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茨城のヒト・コト・バ PEOPLE, THINGS, SPOTS OF IBARAKI
看板屋・ミュージシャン
看板屋たけちゃん&うたうたい りりぃさん
生きるために大切なものが、自然のなかにある
JR常磐線石岡駅から車で北西に20分程走ったところにある、石岡市内の八郷地区。筑波山や加波山をはじめとした筑波山地に囲まれた「八郷盆地」と言われる土地の中にあり、広がる田畑の目前まで斜面が迫る、文字通り山に囲まれた地域だ。
そんな石岡市の自然にあふれる地域に、一組のクリエイター夫婦が移住した。
ご主人は、「看板屋たけちゃん」代表、”たけちゃん”こと福島毅(ふくしま・たけし)さん。
出身は兵庫県で、18歳のときに自衛隊隊員としてひたちなか市にやってきた。現在は看板屋として、古材や鉄などを中心に使用した、立体的でインパクトのある看板を手掛けている。
そして奥様は、ミュージシャン、読み聞かせ、弾き語りライブの他、子ども向けライブや、絵本読み聞かせと音楽など、人と場を活かした音楽活動を行なっている、うたうたい りりぃさん。
栃木県出身で、進学を機に土浦市にやってきたが、たけちゃんとの結婚を機に鉾田市に引っ越し、その後夫婦で石岡市に移住。現在、うたうたいとしての活動はもちろん、全国の野外イベント出演、幼稚園ライブ、絵本読み聞かせライブ、小美玉市観光PR曲『喜びのまち』楽曲提供など活動の幅を広げている。
この二人は2017年に石岡市の八郷地区に移住して以来およそ2年、山や自然に囲まれた中でクリエイター活動を続けている。
八郷地区で暮らす二人に、ご自身の活動の話や、この場所での暮らし、そして八郷地区の特徴を活かしてこれから取り組んでみたいことについて伺った。
可能性が伸びていくプロセスが楽しい/看板屋たけちゃん
「やっぱり挑戦することが好き。自分を輝かせたい一心で」
そんな気持ちで、今まで誰も見たこともないようなデザインの看板を作り続けているたけちゃん。茨城に来たきっかけは、茨城の自衛隊駐屯地への着任。そこで隊員として勤め15年経った頃、うつ病で辛い気持ちに苛まれるようになってしまったが、それが挑戦のスタートでもあった。
たけちゃん「その時、人間はなぜ生まれて来るんだろう、と本気で考えだしました。人間には可能性があるし、自分がやりたいことをやることで輝けるのでは、と思いました」
そう考えられたことをきっかけに、自衛隊を辞めて日本全国への旅を決意。約2年間、「挑戦することを大切にして、新しい扉を開きたい、まだ見ぬ自分を見たい」という思いで、自転車、徒歩、電車、ヒッチハイクなどで様々な場所をめぐった。
旅先で出会うのは、全く面識のない人たち。それでも、初対面のたけちゃんのことを温かく受けいれてくれたそうだ。たけちゃんは、旅先で出会った人たちの仕事を手伝ったり、宿を借りたり、一緒に食事をしたり、酒を飲み交わしたりすることで、自分自身を見つめていった。時には、兵庫の実家に帰り、家業の溶接工の仕事を手伝ったこともあったそうだ。
そして気づいたのが「自分はモノづくりが好きなんだ」ということ。
たけちゃん「旅をしながら蓄積されていった経験の結果ですね。ずっと自分の心を見ながら旅をしていて、『こっちが楽しそうだな』と思える方向に進んでいったら、モノづくりにたどり着きました」
旅を終えた後、「自分は何をやって生きていけるのだろうか」と考えるために、とにかく手を動かし、家具や看板を独学で作成。自分の作品を発信するために、地域のクラフトイベントにも出展した。
自衛隊時代に知り合った、笠間のアンティーク家具屋にも度々、仕事を手伝いに行くこともあった。単なる仕事の手伝いとしての関わりだけでなく、このお店の雰囲気、オーナーの考え方や自分のことを伸ばしてくれる人柄に、たけちゃん自身も惹かれていたそうだ。
模索しながら製作を続けていく中、「看板屋」になったのは、アンティーク家具屋のオーナーからの「たけちゃんが作る看板は面白いよね」という言葉がきっかけ。現在の店舗名「看板屋たけちゃん」の名付け親も、このオーナー。最初は恥ずかしさもあったが、この名前を語りだしていくと、愛着も湧き、自分の中にすっぽりとはまっていく感覚もあった。
