇用契約書に、ルールに基づいてきちんと勤務時間等を明示すれば、週休2日以外の働き方をできることがわかったのです。
そして、現場で働く人とともに、青葉組の仕事に一番合う勤務形態を探った結果、「3日働いて1日休む」ことが私たちの働き方に合っていることがわかりました。平均年齢が30代前半、女性もいる私たちのような職場では、こうした勤務スタイルにすることで体の負担も少なく余裕を持って豊かに働ける、ということかもしれませんね。
夏は朝5時から、冬は朝7時から下草刈りや植林をはじめる。草刈り機を使うときは、イヤーマフで鼓膜を保護、防振グローブで手先の神経を守る。
―茨城を拠点に活動するメンバーを募集されているということですが、仕事の流れやキャリアアップについてはいかがでしょうか?
中井:体力が必要な仕事だし、仕事を通して足腰を鍛える必要はありますね。新入社員には、「ベテランの班長・中堅の副班長・新人」のような構成の5人1組のチームで仕事に参加してもらい、少しずつ現場に慣れてもらっています。
うちはスタートアップ企業なので、やる気があれば仕事の幅はどんどん広がっていきますし、チャレンジの機会は用意できます。努力の結果、入社後1年で班長になった人もいます。また、新たに、拠点の人材管理や採用、拠点の全てを管理する団長というポジションを作り始めています。
会社全体として林業の未経験者が多いです。それでも、未経験で入社した人こそ、それまでの業務経験を現場で生かせたり、仕事に対して新しい発想で取り組めたりするという可能性もあります。新しい考え方でどんどん革新を生み出していける人と仕事がしたいですね。
新しい発想やアイディアを出し続けるために、中井さん自身も、日々現場に入り続けているという。
中井:現場に入り続けるのが1番。現場に入らないと、どんどん山や現場作業への感覚が鈍ってしまいますし、山で作業をするメンバーとの心理的な温度差も開いてしまいます。
ドローンで植林の苗木を運ぶ技術は生まれましたが、植林自体はまだまだ手作業。機械を使うことも少ないので、山に入ったら、技術と経験と人の心が仕事の完成度や安全にかかってきます。体力的にも精神的にも一番厳しいのが現場作業なので、その中に身を置いていないと、人や仕事に寄り添えなくなってしまう。だから、僕自身、死ぬまで現場に入り続けるんだろうなと思っています。
「林業は人の心が全ての仕事」と言い切る中井さん
林業をおもしろく、クリエイティビティが発揮される産業に
強い意志を持ち、前を向く中井さん。
5年、10年、50年と結果を出すために時間がかかる事業を続けながら、未来をどう見据えているのだろうか。
傾斜地に植えられた80cmほどの高さの苗木。この苗木が育ち、伐採まで約50年かかる。ここ5〜10年で植えられた杉は、花粉症を引き起こしにくい品種なのだそう。中井さんは「木が育つまでの年数を考えると私たちが実感することはないかもしれません」と笑う。
古来、森林資源を建築資材、燃料、農業用肥料、家畜の飼料等として利用してきた日本。
第二次世界大戦前後には過剰な伐採が行われ森林の荒廃が全国的に進んだ。時代ごとに伐採跡地への植林、育林、間伐等の森林整備が公共事業として推進されてきた。
中井さんによると、植林は、戦後、地方の失業対策のひとつとして生まれた仕事で、そこで作られた「造林事業に対する補助を受け取る」という仕組みが今でも続いているのだそう。
中井:植林・育林の事業は、基本的には補助金や伐採費用の一部から収益を頂くことで事業が成り立っていて、公共事業のような色合いが強いかもしれません。公共事業は大切な事業である一方、義務的な仕事になってしまう側面もあると思います。
私たちが目指しているのは、かつて、失業者対策のひとつとして始まった造林という仕事を「未来の人たちに向けて、いいものを作っていく森づくり」という分野に大きくアップデートしようという試みです。
例えば、林地残材を活用した展開や、オオワシなど絶滅危惧種の鳥が休める森をつくるなどといったクリエイティビティが発揮されるような形での森づくりも進めて、林業をおもしろくしていきたいですね。
―具体的な取り組みの事例などはありますか?
中井:茨城県外でオープンするホテルに納品するバーベキュー用の薪を使った、循環型の取り組みを予定しています。バーベキューでお客さまが使った分の薪と同じ量の木を植えることで、森林の循環を促していきます。
伐採業者だと伐採するタイミングしか山に入らないけれども、私たち植林・育林業者は、10年でも20年でも、毎年山に入る。
どうせなら、山の使い方も植林・育林へのアプローチも、戦後の固定されたものから、どんどん変えていきたい。その中で自分たちが、どうやったらこの山の価値をお金にできるかや、どうやったらこの産業を面白くできるかを常に考えています。
―茨城の中で、今後の展望などはありますか?
中井:まだ大子町の拠点を立ち上げたばかりなので、自分たちがやりたいことというよりは、まずは育林の会社として、地域のニーズに応えることがスタート地点。その上で、自分達がやりたいことや、やってみたいことの裾野をどんどん広げていけるように取り組みを広げていきたいですね。