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大森雅俊さん

PEOPLE

ダートトラックライダー

大森雅俊さん

世界で活躍するダートトラックライダー の挑戦に、終わりはない

アメリカ合衆国発祥の、バイクで未舗装のオーバルレーストラックを反時計回りで周回し、その速さを競う競技「フラットトラック」。中学生のころ、偶然この競技と出会い、情熱を注ぐようになった人物が、現在世界で活躍する大森雅俊(おおもり・まさとし)さんだ。

そんな大森さんに、フラットトラック競技との出会いやバイクへの想い、廃校の旧檜沢(ひざわ)小学校を再利用して運営するフラットトラックコースの練習場についてお話を伺った。

人生を変える、運命の出会いは14歳

バイクのタイヤをスライドさせながら駆け抜けるレースが魅力的なフラットトラック競技は、本場アメリカはもちろんのこと、ヨーロッパでも徐々に人気が広まっている。日本ではまだメディアに取り上げられることは多くはないが、世界的なスポーツだ。

この競技と大森さんとの出会いは、中学一年生のとき。
栃木県茂木町の「ツインリンクもてぎ(現:モビリティリゾートもてぎ)」で開かれていたレースに友人のお兄さんが選手として参加していたのを見に行ったことがきっかけだった。

「友人に『兄がレースの練習をしているから見に行こう』と誘われたことをきっかけに、友人のお兄さんやその仲間が練習する城里町の養鶏場跡地に、毎週のように友人と足を運ぶようになりました。ある日、友人のお兄さんがお世話になっている、バイクのカスタムショップのオーナーに『レースに出てみないか』と誘われたんです。オーナーは私のためにバイクもわざわざ用意してくれて、初心者クラスのレースに少しずつ参加するようになりました」

フラットトラック競技は、華麗なレースが観客の目を奪う華やかな世界。だがその一方で、世界で活躍するトップライダーたちは、レースに向けて、バイクのメンテナンスやセッティング、レースの組み方といったように、レースに勝つための準備が数多くある。レースに向けて、細かな準備をきちんとできたライダーこそ、世界で活躍する選手になると大森さんは考えている。


バイクに触れ、原因を分析することで勝利に近づく

当時レースに参加していたのは、大森さんよりも年長者ばかり。勝つのは難しかったが、それでも、バイクの楽しさを肌で感じ始めていた。

そんな矢先、大切にしていたバイクが壊れてしまう。大森さんは「楽しみがなくなった」と落ち込んだという。

会社員家庭で育った大森さんにとって、お金がかかるオートバイ競技を続けることは難しい。しかし、再度カスタムショップのオーナーが手を差し伸べた。

「レースに出たい」と言った私に、ショップのオーナーがもう一度バイクを用意してくれたんです。でもバイクを買うお金が無いので悩んでいると『買える、買えないの話ではなく、レースに出たいんじゃないのか』と言って、新たにバイクを準備してくれたんですよね。本当に嬉しくて、その代わりに、オーナーが働くカスタムショップのお手伝いをすることにしたんです。その当時は、毎週バイクの練習ができるわけでもなかったので、まずは、バイクに日常的に触れる環境を作ることも大切だと思いましたね」

ショップのオーナーが用意してくれたバイクで「レースに勝つ」と心に決めた大森さん。だが、年上の選手たちと勝負するレースはいつも最下位。

そんなある日、突然目の前に現れたのは、年下の小学生ライダーだった。試合に負ける原因は年齢にあると思っていた大森さん。しかしいざ勝負すると負けてしまった。そのときに初めて、自分の未熟さを思い知ったという。

大森さんは当時をこう振り返る。

「私より年下の小学生のライダーが現れたことで『今回は最下位じゃない、良かった』と安心していました。ですが、いざレースになると、その小学生ライダーにいとも簡単に負けてしまったんです。さらにはその小学生がレースで優勝し、そのときに初めて『自分は今まで何を練習してきたんだろう』と悔しくてたまりませんでした。そこから『どうしたら勝てるのか』と負けた原因を徹底的に追求するようになりました」

「フラットトラック競技は、自分自身を成長させてくれる存在であり、バイクもそれに答えてくれる」と語る大森さん。レースを戦うにあたって、試合までに準備することは、普段の生活にも通じる部分があると感じているという。日々の中の「やらなければならないノルマ」をきちんとこなせなければ、当然バイクにも向き合えないと考えている。


勝てない理由は、自分がいけなかったのか、路面のコンディションが悪かったのか、はたまたバイクの整備によるものか。次のステップに進むために、レース後は必ずその原因を分析し、次の試合に生かすようになった。

レースの反省点を繰り返し練習することで強い選手へと成長した大森さん。そして気付けば、全日本ダートトラック選手権 でシリーズチャンピオンになった。バイクと出会った3年後には、フラットトラック競技の本場で挑戦すべく渡米し、今もなお、世界のトップを目指し、日々バイクと向き合っている。