たけちゃんの看板づくりは、自分で手を動かし体得していった「我流」。
モノづくりを始めたころは、流木に文字を書いたり、木を彫ったりしながら作るスタイルだった。口コミが広がりオーダーを受けるようになってからは、具体的な加工方法や作り方が分からない看板づくりでも、ワクワクしながら引き受け、挑戦。納期が迫る中、鉄の曲げ方が上手くいかず、泣きそうになりながら作業したこともあったそうだが、数をこなしていくことで、現在のようなオリジナリティのある、2つとないデザインを作れるようになっていった。
たけちゃん「常に挑戦ですね。他と一緒のものを作りたくないし、見て面白い、みんなが楽しめる物を作りたい。作るときは、お客さんと話をしながら、自分もお客さんも喜べるような状態が思い浮かばないと手が動かないですね。ただ作るんじゃなくて、みんなが喜べるスタイルは大事にしたいです」
他にも、子供たちに向けたワークショップも開催。これまで、ツリーハウス作りや、流木を使った工作教室を開催。そこにも、挑戦や可能性を伸ばすことへの思いがある。
たけちゃん「人の可能性は無限だと思っています。だから、子供たちとワークショップをしながら、その子の特技を見つけて褒めてあげるのがすごい好きです。子供が釘打ちしてると上手くいかなくて釘が曲がっちゃうんだけど、『曲がっても良い。とにかく失敗しても良いから思いっきり打ってみな!』って教えると、嬉しそうにどんどん打ってくれる。そういうのを見ていると、自分も楽しくなります」
挑戦、ワクワク、可能性など、前向きな言葉を自然に発していくたけちゃん。自身の原動力をこう語る。
たけちゃん「自分の楽しさの軸は、可能性が伸びるところかな。例えば、ワークショップで、ちょっとイジイジした感じの子に『それ、ええやん!』と声をかけていくうちに変わっていく姿とか。空間的なもので言えば、廃墟とかが蘇って、不要なものが必要なものに変わっていく過程もすごく好きですね。看板や家具作りにもその考えは繋がっていて、『この素材の個性はどこだろう? どういう風に使えば生き返るかな』と考え、ワクワクする気持ちが内側から出てくると製作がどんどん進みます。ただ、何かの素材であったりお客さんの笑顔のイメージが途切れてしまうと、手が動かなくなってしまうので、そういう時は、近くの山に登って、自然を感じに行ったりしますね」
人も場所も活かした音楽活動をしていきたい/うたうたい りりぃさん
「人と人の循環」をテーマに掲げ、テーマに掲げ、弾き語り活動や子ども向けライブ、絵本読み唄いライブを行うりりぃさん。
栃木県出身のりりぃさんが茨城県にやってきたのは、大学進学のタイミング。土浦市に住み、大学では、福祉関係について学んでいた。実のところ、本当に進学したかったのは音楽の学校。しかし親に反対され断念し、福祉の道に進むことに。
それでも、学業と並行して音楽活動にも取り組み、寮生活で出会った友人と駅前路上ライブやライブハウスへの出演を行っていた。さらにはケーブルテレビのレポーターとしても活動。そういった活動を通して、県内での人の繋がりを築いていった。
大学卒業後は、地元には戻らず、つくば市の福祉施設に就職。
りりぃさん「仕事を探す時に、茨城を離れるという選択肢は無かったんですよね。茨城で何かやろうという思いもあったし、学生時代にライブさせてもらったり、ケーブルテレビのレポーターさせてもらったりと、すごい人に恵まれていて、茨城が心地よかったです。だから、茨城を出ようとはあまり考えなかったですね」
就職後は、福祉施設で働きながらも、バンドやソロでの音楽活動を実施。
バンド活動は、今でこそ芸の肥やしになったとは思えるが、りりぃさんがやりたいと思える音楽性とは違ったものだったそう。
もともと内気な性格で、自分の想いをストレートに表現したり伝えることが苦手だったそうだ。しかし、自分の作詞作曲する音楽を奏でる中、「人のために歌いたいという気持ちよりも、自分自身のために表現をしている」ということに気付いたという。自分自身を表現することで、心を癒していっている感覚になり、りりぃさんにとって音楽はセラピーのような存在だった。
