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茨城のヒト・コト・バ PEOPLE, THINGS, SPOTS OF IBARAKI
髙橋肉店三代目
飯島進さん
地域愛と団結力で盛り上がる、コロッ ケの聖地
龍ケ崎市に訪れたら必ず食べたいのが、ご当地グルメ「龍ケ崎コロッケ」。
2006年、龍ケ崎市は中心市街地活性化のために、市街地活力センター「まいん」という、全国的に珍しい公立のまんが図書館を設立。その施設を拠点として活動する団体として、「子どもたちにの思い出になる食べ物を届けたい」という思いを持った街の女性たちによる「商工会女性部」が結成。
そして、商工会女性部の思いから誕生したのが龍ケ崎コロッケだ。
街にとって、コロッケは「昔ながらの名産品」というわけではない。しかし、地元の人たちの団結力とコロッケ愛のもと、地域のコロッケ愛は徐々に加熱。2014年にエントリーした「全国ご当地メシ決定戦2014」では、全国の名だたる名産品を抑えて龍ケ崎コロッケが見事優勝。2017年には、特許庁より「地域団体商標登録」を取得し、名実ともに龍ケ崎の名産品となった。
龍ケ崎コロッケの定義は、「手作り」「龍ケ崎産の食材を使用」という条件を満たしていること。地元には、商店街の精肉店・飲食店が中心となり結成した、龍ケ崎コロッケを盛り上げる団体「コロッケクラブ龍ケ崎」があり、2019年現在、加盟店約20店舗が、それぞれ独自のレシピで龍ケ崎コロッケを作っている。
そのほか、車内がコロッケでいっぱいの鉄道「コロッケトレイン」が走り、また市内循環コミュニティバスにも、コロッケシートが装着されている。全国各地のコロッケが集う「全国コロッケフェスティバル」も、これまで3回開催されてきた。
今や、龍ケ崎は、地元の人たちの力で作られたコロッケの聖地。
そんな龍ケ崎コロッケのPRに奔走してきた一人が、龍ケ崎市内の精肉店「髙橋肉店」の代表、飯島進(いいじま・すすむ)さん。
出身は下妻市(旧千代川村)だが、結婚を機に髙橋肉店の三代目として後を継ぎ、経営はもちろん、店舗運営や商品企画も行っている。それだけでなく、コロッケクラブ龍ケ崎の会長として、全国ご当地メシ決定戦2014が終わった今でも龍ケ崎コロッケのPRにも力を入れている。龍ケ崎を元気にしたい、龍ケ崎に来てくれた人たちに楽しんでもらいたい、という思いを胸に活動中。
今回は、そんな飯島さんに、龍ケ崎コロッケを中心とした街の盛り上がりについてお話を伺った。
大手自動車ディーラーから街のお肉屋さんに転身
飯島さんが代表を務める髙橋肉店は、昭和24年創業で、飯島さんの奥様のご実家。初代が精肉店として創業させたが、初代の奥様が「子どもたちに、美味しくておなかがいっぱいになる物を提供したい」という思いからコロッケづくりも行うようになった。
飯島さんと奥様の出会いは、飯島さんが大手自動車ディーラーに勤めていた時。店舗でお客様対応をしていたことで奥様と知り合った。お付き合いも始まったころ、髙橋肉店の二代目は「大型スーパーができたし路面店も減って来たから、自分の代で店をたたむ」と考えていたそうだ。
そんな中、当時結婚前だった奥様に呼ばれて髙橋肉店でご馳走になったことが、飯島さんが店を継ごうと思ったきっかけとなった。
「当時、お肉はスーパーで買う程度だったので『肉なんかどこで買っても一緒じゃね?』って思っていたんです。そんなとき髙橋肉店で焼き肉を食べさせてもらったら、『こんなに美味しいのか!』って。そのときコロッケも出してもらって、ばあちゃん(初代の奥様)から話も聞かせてもらって、『毎日食べても飽きないような味に作るんだよ』っていうことも教えてもらったんですよね。ご馳走になったりお話聞いたりしてたら、お肉屋さんが楽しくなってきて『お肉屋さんやっちゃう!?』みたいな感じで盛り上がってきたんですよね。自分はそのときディーラーの仕事をしていたし、妻は保育士の仕事をしていたんですよ。でもこのお店を潰しちゃうのはもったいないし、うちらでお肉屋さんやろうか、という話をして、二人とも仕事を辞めて、髙橋肉店を継ぎました」
大手自動車ディーラーから個人店舗という全く違う世界に飛び込んだ飯島さん。肉やコロッケの美味しさに感動したとはいえ、不安は無かったのだろうか?
