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茨城のヒト・コト・バ PEOPLE, THINGS, SPOTS OF IBARAKI
株式会社まえけん 代表取締役
前田賢一さん
北茨城の地魚に「みんなに喜んでもらいたい」という想いを込めて
「鍋料理の王様」ともいわれる、冬を代表する味覚・アンコウ。そんなアンコウの本場、北茨城市で、飲食業・水産物加工業・水産物卸売業を展開する会社がある。それが「株式会社まえけん」だ。
代表取締役を務める前田賢一(まえだ・けんいち)さんは、高校を卒業後、一度は北茨城市を離れるも、子供の誕生を機にUターン。父親が経営する和食海鮮料理店で料理人として厨房に立ちながら、経営にも携わるようになった。そんな中で芽生えた「北茨城市の美味しい魚をもっと知ってもらいたい」という想い。
日々強くなるそんな思いに掻き立てられ、魚を軸とした事業を次々と展開し始めた前田さんにこれまでの歩みと将来について思うことを伺った。
経験と想いが背中を押して。北茨城市ならではの和食海鮮料理店へ
JR常磐線・大津港駅から徒歩3分。海のにおいが香る駅前をまっすぐ歩くと目の前に見えるのが、地魚料理と地酒のお店「食彩太信(だいしん)」。和食海鮮料理店だ。1977年11月、前田さんの父、信雄さんが開業したお店で、2022年現在、創業45周年を迎える。
開業当時はまだ3歳だった前田さん。物心ついたころには「これだけのお店があるなら、ゆくゆくは引き継いだ方がよい」と感じたのだという。高校を卒業後、修行のために上京。複数の和食料理店で経験を積む中で、結婚し子どもも生まれた。そんなライフステージの変化が前田さんの背中を押す。
2005年、前田さんは生まれ育った北茨城市へついに帰郷。父親が切り盛りする「食彩太信」の経営に加わった。
帰ってきたばかりのころを、前田さんは回想する。
「Uターンしたばかりのころは景気も悪く、『お店をもっと良くしていかなきゃだめだ』という強い想いがありました。当時、お店の近くに大津港という立派な港があるにも関わらず、水戸の中央市場から魚を購入していたんです。残念ながら目玉になるような料理もなく、どこにでもあるような普通の和食料理店でした」
「食彩太信」をもっと良くしていきたい、そんな想いを日に日に強くする前田さんに転機が訪れる。大津漁業協同組合の組合員だった同級生に相談すると、地元の市場で魚を買い付けることを勧められたのだ。
「父親とお店を切り盛りする中で、もっと地元に根付いた和食料理店にしていきたいと思うようになりました。同級生に相談すると『魚の買い付けができる買参権(ばいさんけん)を取得したらどうか』と勧められたんです。買参権があれば、自ら買い付けした地元の魚を私自身で調理し、お店で提供できるようになります。それに、料理人と買付人、2つの立場から地元をPRできるとも思いました」
どの立場であっても「喜んでもらいたい」という気持ちは変わらない
前田さんが買い付けを始めたのは約5年前。市場の買付人は、何十年も経験のあるベテランばかりで、新参者だった前田さんは、苦労の連続だったという。
「今でこそ市場の皆さんは仲良くしてくれていますが、その当時は『どこの兄ちゃんだ』という感じで、なかなか買付人として認めてはもらえませんでした。魚の目利きも最初はよく分からず、他の人の手元を真似しながら、見よう見まねでがむしゃらに学んでいきました。魚の買付けは、その瞬間一つ一つが勝負。失敗と経験を積み重ねながら、今の私がいるという感じですね」
買付人として市場を訪れる際は、農業と漁業を生業としていた前田さんの祖父が使用していた屋号「やま七」で参入する。
「『株式会社まえけん』でも『食彩太信』でもなく『海鮮問屋やま七』という一人の会員なんです」
祖父から引き継いだ屋号を背負う前田さんからは、地元に根付いていきたいという想いが感じられる。
魚の買付けをする中で、他の買付人や漁師との情報交換も増えた。大津港から獲れる地魚の種類の豊富さを身をもって感じ、もっと新鮮で美味しい地魚をみんなに食べてもらいたいと思ったという。
「食彩太信」で提供する看板メニューも、地魚を使用した刺身などへ全面的にシフトチェンジ。アンコウの身と肝、野菜から出た水分と味噌のみで作る漁師飯「どぶ汁」を漁師から直々に教わり、お店で提供するようになった。
アンコウは個体により水分や脂の出方が異なるため、加水せずに「どぶ汁」をつくるのは技術と時間が必要。この調理法で「どぶ汁」を提供するお店は少ないのだそう。
今では「食彩太信」の名物料理となった水を使わない「どぶ汁」。来てくださったお客さんに楽しんで帰ってもらいたいと、料理の提供時には注文してくれた方の目の前にガスコンロを置き、肝を煎るところからあえて見せるという。また「どぶ汁」を目の前で作るときは、お客さんとの会話も忘れない。
「料理しながら、『どぶ汁を食べたことはありますか』とか、『どこから来たんですか』といった会話をお客さんと楽しんでいます。せっかく来てくれたのだから、少しでもこの土地ならではのものを食べて、この街の良さを感じてもらいたいです」
そう語る前田さんからは笑顔がこぼれた。
常に相手のことを思い、どうしたら喜んでもらえるか、考え続ける前田さんの気持ちが伝わったのだろう。「食彩太信」は、県内だけでなく県外からも頻繁に観光客が訪れる、北茨城市を代表する和食海鮮料理店へと成長した。
