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茨城のヒト・コト・バ PEOPLE, THINGS, SPOTS OF IBARAKI
ホテル鮎亭 3代目
椎名紀仁さん
ピンチはチャンス。アユを軸に、常陸大宮市を盛り上げたい
アユ の産地として有名な久慈川と那珂川の二大清流が流れる、常陸大宮市。市の魚にも選定されているアユは、市民にとっても身近な存在である。そんなアユを全面的に売りにするのは、ホテル鮎亭だ。
現在、ホテルを切り盛りするのは、3代目の椎名紀仁(しいな・あきのり)さん。医療福祉系の大学卒業後は市内の病院で作業療法士として働いていたが、新型コロナウイルス感染症の流行をきっかけに3代目としての事業継承を決意。そこには、「常陸大宮市の観光を盛り上げていきたい」という強い想いもあった。
そんな椎名さんに、ホテル鮎亭の成り立ちやアユの魅力、3代目として思い描く未来などについてお話を伺った。
街の鮮魚店からホテル鮎亭へ

青空が水面に映える久慈川。茨城県の最高峰・八溝山に水源があり、県北地域の山々を下りながら太平洋に流れていく。ホテル鮎亭は、久慈川の美しさを間近に感じられる場所の一つ。
ホテル鮎亭の目の前に広がるのは、「アユ釣りのメッカ」ともいわれる一級河川の久慈川だ。夕焼けとのコントラストが絶妙なバランスを誇り、この景観を楽しもうと宿泊する客も多いという。
ホテル鮎亭の始まりは、椎名さんの曽祖父の代から営まれてきたという鮮魚店だった。その当時は、現在の場所ではなく、JR水郡線山方宿駅(やまがたじゅくえき)近辺に店を構えていたという。
しかし、時代とともにスーパーマーケットが立ち並び、鮮魚店の経営は厳しくなった。自分ができることで地域に貢献したい。そんな想いを抱いていた椎名さんの祖父は、思い切って事業の舵を切った。婚礼会場も兼ねたホテルのオープンに向けて動き出したのだ。当時、旧山方町には収容規模の大きなホテルや婚礼会場が無かったこともあり、将来を見据えての挑戦だった。

2019年には台風19号の被害に遭うも、再び被害を繰り返さぬよう、治水工事が予定されている。お客様を守ることへの安心感はありつつも、今後この景観が見られなくなることについて「私たちの捉え方次第。お客様に変わらず来てもらうために様々な策をスタッフとともに練っていきたい」と前向きに捉える椎名さん。
ホテル鮎亭の歩みについて、伝え聞いた話を椎名さんは静かに語ってくれた。
「祖父から直接は聞けなかったのですが、いくつか建設地の候補があった中で、ロケーションをとても気に入り、この場所に決めたと聞いています。今では川の景色が大きな売りになっていますね。目の前の久慈川はアユ釣りのメッカ。例年8月下旬には『あゆの里まつり』といったお祭りもあるように、ここは『鮎の里』です。アユをもっと知ってもらいたいと、ホテル鮎亭という名前を付けたそうです」
地域に貢献する想いは、作業療法士でも宿泊業でも変わらない
祖父の想いがつまったホテル鮎亭がオープンしたのは1973年。そして、椎名さんが3代目としてホテルを引き継いだのは2020年。新型コロナウイルス感染症が蔓延し、全国的に旅行業や宿泊業などが打撃を受ける真っ只中だった。
大変な時期だからこそ、祖父がこの街を盛り上げようと建てたこのホテルを守っていきたいと思ったという。

椎名さんの祖父が将来を見据えてホテル鮎亭をオープンしたように、椎名さんもまた、コロナ禍に屈することなく「ホテル鮎亭だからできること」を模索し続けている。
「三兄弟の三男として生まれ、物心ついたときからホテルはあったものの『ゆくゆくは、兄のどちらかがホテルを引き継ぐのだろうな』とぼんやりとした気持ちだったんです。兄も私も宿泊業とは関係のない仕事をする中、コロナが流行し、私は、仕事の合間を縫ってホテルを手伝うようになりました。兄がホテルを引き継がないという意思を固めたこともあって、祖父が建てたこのホテルを軸に、もっと常陸大宮市の観光を盛り上げていきたいという想いが強くなり、思い切って引き継ぐことにしました」
椎名さんの「常陸大宮市を盛り上げていきたい」という想いは、実は3代目として引き継ぐ以前から心に抱いていたものだ。
福祉系の大学を卒業後、市内の病院で作業療法士として働いていた椎名さん。病院が主催するイベントや地域のお祭りに、仕事仲間とともに、ラーメンやチャーシュー丼を作り、出店していたという。

