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茨城のヒト・コト・バ PEOPLE, THINGS, SPOTS OF IBARAKI
つくばブルワリー・醸造士/株式会社ペブルス 代表取締役
延時 崇幸さん
次の100年へのレシピ。つくばブルワリーの地域への眼差し
つくば市民で賑わう洞峰公園。公園から楽しげな声が聞こえるほどの距離に、つくば市内初
のクラフトビール醸造所「つくばブルワリー」は佇む。店内にラインナップされているのは、どこか「つくばらしさ」を感じさせるクラフトビールたち。市内産の食材を副材料に使用して作るビールが並ぶ日もあるという。
磨き上げられた銀色のタンクが静かに連なる醸造室から、延時 崇幸(のぶとき・たかゆき)さんが目指すのは「100年続くような、地域に根を張る仕事」だ。
次の100年を目指して「つくばらしさ」を探り続けるという延時さんに、地域で永く続く事業のために必要なこと、そして地域への想いを伺った。
つくばの「楽しい時間」を増やしたい
「実は、元々お酒はそんなに強いわけではないんです」
いたずらっぽくほほ笑む延時さんは、ビールの醸造を始めた理由を「地域で100年続くような仕事がしたかった」と話す。
根底にあるのは、地域の人に喜んでもらいたいという想いだ。商いにビールを選んだ理由のひとつも、当時つくば市内には無かったブルワリーができる事で、街がもっと楽しくなるかもしれないと考えたから。また、お酒が「楽しい時間を過ごすこと」や「楽しいひとときの共有」といった幸せなイメージと結びつくのも大きかったという。
「大きな公園の近くに最初の店舗を構えたのは、若い世代にもビールを飲んで過ごす楽しい時間のイメージを持って欲しかったから。公園で遊んでいる子どもたちが将来『そういえばお父さんとお母さんが、休みの日にあそこでビールを飲んで楽しそうにしていたな』とふとした瞬間に思い出してくれた嬉しいですね」
そう言って延時さんは目を細めた。
土地に根を張り生きてゆきたい
延時さんは、山口県出身の水戸市育ち。つくば市へは、2010年 にやってきた。2010年には、つくば市内で映像制作の会社を立ち上げ、事業を続けている。
映像制作の仕事では、国内外へ足を運ぶ機会も多く、地域の人に愛される企業や、様々な生業を持つ人たちとのたくさんの出会いがあった。中でも延時さんがとりわけ心惹かれたのが、都市部から離れた地域で、その場所に根差した衣食住を守る人たちの姿だったという。
「引っ越しが多い子ども時代を過ごしたので、漠然と『地域に根差すこと』や『地域に永く関わる仕事』に対する憧れも強かったのかもしれません」
つくばで起業したのも「ひとつの土地に根を張りたい」という強い思いの現れでもあった。
起業して約10年が経ち、延時さんが30代後半に差し掛かったころ、改めて今後の人生を考える時間を持った。その際生まれた気持ちは、今後はもっと「アナログ」に地域と関わりを増やしたいという思いだったそうだ。
その気持ちを延時さんは振り返る。
「映像制作の仕事は、比較的新しい業種。やりがいもあるし、仕事を通して知り合いもたくさんできました。ですが、食や住まいに関わる仕事と比べると、数十年、数百年と地域で築いてきたものがあるわけではないし、自分がいる地域の外で活動する時間も長いです。仕事柄、撮影に行った先で、地域との関係や受け継いだものを次代に残すべく奮闘する人たちの様子を見ていたので、『自分は地域に根を張れていない』と感じることが多くなっていたんです。それに、受け継いで残すものがある人たちが羨ましくもありました」
地域で循環するビールを目指す
これからの人生、いかにして「地域の人」となっていくか。
そう考え始めたころ、延時さんはつくば市が「つくばワイン・フルーツ酒特区」(以下、ワイン特区)に認定されたと耳にする。
※つくばワイン・フルーツ酒特区:ワインの製造許可取得に必要な最低醸造量を2000リットル~に緩和する特例認定。つくば市は2017年から特区認定を受け、小規模な事業者の参入も可能になった。
ワインは、ブドウ畑がある地域の気候や土壌と、作り手の技術と思想が強く反映されるお酒のひとつ。海外では土地に根付いて数百年と続くワイナリーの例も少なくない。ヒントを得られるかもしれない、と感じた延時さんは、さっそく、つくば市の栗原にあるワイナリーに足を運び、ブドウ栽培の手伝いに参加。
収穫シーズンを終えて、ブドウ畑でワイナリーのオーナーや仲間たちと労いのお酒を飲んでいた日のこと。地域で作られたワインや日本酒が並ぶ中、ビールだけは大手メーカーが製造する市販のものだったのを見て、延時さんは「ここにつくば産のビールがあったら」と心から思ったのだという。
自らビールを醸造しようと決意したのはこの時だ。
「一緒に畑を手伝う仲間の中には、ワインの醸造を志す人や、日本酒を作るための酒米を育てる人たちがいたんです。クラフトビールは醸造の際に副材料としてブドウを使うことも、お米や酒粕を使うこともできる懐が深いお酒。つくば市は果樹や野菜を育てる農家が多いため、ビールに個性を出すための材料は手に入りやすい環境にあるし、ワイン特区認定されたことで、今後ブドウ農家やワイナリーの増加予想もできました。もし、つくばでビールを作ることができたなら『近くで循環する』この土地の人に喜んでもらえるお酒になるのと思いました」