速さだけではない、バイクの魅力を伝えるために

勝利を積み重ねながら、バイクに対する想いも変化した。速さだけでなく、走る中での魅せ方も工夫し、レースに勝つことで「みんなを喜ばせたい」という気持ちも強くなったという。

またそれと同じくらい、フラットトラック競技の面白さを多くの人に知ってもらいたいという想いも芽生えた。

世界ランキング5位で終えた2022年。世界との出会いは「ツインリンクもてぎ」で開催された、アメリカのトップライダーとのレースで勝利したこと。その際にオファーがあり、より強くなるため17歳のときに渡米。世界に挑戦したことで、単にレースに勝利するだけでなく、フラットトラック競技の面白さや可能性などを多くの人に知ってもらいたいという想いも強くなった。


大森さんのそんな想いを形にした場所が常陸大宮市内にある。それが廃校となった旧檜沢小学校のグラウンドだ。ここには、大森さんが自ら整備した、バイクを練習するためのコースがある。また、バイクに触れてもらおうと、定期的にライディングスクールも開講中だ。

大森さんがこの場所に出会ったのは、2015年。常陸大宮市内で行われた、車やバイクを扱う仕事について紹介するイベントがきっかけだ。大森さんもこのイベントに、消防車や救急車などと一緒に参加。小学生に、プロのダートトラックライダーという職業を紹介したという。

このイベントがきっかけとなり、市の商工会と縁ができた。今後もフラットトラック競技の楽しさや魅力を伝えるイベントを開催したいと相談すると、商工会の方々は快く旧檜沢小学校を紹介してくれた。

小学校の近くにある建設業者に協力してもらい、旧檜沢小学校のグラウンドを整備。バイクに関するイベントを開催すると、300人近い人が集まり大盛況だった。


小学校のグラウンドの土は、偶然にもバイクとの相性が良かった。イベントだけでなく、次世代のライダーを育てるためのオリジナルの練習場を探していた大森さんにとって、またとない機会だった。

定期的にイベントを開催することで、地域の活性化に取り組んでいきたいという想いも強くなったという。ちょうどそのころ、タイミングよく常陸大宮市の魅力を発信する「常陸大宮大使」にも選ばれた。

旧檜沢小学校の活用から生まれる可能性を大森さんはこう語る。

「この場所にライダー仲間を呼んだり、子どもたちがバイクに触れる機会を作りたいと思いました。もともと小学校だったので、スクールを開くのも面白いのではないかと思い『ライディングスクール』という名前を付けて、スクールも始めました。また、全体的にフラットな土地なので、きちんと整備して綺麗にすればドクターヘリもいずれは降りられる可能性もあります。常陸大宮大使としても、廃校を活用し、世代問わずさまざまな人がここに集まれば『街おこし』のような形にもなると思ったんです」

廃校活用から生まれる、地域との繋がり

旧檜沢小学校のグラウンドが、レースに勝つためのライダーたちの練習場としてだけでなく、地域にいかに還元できる場所にしていけるかを考える大森さん。

廃校を活用しようと動き出した当初は、オートバイ競技が世代問わず受け入れてもらえるのか不安を感じていたという。

フラットで歩きやすく、日当たりも良いグラウンド。今では地域の方のウォーキングコースにもなっている。また、グラウンド内にはサッカーネットも置いてあり、地域の方には「公園のような感覚でいつでも自由に使ってほしい」と話しているのだとか。将来的には、ここを目的地にして多くの人が来るといったように、誰もが楽しめる観光地のような場所を目指している。


「オートバイ競技ということもあって、地域の高齢の方に受け入れてもらえるのか不安でした。普段は、レース以外にバイクのパフォーマンスショーをすることもあります。ショーは若い人が盛り上がってくれることは分かっていたのですが、高齢の方の反応は正直なところ、未知数でした。どちらかといえば『危ないことをしないでほしい』と言われるのではないかとも思っていたんです。ところが私のバイクの走りを見せると地域の高齢の方々が喜んでくれて、『もっと見たい』と言ってくれました。そのとき、バイクは老若男女問わず楽しめる競技だと確信しました」

大森さんの中にあった不安な気持ちは、地域の方々とのコミュニケーションによって払拭された。ここで生まれた繋がりを大切にしたいと、定期的な交流会も開催しているという。

「私の活動報告会や地域の方との交流会を定期的に開催するようにしています。交流会では、食べ物を準備して、みんなで食べながら意見交換をしています。また、地域の高齢者の中には、蔵の中に普通のバイクをしまい込んだままにしている方が多くいらっしゃいます。使わないままだともったいないので、商工会の方とも相談して、そのバイクを使用した高齢者向けのバイクイベントを実施したりもしています」