作業療法士時代、仲間とともにイベント出店していたことを「とにかく楽しかったという記憶しかありません。地域の人の笑顔やこの街が盛り上がっていることを肌で感じられるのがとても嬉しかったですね」と語る椎名さん。
「作業療法士も宿泊業と一緒で、地域との関りが大切な仕事だと思います。その当時は、元々料理を作ることが好きであったため、飲食を通して地域と関わり、常陸大宮市を少しでも盛り上げていけたらいいなと思い、イベントに出店していました。現在も機会があればホテル鮎亭として出店しているのですが、その際に販売する『鮎亭なのにチャーシュー丼』といった商品は、作業療法士時代の名残ですね」
地域と関わり合いが持てるイベントが好きだと語る椎名さんからは、笑みがこぼれた。
作業療法士と宿泊業、はたから見れば全く関係のない職業のようだが、椎名さんにとっては、どちらも地域と深く関わり、地域の人の笑顔が見られる仕事なのだろう。
多彩な調理法で伝える、久慈川のアユの美味しさ
「アユを軸として地域に貢献しながら、常陸大宮市の観光を盛り上げる」そんな想いを胸に、家業を引き継いだ椎名さん。ホテル鮎亭はその名の通り、初夏は若鮎、秋から冬は子持ち鮎 など、季節の移ろいを感じながらアユを堪能できるホテルだ。
3代目である椎名さんをはじめ、スタッフの誰もがアユを楽しんでもらいたいという想いを抱いている。
「2021年から私自身も、10月から11月のアユが川を下ってくる『落ち鮎』の時期に行われる、久慈川の伝統的な漁法『なわばり漁』に挑戦しています。ホテル鮎亭の目の前で行われるので、目の前で獲れたアユをそのまま持ってきて調理し、お客様に味わっていただけることが魅力です。ありがたいことに、天然もののアユが食べられると好評です」

提供するアユ料理は、塩焼きの他、田楽、唐揚げ、天ぷら、釜めし、刺身など多彩。
野趣溢れる川魚特有の香り が、天然もののアユの美味しさの特徴である。アユ料理の代表ともいえる塩焼きは、内臓を抜かずに調理することで、その苦みがより一層そのアユの美味しさを際立たせる。
工夫を凝らした料理を提供することで、美味しく召し上がっていただいているという。
「アユ料理は塩焼きしか召し上がったことがない方も多いですが、ホテル鮎亭ではお刺身や釜めし、フライなどバリエーションが豊かな調理方法でアユを楽しめます。アユの塩焼き以外の料理を出すと元々川魚特有の香りが苦手だという方も『食べてみたら意外と美味しかった』と言ってくださいます。最近は、和食だけでなくイタリアンの要素も入れたら面白いのではないかと思い、試行錯誤中です」

ホテル鮎亭で提供されるアユの刺身。川魚のアユを刺身で頂けるのは、鮮度と調理技術の賜物。
地域に貢献しながら、アユをもっと身近に
ホテル鮎亭は、オープン当初からアユを専門に出す「鮎処」として親しまれている。数多くの伝統的なアユ料理があり、リピーターも多い。しかし椎名さんは現状に満足することなく、より成長していこうと、日々努力を重ねている。

創業当時からお客様に愛される鮎亭の名物「鮎釜飯」。香ばしく炙ったアユの開きとお米を一緒に炊き上げる。アユの出汁が染み込んだご飯とおこげのバランスは絶妙。アユだけでなく、おこげの味わいにも魅せられ、リピーターも多いのだそう。
「ホテル鮎亭を引き継いだのは、コロナで厳しい行動制限がかけられた時期でした。ホテル経営の先行きも見通せず、『新しいことをやっていかないとだめだ』という気持ちが強かったんです。そして、アユを全面的に売り出すホテルだからこそ、アユ料理をもっと強化していこうと思うようになりました」
最近では、久慈川のアユと地元の農家さんが作る野菜を掛け合わせた料理を提供したいと、スタッフとともに新メニューの開発に取り組んでいる。地産地消を意識した料理は「地域に貢献したい」という想いを持つ椎名さんだからこそ、生み出せるアイデアのように思えた。
そんな「鮎処」としての想いは、お土産にも垣間見える。ホテル鮎亭では、アユを自宅で手軽に堪能してもらおうと「鮎ひらき」「あゆ甘露煮」「あゆ魚醤漬け焼き干し あゆべえ」といったオリジナルのお土産を作り、販売している。
さらに、「アユをもっと身近にカジュアルに」をコンセプトとした「鮎亭流フィッシュ&チップス」もイベント出店時の人気商品だ。
これらのお土産は、2022年現在、ホテル内と市内道の駅でのみの販売だが、もっと気軽にアユを食べてほしいと通販サイトを準備中だという。
また、「お土産のバリエーションももっと増やしていきたいです」と力強く語ってくれた。「鮎処」として、もっとアユが身近な存在になってほしいという椎名さんの想いが商品として形になったといえるだろう。