「ディーラーで働いていた方が、正直安定もしてるし給料もいい。店を継ぐときは、親や同僚にも『何で肉屋やるの?』って言われましたし、二代目からも『あんまり給料払えないぞ』って言われました。でも、髙橋肉店には住むところもあるし、肉とかコロッケとか食べるものもあるし生活はできますからね。龍ケ崎には同級生もいないですけど、美味しいコロッケを作ったり、イベントに出店して販売するのが楽しい、という思いからこの業界に入りました」
コロッケを通して感じた、龍ケ崎の団結力
飯島さんが結婚し髙橋肉店を継いだのが、2003年。そのころ、地域では「コロッケで龍ケ崎の街おこしをしよう」という動きが起こっており、2002年には「コロッケクラブ龍ケ崎(以下、コロッケクラブ)」が結成されていた。
髙橋肉店もコロッケクラブに加盟していたが、二代目までは、小規模な家族経営ということもあり活動には積極的に参加できなかったそうだ。そこから、飯島さんが三代目として店に入ったことで、髙橋肉店として、コロッケクラブの活動や街との交流にも積極的に参加するようになった。
茨城県内とはいえ龍ケ崎の外からやって来たよそ者の飯島さんにとって、コロッケクラブは完全にアウェイの環境。しかし、龍ケ崎の人たちは、快く飯島さんを受け入れてくれたそうだ。
「龍ケ崎に住む人たちって、地域愛や団結力がすごくあるんですよね。だから、自分がよそ者で来た時にも、消防団、商工会、町内会、コロッケクラブですごく受け入れてもらえました。コロッケクラブで集まって研究会をするときも、『こんな風にしたら美味しくなるよね』っていう自分の技術を惜しみなく教え合っています。他では絶対無いと思うぐらい色々と教えあっていて、それはやはり、自分の店だけ儲かってもしょうがないし、ほかの店も儲からないと地域は盛り上がっていかない、という思いがあるからだと思います」
自分を受け入れてくれた龍ケ崎の人たちに対し、飯島さんもディーラー時代に学んだ「お客様満足度向上」「営業」「PR」のノウハウをコロッケクラブのメンバーたちに積極的に共有。コロッケクラブに加盟している店舗は家族経営が多く、時間や人員の関係から営業やPRに力を入れられなかったそうだが、飯島さんは惜しみなく協力した。
龍ケ崎コロッケで日本一を獲りに行く
街のみんなで盛り上げてきた龍ケ崎コロッケが、一気に有名になるのは、コロッケクラブの活動が始まって10年ほど経ったころ。街の中で「10年目は、なんでもいいからコロッケで日本一を獲ろう」という思いが高まっていたところに、インターネット上で開催される「ご当地メシ決定戦!2014」への参加の誘い話が舞い込んできた。
ご当地メシ決定戦とは、日本最大級のポータルサイトYahoo!Japanが主催する企画で、全国のご当地グルメの中からグランプリを決定するコンテスト。龍ケ崎コロッケが参加した2回目の開催時は、全国47都道府県から282品が出場。都道府県ごとの大会やブロック大会を勝ち上がったメニューが集い、決勝戦の投票でグランプリが決定する。
街でこのオファーを受けた当初、「参加の仕方がよくわからない」「まずは食べてもらわないと意味がないだろう」と消極的だったが、「優勝すれば大きな宣伝効果になる」と睨んだ飯島さんは、締め切りギリギリのタイミングで龍ケ崎コロッケをエントリーさせた。
「丁度そのころ、コロッケクラブの中で龍ケ崎の米粉を使った『米粉のクリームコロッケ』を作っているところだったんです。それでご当地メシ決定戦に出て、『よしこれで日本一を獲ろう』というふうに考えていました。エントリーするときも、街の皆さんもインターネットがよくわからなかったり、ヤフーのことも知らない人が多かったんです。なので、街の皆さんに協力してもらうために、投票のやり方や、『ヤフーってすごい会社なんですよ!』っていうことを教えるところから始まりましたね。エントリーが完了してからも、会う人会う人に『こういう企画に参加してるから投票してね』って広めていました」
急遽のエントリーで、使用したコロッケ写真が髙橋肉店のものだったこともあり、コロッケクラブの中からも「自分の店だけ儲かればいいんだろう」という冷ややかな目で見られたこともあったそうだ。それでも、飯島さんが「写真はうちの使ってますけど、龍ケ崎コロッケでいきましょう、街おこしをしていきましょう」と伝えていく中で、徐々に街の協力者も増加。街のコロッケ熱も高まっていった。
地道なPR活動の甲斐あって、茨城県での予選を勝ち抜き龍ケ崎コロッケが茨城代表になると、取材やメディア掲載も増えていった。街の人たちの「龍ケ崎コロッケを勝たせよう!」という勢いもますます高まり、関東ブロックでの投票では、最高得票数で勝ち抜くことができた。
継続があったからこそできた街おこし