「特別な場所」で若手を育てる

地域との繋がりを大切にし、コミュニケーションを重ねる中で、バイクの楽しさや魅力を伝え続ける大森さん。14歳でバイクの世界に足を踏み入れ、約20年が経った。自らのダートトラックライダーとしての歩みを回想しながら、後進たちの育成にも意欲を高める。

「競技に関する全てのことを一から自分で考えて取り組んできました。その中で、スポンサーもやっと付いて、今の自分がいます。お手本となるアジア人選手もいない中、レースに勝つために『見えない影』をずっと追ってきたんです。本当は、強くなるための環境が欲しかったのですが、その当時はありませんでした。私が苦労した分、これからの子どもたちには、私がここに来るまでにかかった時間の半分の時間で、成長してほしいと思っています」

何もない環境の中でがむしゃらに過ごした時代があったからこそ、大森さん自身がその当時に欲しかった、集中してトレーニングできる環境が、この旧檜沢小学校には揃っている。

そして、練習して課題を見つけ、それをクリアし、さらに成長していくための「特別な場所」だと語る。

「ここは、強くなるために、私自身が全て計算して整備した練習場で、バイク一台一台の動きをよく見ることができます。例えば、10人生徒がいたら、10人それぞれが違う目標や課題を持ち、それをクリアして成長していく、そういう環境が整っているんです。限られた時間の中で練習し、その日できなかったことや課題を見つける。もし見つからなかったら、次の練習までに必ず考えて、自分の中で課題を出す。練習した中で、気付きや疑問がなかったら、その時点で次の練習はありません。疑問や課題を見つけ、試していくのが練習ですから」

「シーズンチャンピオンをとれなかったらバイクをやめる」といったように、自分に大きな課題を課し、毎回レースに挑んでいる大森さん。挑戦すればするほど夢や目標は変化し、終わりはないことにも気付いたという。「世界チャンピオンになったら引退しますか」という質問に対しても「そのときはまた夢の形を変えると思います」とはっきりと答えてくださった。


そして、大森さん自身もまた、現状に満足することなく、常に上を目指して挑戦を続けている。もちろん、目指すは世界チャンピオン。しかし、そこが大森さんのゴールではない。

「2022年度は世界ランク5位でした。世界チャンピオンを目指していますが、もし私がその夢を叶えたとしても引退は考えていません。今教えている子どもたちが私を超えて、『もう勝てない、私を超えた』と思うときがきたら、それが私の引き時なのだと思います。それまでは、私が先頭で走り続け、子どもたちには私の背中を追いかけてきてほしいと思います。そのためにはやはり、私が作ったこの『特別な場所』が必要です。ここで実力をつけて育っていってほしいですね」

フラットトラック競技と運命的な出会いを果たし、情熱を絶やさず打ち込み続けてきた大森さん。そんな大森さんの教え子たちは今、日本人ダートトラックライダーとして着実に成長を重ねている。

この競技は、日本ではまだメジャーではないかもしれない。しかし、この場所から生まれる展開やライダーたちの活躍が、徐々に競技への注目を集めていくはずだ。

大森さんのレース、この地域で育まれていく繋がり、そして教え子たちの将来の活躍。常陸大宮市の旧檜沢小学校から始まっていく展開に期待が高まっていく。

PROFILE

PEOPLE

ダートトラックライダー 大森雅俊さん

茨城県大子町出身。友人の兄の影響により、14歳でバイクに乗り始め、その魅力にはまる。バイクと出会った3年後にはフラットトラック競技の本場、アメリカへ。翌年から海外のレースにも参戦。そのテクニックが認められ、日本人で唯一のAMA(全米モーターサイクル協会)とFIM(国際モーターサイクリズム連盟)のナショナルゼッケン「70」を持つ。2010年~2012年:全日本ダートトラック選手権エキスパート450オープンクラスシリーズチャンピオン。2015年~2017年:FIMパフォーマンスコンテスト優勝、2019年:全日本スーパーモト選手権(S2)シリーズチャンピオン、2020年:FIMフラットトラック選手権 世界ランキング9位、2022年:FIMフラットトラック選手権 世界ランキング5位。
2015年からは、廃校となった常陸大宮市の旧檜沢小学校のグラウンドを活用。自身で整備したグラウンドにコースを作り、次世代のダートトラックライダーの育成にも力を入れている。「常陸大宮大使」としても活動中。

INTERVIEWER

谷部文香

1993年生まれ。東京都八王子市出身。大学(歴史学・博物館学専攻)卒業後は、介護職、歴史編さん調査員と職を変えながら、ライターとしても活動する。コロナをきっかけに、地方への関心の高まりと同時に、本当に好きなことを仕事にしたいと人生を模索。2021年、東京から茨城県常陸大宮市へ移住。地域おこし協力隊(情報発信担当)として取材活動をしながら、ライターとしても取材する日々を過ごす。

Photo:鈴木潤(日立市出身)(一部提供写真を除く)