コロナ禍で自宅での飲食が増えた昨今、一風変わった酒のつまみにとオリジナルで販売している「あゆべえ」。
ホテル鮎亭から地域の暮らしに触れて
アユの持つ可能性を広げながら、昨今のホテル業や観光業の多様化を前向きに捉え、臨機応変に対応しようとしている椎名さん。
「通年での移住希望者向けの体験型ワーケーション事業を考えています。ホテル鮎亭に滞在して、地域の暮らしに触れてもらい、常陸大宮市の魅力を肌で感じてもらいたいですね。何よりも、地域の魅力があってこそのホテル経営だと思っています」
体験型ワーケーションにおけるホテル活用の利点については、こんなふうに語ってくれた。
「田舎暮らし体験として農家民泊という選択もあると思います。でも、実際に農家に泊まらせてもらうのは、お互いに気を遣って大変だという人も中にはいると思います。それに、都市部から来た人には少しハードルが高いかもしれませんね。ホテルなら、そういう点は気にせず自由に過ごせます。その滞在先としてホテル鮎亭を選んでいただきたいです。ホテル自体は昔ながらの作りになっているところもまだあるので、ワーケーション事業に向けて、防音化やインターネット環境の整備をしたいと思っています」
ワーケーション事業は、ホテル鮎亭を起点に、常陸大宮市の魅力を感じられるものなのだろう。椎名さんが「地域の魅力があってこそのホテル経営」と語るように、地域の様々な人や自然などに触れることで、常陸大宮市を訪れた人がこの街をもっと身近な存在に感じてくれるに違いない。
想いはただひとつ。アユを軸にこの街を盛り上げること

創業当時からある生け簀。例年6月から10月頃まで提供されるアユの刺身は、お客様からの注文が入る度に、この生け簀から掬い上げて捌く。もちろん鮮度抜群で、コリっとした食感が人気。アユの塩焼きの香りに先入観があるお客様からは「臭みが無いくおいしい」というコメントを頂くことが多いそう。
コロナ真っ只中に3代目としてホテルを引き継ぎ、ホテル鮎亭ならではの道を切り開こうと前向きに歩み続ける椎名さん。
ホテルについて、改めてこう語る。
「ホテルには繁忙期と閑散期とがありますが、どの時期においてもしっかりと経営していかなければなりません。その中で感じるのは、やはり飲食業としての立ち位置の強化です。栃木県では、定食でアユを気軽に食べられるお店もありますが、常陸大宮市周辺ではありません。アユが抱かせるハードルが高いというイメージを払拭して、気軽に食べられる場所をホテル鮎亭に作りたいですね」
また、椎名さん自身が思い描く未来についても楽しそうに語ってくれた。
「何年かかるか分かりませんが、茨城ブランドとしてのアユを作りたいです。この辺りは、昔から『鮎の里』と呼ばれているにも関わらず、アユ釣りをする人も減って、少し衰退しているように感じます。だからこそ地域ブランドのアユを作り、たくさんの人に知ってもらい、久慈川のアユの味を楽しんでもらいたい。ブランド化された美味しいアユは他の地域にもありますが、とくに首都圏の方々が、アクセスしやすい常陸大宮市にアユを食べに来てくれるようになったら嬉しいですね。そして、この街がもっと活気あふれる場所になってほしいです」
街の鮮魚店から、常陸大宮市の魅力的なホテルの一つとなったホテル鮎亭。椎名さんの祖父が時代の波にもまれながらも、思い切ってホテル鮎亭をオープンしたように、コロナ禍は椎名さんにとって、ピンチではなく新たな1歩へのチャンスなのに違いない。
変わらないのは「アユを軸に地域に貢献し、常陸大宮市の観光を盛り上げたい」という想い。椎名さんはその想いを胸に、今日も3代目として歩み続けている。