しかし、福祉施設での仕事やバンド活動の忙しさが続き、やりたいと思える音楽にも取り組めなかったなか、体調を崩す。そこで「まずは自分が変わらないといけない」という思いから、福祉施設の退職を決意。自分のやりたい事について再認識するきっかけとなり、音楽活動を行なっていく決意にも変わる時期であった。
たけちゃんとの出会いは、2010年ごろに彼が個展を開いた際、共演したことがきっかけ。りりぃさんが歌うなかで、たけちゃんが書のライブパフォーマンスを行うという内容だった。
「良いタイミングでたけちゃんに出会えた」と語る、りりぃさん。その後結婚し、鉾田市でたけちゃんと一緒に暮らす中で、自分の心がより開放されて、バラードではなく、楽しい音楽が作れるようになったと実感。たけちゃんの「可能性を延ばす」という姿勢を、時には熱苦しさを覚えながらも間近で感じることで、りりぃさん自身が積み重ねてきたことを、仕事や活動にしっかりと結び付けられるようになった。
りりぃさん「以前はバイトしながら音楽活動をしていましたが、たけちゃんは人が持つ可能性を伸ばしたいタイプなので、バイトしていると怒られてしまって。『そんなことに時間使うなら、自分のCDを売ったほうがいいだろう』って。そのおかげで、ここ2年ぐらいは、ありがたいことに音楽だけで仕事ができるようになって。たけちゃんがいなかったら、音楽にここまで踏み込めなかったかもしれません」
学生時代からの人の繋がり、そしてたけちゃんとの出会いから生まれた新しい人の繋がりを大切に、現在は、茨城県内を中心に活動している。
りりぃさん「ライブハウスじゃないところで、どんなふうに活動を広げていけるかを考えています。2年ほど前から、森の中でイベントやったり、廃校や美術館でイベントをしたりと、とにかくライブハウスに来る人じゃない人に向けて音楽を届けたい、人と人の循環を作りたいという思いから、自分で音楽イベントも企画しています」
最近出演したライブでは、切り株の上でのライブや、畑の中など、自然の中で唄えることが、何より嬉しく気持ちが良いとのこと。「ダイヤモンド筑波」と呼ばれる筑波山に夕日が落ちていく風景を見据えながら歌うというイベントにも出演。
りりぃさんが農家の方と企画したライブでは、レジャーシートを敷いて、常陸太田市にある木の里農家さんと共同企画し、森の中で、農家ごはんを食べながらピクニック気分で親子参加できるイベントを企画したそうだ。イベント会場まで、地元の方がハイキングの案内をしてくださったり、参加型のライブペインティングやライブなどを行なった。農家のごはんを食べながらピクニック気分で親子で参加してもらえるように企画したそうだ。
りりぃさん「音楽がキーワードになりつつ、会場に来てくれた人と何かが派生していくような繋がりができればいいなと思います。企画を作るときは、人と人とが循環することを意識していて、大人も子供も楽しめる、人も場所も生かした音楽活動ができたらいいなと思っています」
音楽と共にら子ども向けライブや絵本ライブなども行い、文化施設や、森のようちえん、幼稚園、小学校、工房などでも活動の幅を広げている。絵本ライブでは、絵本を読むだけではなく、音楽に合わせ即興で読み唄いするそうだ。
人と自然に惹かれて、八郷へ
かつて鉾田市に住み、看板屋とミュージシャンとしての活動を続けていた二人だが、2017年に急遽家を離れることになり、移住先の場所として選んだのが、石岡市の八郷地区。
この場所を選んだ理由は、八郷地区の「人と自然」。
りりぃさん「思い起こしてみると、20代ぐらいに八郷で暮らしたいと思っていた時期がありました。一人で滝まで通ったこともあったし、アルバムのレコーディングの場所として八郷の山小屋を紹介してもらったこともあります。そういうこともあって『八郷は良いな』と思うようになっていましたね。人と人との距離感もよくて、お互いに縛り合う感じは無く、各々が自立している。でも、何かやりたいというときに力を貸してくれる人が多くて、生活しやすいですね」
古くから住む人以外にも、有機農家、場づくりを行う大学生など新しく住み始めた人や、セルフビルドで自分の家を作ってしまう人などもいる。住人それぞれのの中に、自立する姿勢を感じるのも魅力だそうだ。
豊かな自然が暮らしのすぐそばにあることも、八郷地区ならではの魅力。