「共に栄える」ものづくり
「近くで循環する」とは、延時さんが思う「土地に根を張って永く続く仕事」を形成する要素のひとつでもある。延時さんが今まで見てきたという「土地で永く続く」仕事や企業も、その土地にあるものを活かし、その土地の人に愛され、その土地の物や人、経済をも循環させる役割を担ってきた。関わる人全てが相互に作用して、地域に良い循環をもたらす関係にあるのだ。
延時さんは、ワイナリーでの想いを振り返って、ビールを作る理由を「共に栄えるビジョンが見えた気がしたから選択した」とも付け加えた。
その言葉のとおり、つくばブルワリーでは、つくば産の果物を使ったビールに加えて、市内ワイナリーの醸造過程で出てしまう廃棄果汁や、酒蔵から出る酒粕を利用したビールの醸造を行っている。
また、ビール醸造の際に出るホップや麦芽の搾りかすの大部分は、市内の養鶏場で餌として活用されている。さらに、その養鶏場の卵は市内の飲食店に流通しているのだという。
次の100年へのレシピ
2020年のブルワリーオープンから約3年。コロナ禍を挟みながらも、ブルワリーの存在は今ではつくばの住人にとって日常の景色となりつつある。地域に根を張り、100年続くものづくりを目指して、そして人と人とを繋げるビールを目指して試行錯誤するなか、延時さんには新たに気づいたことがあるそうだ。
それは、永く続くものづくりにおいても、変化し続けることは不可欠だということ。
今までにビールを仕込んだ数は、間もなく100回に届こうとしている。そのなかで延時さんは様々なレシピでの醸造を挑戦し続けてきた。さらに、一度作ったことのあるスタイルのビールを再び作るときは、以前よりおいしく作れるよう、レシピを調整しているのだそう。そしてもちろん、新しいビールのレシピづくりへの挑戦も、常に意識している。
挑戦と試行錯誤の先には、「醸造回数が100回に届いたら、それまでの中で特においしかったレシピを中心にビールを造る」という展望もあるそうだ。
そんな新しいチャレンジや変化の先に「つくばらしさ」を見つけたとき、地域で永く続くものづくりが成立するのではないか。延時さんは、そう考えるようになった。
「では、つくばらしいビールとは?」とあえて尋ねると、延時さんは宙を見上げて一瞬難しい顔をした後、またにこやかに笑って答えた。
「それが分かるには、もっと時間がかかりそうです。あるいは、答えなんてないのかもしれません。死ぬまでに見つけられたらいいかなとも思っていますが、もしかしたら僕の役割は次の100年をこの街で生きる世代へ、想いを継ぐための土台作りをすることなのかもしれませんね」
見据えるのは次の100年。地域で必要とされる存在であり続けるため、延時さんは技術や知識のアップデート、新しい取り組みに挑み続ける。
筑波山の麓から世界へ
そんな延時さんには、心を弾ませる出来事がまたひとつ増えている。つくば市のシンボル筑波山の麓に、新たな醸造所をつくる計画が進行し始めたからだ。
その地域は、延時さんにとって「100年続くイメージが目に浮かんだ場所」。ここに生まれる醸造所では、念願だった筑波山麓の水(地下水)を仕込み水にしたビールの醸造が叶う見込みだ。そして、この醸造所で作られるビールは瓶や缶に充填し、お土産として販売予定。
「麓の醸造所のビールには、つくばのお土産や広報の役割を期待しています。つくば市を訪れた人の手で、県外や国外にもビールを運んで貰えたら、街の宣伝になるのではないでしょうか。ビールを買って帰った人が『仕事で行ってきたつくばのビールなんだよ』なんて話をしながら飲んでくれたら嬉しいですね」
変わらない想いは、波及し受け継がれてゆく
新たな展開を迎え、更なる変化が待ち受けているであろう、これからのつくばブルワリー。コロナ禍を経て、時代はこれからも目まぐるしく移ろうが、延時さんは「時代や状況が変わっても、僕たちは地域の人たちが喜ぶことをやる。それだけです」と胸を張る。
「そもそもの始まりは『地域に根を張ることで、地域の人に喜んでもらえる存在になること』。そして、 『人と人を繋げること』。つまり地域貢献への想いなんです。それさえ忘れなければ、今後も正しい判断をし続けられると信じています」
元々ビールを事業に据えた理由のひとつは、どうせやるなら、身近に無いものを選んだ方が地域の人に喜んでもらえるのではないか、という思いもあってのこと。
「地域の人に愛されるビール造りは、100年後も続いていってほしいです。とはいえ、この先数十年、100年と時代が続く中で、社会は変化していくはず。その中で、地域に対して同じ想いを引き継いだ人たちが、ビール以外の事業を展開しても構わないとは思います。それでも、規模は小さくても、想いがこもった地域の人に愛されるビール造りは、ずっと続いていってほしいですね。だからこそ今、100年つづくビール造りを試行錯誤し続けています」
清々しい表情の延時さんは、力強く話す。
つくばブルワリーやつくば産のビールの存在が広まることで、日本中に「その土地に根ざし活躍する人」や「土地の人々と共に永く続くものづくりや取り組み」を増やしたい、とも今後の夢を語った延時さん。この土地で、これから脈々と継がれて行くであろう想いを胸に、「次の100年」へのレシピを探し今日も醸造所に立ち続ける。