そして、その想いは、店舗の成長だけにとどまらなかった。卸売業も営む前田さんならではの県内外のシェフたちとの仕入れ・受注のためのメッセージグループをつくった。もともとは個人間でのやりとりだったが、あえてシェフたちを一つのグループにすることで、お互いの仕入れ状況が見え、相乗効果が生まれたのだ。
「魚の情報発信をすることで、私だけでなく同じ志を持つ飲食店の方々が新鮮で美味しい魚を使用できるようになります。結果として、その飲食店に足を運んでくれたお客さんが喜んでくれることは、『食彩太信』に来店し喜んでくれることと一緒だと思います。これからもそのために努力していきたいです。お互いに助け合いながら、魚を通じて飲食業界を盛り上げていきたいですね」
外部人材との交流から、更なる魚の魅力発信へ
魚を軸に次々と事業展開を進める前田さんの目にとまったのが「県北Business challenge Program※(以下、BCP)」だ。新聞を見て面白そうだと直感的に応募した。
※県北Business challenge Program:茨城県北地域(日立市、常陸太田市、高萩市、北茨城市、常陸大宮市、大子町)の中小企業を対象に、本質的な経営課題に対する「気づき」を促すセミナーを開催するとともに、アイデアソンによるビジネスプランの策定支援を行い、企業の新事業展開を促進するプログラム。
前田さんにとって想定外だったのが、審査を経てアイデアソン参加企業「県北BCPリーダー」に選ばれたことだった。
「面白そうという気持ちだけで、あまりよく募集要項を読まず応募してしまったんです。だから応募当初は、さまざまな事業者や年齢や性別を超えた方と情報交換をすることで、自分の事業に少しでもプラスになればというくらいの気持ちでいました。まさか自分がリーダーに選ばれるなんて思ってもみなかったです」
リーダーになったことと同じくらい、魚を題材にした事業であることに対しても不安な気持ちを拭えなかったという。
「若い人にどれくらい受け入れてもらえるのかという不安がありました。実は私は、若い頃は魚より肉が好きだったんですよね。そんな時期があったからこそ、今の若い人にとって魚がどれだけ身近な存在なのか分かりませんでした。とはいえ、私自身、年齢を重ねていくにつれて魚の良さが分かってきたこともあり、魚の魅力を若い人にも伝えたいと思ったんです」
魚の魅力をもっと発信したいという想いをもちながらも、リーダーとしてはとまどいや迷い、プレッシャーがあった。
そんな前田さんを支えたのが、性別も年齢も職業も異なるサポーターたち。何をどう形にしていくのか、模索を続けながらも、サポーターたちと会話を重ねる中で、魚を通したイベントを開催する方向で話がまとまったという。
「私が想いや考えを話すと、サポーターの皆さんはすぐにその想いを汲み取って、話をまとめてくれたんです。普段、魚にどっぷりつかっている私には思いつかないアイデアばかりで、驚きを隠せませんでした。それと同時に『このメンバーと一緒ならどんなことでもできる』という確信も持てました。サポーターの皆さんのおかげで、可能性や形にしたいことが見えてきたと言っても過言ではありません。私のために時間を割いてくださる方々のためにも、素敵なイベントにしたいです」
ひょんなことから始まった前田さんの県北BCP。悩みやとまどいを隠し切れていなかった前田さんの表情は、サポーターと出会い、方向性が定まったことで、明るく、そしてより一層チャレンジ意欲が湧いたように見えた。
再び始まる挑戦の道。海の幸から生まれる、実店舗を超えたつながり
飲食業・水産物加工業・水産物卸売業という複数の立場から魚の魅力を余すことなく発信し続ける前田さん。県北BCPに挑戦したことで、さらに魚をPRすることへの想いが強まったという。改めて、茨城県の魚文化についてこう話す。
「他県では特定の魚をブランド化し、PRしているところが多いです。茨城県に置き換えれば、アンコウになるのかもしれません。せっかく良い魚(海産物)がたくさんあるのに、魅力を伝えきれていないと思います。もっと『観光と食の茨城』として、上手に外部へ発信できたらいいなと感じています。『株式会社まえけん』で『鮟鱇(あんこう)ひとすじ』というおつまみを作るようになったのも、北茨城市に興味を持つきっかけになってほしいと思ったからなんです」
そして、前田さんだからこそ思い描けるであろう将来像についても、こんな風に語ってくれた。
「魚に限らず飲食店同士だと『こんな料理を作ったよ』といった話から小さなコミュニティが生まれることもあります。私の場合は、魚の買い付けのメッセージグループで和食料理屋だけでなくフレンチやイタリアンのシェフともつながっています。そこで、フレンチやイタリアンに合う魚の提案もできますよね。同業者であっても異業種のようで、そういったお店に北茨城市の魚を使った料理を作っていただくことで、魚の魅力をお客さんに知ってもらって喜んでもらいたいと思っています」
北茨城市の海の幸をきっかけに生まれるつながりが、実店舗を超え、さらには同業者だけにとどまらない、新たな交流へと発展することが期待される。そして、北茨城市の海の幸が茨城県を飛び出して、日本の食文化の中で身近な存在として認知されるようになるに違いない。
Uターンして「食彩太信」を地元に根付く和食海鮮料理店へと成長させた当時と変わらず、前田さんは「みんなに喜んでもらいたい」という想いを胸にまた新たな挑戦の道を歩んでいる。