ご当地メシ決定戦のグランプリ決定戦前には、チラシでのPRや駅前での宣伝、決起集会の開催などを行い、龍ケ崎の街の人たちが一丸になって挑んだ。
その甲斐あって、結果は見事優勝。
「優勝した時は、ヤフーのトップニュースやNHKでも、龍ケ崎コロッケを取り上げてもらえました。優勝した翌日は、街のコロッケのお店にすごい行列が出来ちゃって。うちの店もすごくたくさんお客さんが来てくださっていたし、店を抜け出してコロッケクラブの加盟店に顔を出してみたら『うちのコロッケ全部売れちゃったよ!すごいことになったな!』って言ってくれました。市外や県外からも買いに来てくださって、お客様の中には『テレビ見てたらコロッケ食べたくなっちゃったよ!』と言って来てくださった方もいらっしゃいましたね」
ご当地メシ決定戦で優勝した龍ケ崎コロッケの種類は、「米粉のクリームコロッケ」。地元産の米粉で作ったクリームの滑らかさと、刻んだレンコンの歯ごたえが特徴だ。このコロッケは、優勝した当初は開発に関わった3店舗しか作り方を知らなかったが、飯島さんはここでもノウハウを共有。「簡単ですから作ってみてくださいよ」と作り方を伝授し、コロッケクラブの11店舗が作れるようになった。それだけでなく、地元の子どもたち向けにもコロッケづくりの教室を開き、家で手軽に「日本一を獲った味」を楽しめるように作り方を教えていったそうだ。
2000年ごろから始まった龍ケ崎の街おこし。その一環として生まれた手作りコロッケを、地元に住む人たちが団結しながら盛り上げてきたことで、今では「コロッケの聖地」となった龍ケ崎市。高まるコロッケ熱の只中で、街の人たちと一緒にその盛り上がる過程を見てきた飯島さんは、街おこしはゼロからでもできる、と語る。
「『龍ケ崎って、ゼロから街おこしをして成功した事例だよね』と言っていただくことがあり、考えてみると、龍ケ崎コロッケは『何もないところからでも街おこしはできるよ』って伝えるきっかけになったかなとも思っています。街おこしするには、地域に昔からあるものを使わないとダメとかではなく、『やろう』っていう気持ちがあれば、街づくりも広がっていく。それに、やりつづける、ということも大事ですね。コロッケクラブができて10年目のときに、龍ケ崎の米粉を使ったコロッケ作りましょうよ、ご当地メシ決定戦出ましょうよ、っていう風になったのも、ゼロから少しずつでも継続していったからかな、と思います」
最近では、個人店舗だけでなく街にあるチェーン店や大手スーパーも参加し、コロッケクラブの加盟店は合計20店舗になった。今後も加盟店を増やしていきたいという考えはもちろんあるが、それだけでなく、龍ケ崎市観光物産協会のネットワークも使いながら、茨城の美味しい食をさらに美味しくして盛り上げていきたい、という思いもあるそうだ。
地域に愛されるコロッケ屋さんがある街
髙橋肉店の三代目に就任してから、龍ケ崎の街の人たちと一緒に龍ケ崎コロッケを盛り上げてきたきた飯島さん。活動は15年以上継続しており、それを続けていく中で、コロッケを龍ケ崎の街で100年続く食文化にしたい、という思いがあるそうだ。
「髙橋肉店ができてコロッケを作り始めて、今だいたい70年経っています。100年目のころには、自分の子どもが店を継いでくれて、ここでお肉屋さんをやっていてほしいですし、地域の皆さんに愛されるからこそ100年続くお店なんだろうな、と思います。ばあちゃんが作った初代の味も100年残したいですからね。だから、今でもうちの子やその友達が店に来たときによく食べさせています。このコロッケを食べて育った、って言ってもらいたいし、大人になってからも『変わらない味だね』って愛されていてほしいなと思います」
最後に、これから龍ケ崎の街にやってくる人には、どのように街を楽しんでもらいたいか伺った。
「龍ケ崎市内の神社仏閣や昔ながらの街並みも見てもらいたいですが、ぜひ、 コロッケクラブの加盟店をめぐって、いろいろなコロッケを食べ歩きしてもらいたいですね。コロッケを食べに来るときは、ぜひコロッケトレインに乗ってきてほしいです。関東鉄道竜ヶ崎線の佐貫駅から乗って、つり革についているコロッケのサンプルや車内に書かれたキャッチコピーを見て『コロッケ食べたい!』という気持ちを高めながら竜ヶ崎駅まで来てもらって、コロッケを食べつくして帰ってもらいたいですね。種類もたくさんあって『コロッケだけに56種類かな?』と答えているんですけど、味も種類も毎回進化していますからね」
コロッケクラブ龍ケ崎は、新作コロッケの開発や県内外のイベント参加を続けてきた。それだけでなく、商工会及びコロッケクラブと行政が連携したことにより、龍ケ崎市は全国的な知名度となり、コロッケを買い求めに多くの人が訪れる街となった。
コロッケが食べたい。ただそれだけの理由で行くことができる龍ケ崎の街。コロッケを頬張りながら、龍ケ崎の地域愛、コロッケ愛を感じ取ってほしい。