たけちゃん「自然の大切さをすごい感じるんですよね。時間があればちょっと山に登りに行くこともできるし、自然の中に入る時間が増えてきました。やっぱり自然から得るものはすごいある。東京に行くのも刺激があって楽しいけど、長い時間いると人の多さに疲れてしまう。八郷にいるとホッとしますし、時間や心にゆとりが出来る。生きるために大切なものが、自然の中にあるような気がしています」
もちろん、移住をするときには不安もあった。とはいえ、結局は動いてみないとわからないし、移住してからのことは、考えているだけでは一切分からない。たけちゃんたちも、地域の草刈りなどにはこまめに参加し、住人たちと顔を合わせる機会を作っているそうだ。
たけちゃん「やっぱり、地域に住むっていうのは、そういうことが大切だと思うので。八郷でもいろいろな地域があって、移住者が多い場所もあるけど、うちの周りは、移住者が少ないので、自分達が移住することによって、ちょっとずつでも面白い発信をしていきたいと思っています」
ここに「村」をつくりたい
二人が石岡市に移住して2年。目下取り組んでいるのは、「村」を作ること。
たけちゃん「自分が楽しみながら生きるにはどうしたらいいんだろう、といつも思っていて、そのために、10年前から『村づくり』という構想を思い描いています。これは、自衛隊時代から描いている、自分も含め関わる人達のそれぞれの強みや可能性を伸ばす事を目的とした『生きる為のキャンプ場』構想図」
そう言って見せてくれたのが、たけちゃんが思い描く「村」を紙に起こしたスケッチ。アイディアを描き足しながら、何度かバージョンアップもしてきたそうだ。
そのために現在進めているのは、八郷地区のなかにあるの工場跡地を改修した工房づくり。
たけちゃん「改修を進めて、工場だけは来年中旬までにはある程度の形にしたいと思っています。工場の跡地を綺麗にして実際に使うことで、『八郷地区の中で増えていく空き家をどうにかしてほしい』と声をかけてもらえるようにしていきたいです。そして、他の空き家を改装して、宿泊施設や食堂、花屋など店舗を造っていきたい。そこに魅力を感じた人達が八郷地区に遊びに来てくれたり移り住んでくれる事によって、もっと面白いことができると思います」
もちろん、村を作るためには仲間も必要。実は仲間に誘い入れたい友人もいるそうだが、現在は、たけちゃんが行動と実績を見せる段階だ。
たけちゃん「まずは自分が形にして示して、『八郷地区でこんなことできる』ということを伝えられればと思います。可能性や魅力を持っているのに、仕事を『面白くない』と思いながらやっている人も多くて、それはもったいないと思っています。だからこそ『生きる為のキャンプ場』に来て、ここで何かやってみようかな、と思ってもらえるようにしたい。そのために、有言実行は大事。まずは形にして、みんなに見せていきたいです」
まずは工房を完成させる予定。そして、りりぃさんの発想から生まれる面白い企画を実行できるよう、イベントスペースも整備していくそうだ。
たけちゃん「身近なところがまずは笑顔になっていけばと思っています。そこは喧嘩しながらですが、自分もりりぃさんも、二人とも自分を極めようと生きていますからね」
足を運び、人と出会うこと
最後に、茨城へ移住を考える方へのメッセージを伺った。挑戦し、行動し、人や地域と繋がってきた二人は、移住をするときにどんなことを大切だと思ってきたのだろうか。
たけちゃん「何か魅力を感じたなら、実際に通うことが大事かなと思いますね。気に入った場所や、自分が好きだなと思うものを探して、そこに行く。暑苦しくて嫌がられるんですけど、やっぱり行動あるのみですね」
りりぃさん「やっぱり人が大事かなと思っているので、その場所に通って、多くの人に出会い話を聞いていくことはすごく大事なんじゃないかと思います。安心できる人、魅力のある人が、その場所にどれぐらいいるのか、ということは、そこに行きたいと思うためのポイントだったりもしますね」
気になる場所があれば、足を延ばす。そして人と出会い話をする。とてもシンプルなアクションだが、それが茨城に関わっていくきっかけになるはず。茨城の気になる「ヒト・コト・バ」を見つけたら、まずは、行動あるのみ。