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田中芳子さん

PEOPLE

YOCICOTAN Cafe

田中芳子さん

応援を胸に走るセカンドライフ、原動力はみんなの笑顔。

現在、やりがいや個人の成長、仕事以外の時間に価値を求めるライフスタイルとして、複業やフリーランスなど、多様な働き方が注目されている。その考え方は若者だけではなく、定年退職や早期退職を見据えた40~50代にも拡がり、充実した第二の人生を楽しむためにアクションを起こしたいと考える人は少なくない。

そんな中、水戸市でアップルパイ専門店「YOCICOTAN Cafe」を営む田中芳子さんは、稼業を引退後、自らアクションを起こし、充実した第二の人生を送る一人。60歳を過ぎてアップルパイ専門店をスタートさせてから、「みんなが喜んでいる顔が見たい」という想いを胸に、努力と研究、そして人との出会いを重ね、9年間事業を続けてきた。そんな芳子さんのまわりには、いつも応援してくれる人たちがいる。

母と娘で営むYOCICOTAN Cafe

商店街のアーケード通りにある店舗の外観。古くから営業を続ける店舗も多い中、他のお店にはない可愛らしい雰囲気を放つ。

YOCICOTAN Cafeは、茨城県水戸市の南町三丁目商店街にあるアップルパイ専門店。この店のオーナー、現在72歳の田中芳子(たなか・よしこ)さんは、茨城県結城市でアップルパイづくりをスタートさせて以来、「みんなが喜ぶ顔が見たい」という想いのもと、アップルパイを精力的に作り続けている。

店名にもなっている「よしこたん」は、芳子さんの愛称。そして一緒に店を営む娘の雅美(まさみ)さんの愛称は「マーサ」。二人は店のファンから、「よしこたん」「マーサさん」と呼ばれ親しまれている。

現在、芳子さんがアップルパイの製造、雅美さんがデザインや広報を担当し、二人三脚で店舗を運営中。幼稚園児から80歳を過ぎたシニアまで幅広い世代に愛され、茨城県内からの来店はもちろん、九州地方や広島県など遠方から足を運んでくれる方もいるそうだ。

芳子さんがこの事業を始めたのは、63歳のとき。稼業を引退後、第二の人生とともに6畳の小さなガレージから始まったアップルパイづくりをここまで続けられたのは、「みんなが手を貸してくれたから」と語る。

「歳のわりには何もできないから、手を貸していただけるときはありがたくお借りしています。でも頑固なところもあって扱いづらいおばあちゃんだから、娘も大変なんじゃないかな」

娘が支えてくれた、「第二の人生」のスタート

左から、芳子さんと雅美さん。互いの特技や特徴を活かしながら、二人三脚でアップルパイ専門店を続けてきた。

芳子さんのアップルパイづくりのきっかけは、茨城県大子町でリンゴ農家を営む友人から、東日本大震災の影響で出荷できなくなったリンゴのおすそ分けをもらったこと。「友達が一生懸命作ったリンゴを無駄にしたくない」という想いから、趣味としてアップルパイづくりを始めた。

作り始めた当初、芳子さんはすでに稼業を引退していたため、雅美さんが経営する会社に在籍しながらアップルパイを製造。会社からもらう給料でアップルパイの材料費を捻出していたそうだ。

「その時は商売ではなく、娘や娘の会社のスタッフ、自分の友達に食べてもらうつもりで作っていました。美味しいと喜んでもらえたのが嬉しかったですね。でも続けているうちに、『ただで頂いてばかりじゃ申し訳ないから、売ってほしい』という声もいただくようになったんです。そこから娘と一緒に、仕事になるよう進めていきました」

2012年に完成した、アップルパイの製造用キッチンを備えたガレージ。芳子さんのご主人の手により組み立てられていった。「ガレージから出発したApple社」に掛けて、芳子さんもガレージからスタート。

そして、製造と販売を可能にするため、2012年、結城市の自宅に増設した6畳程のガレージに、菓子製造業の営業が可能なキッチンを設置。趣味から仕事になっていった芳子さんのアップルパイづくりは、雅美さんのリードによりどんどん前に進んでいったそうだ。

商売として始めた当初は、月の中で4と5のつく日しか営業しなかったが、「みんなが喜んでいる顔を見るのが本当に嬉しいから」という芳子さんの想いと、広報やデザインを中心とした雅美さんの支えのもと、次第に販売数も増えていったという。

「私はみんながアップルパイを喜んでくれるのが嬉しくて作っていましたが、娘はそれをきちんと利益を作れる事業にしたいという気持ちがあったかもしれませんね。一緒にやりながら、アップルパイ専門店がどんどん前に進んでいきました」

美味しさに欠かせない、新鮮なリンゴとレシピのノウハウ

産地や品種ごとのリンゴの風味と甘さを活かした芳子さんのアップルパイ。味はもちろん、食感や食べやすいサイズも美味しさの一端を担う。

店の看板であるアップルパイの美味しさには、もちろん妥協しなかった。研究を重ね、防腐剤や酸化剤、砂糖を使用しない、リンゴの味わいを最大限に活かす製法を追求。パイ皮の厚さやサイズも研究していったそうだ。その甲斐あって、女性だけでなく男性にも人気の逸品となっている。

「私が作り始めた当初、アップルパイへのイメージは『すごく甘い』という先入観があり、あまり好きじゃないという人が私の周りに多かったです。なので、私が『単なる甘さだけではなくリンゴ本来の美味しさを楽しめる味』に作ればみんなが食べてくれるんじゃないか、と思いました」

芳子さんがアップルパイに使うのは、加工せずに食べても美味しいリンゴばかり。初めのうちは大子町の友人から送られてくるリンゴのみを使っていたが、今では製造量も多くなったため、事業を進める中で出会った県外のリンゴ農家からも協力を頂いているという。

「色々な方からリンゴ農家さんをご紹介いただき、青森、山形、長野など、全国に知り合いが増えていきました。そのご縁で色々な場所にリンゴを仕入れに出かけていて、先日も三日間かけて長野県内を回り、採れたてのリンゴを頂いてきました」

テイクアウトはもちろん、新型コロナウイルス感染防止に配慮した上でのイートインが可能。店内は、「ちょっと一息入れたいときに、ゆっくりと休めるような場所」を目指して空間をしつらえていったそう。

芳子さんのアップルパイには、産地や品種の異なる様々な味わいのリンゴが使用され、仕入れたリンゴの味わいを最大限に活かすレシピで作るのが美味しさの秘訣だ。そのためのノウハウは、結城で営業していたころに出会った、同じ市内で洋菓子店を営むパティシエから伝授されたもの。

「私のアップルパイを気に入ってくださって、当時まだ素人だった私に、リンゴごとの美味しさを引き出す作り方を丁寧に教えてくださったんです。今でも、その時に教えてもらった作り方を守り続けています」

現在、YOCICOTAN Cafeの店頭に並ぶのは、シンプルな「ピュアプレーン」を始め、味に変化をつけた「ピュアシナモン」「クリームチーズ入り」「カスタードクリーム入り」「チョコカスタードクリーム入り」、そして季節の特徴を活かした「季節限定おたのしみパイ」。

「『一回食べたからもういいかな』ではなく、『また食べたい』と思ってもらえるような味を目指しています。それに、『他のアップルパイが食べられなくなっちゃう』というお客様の声を聴くと、これからもどんどん作りたくなってしまいますね」

楽しんでくれる姿が、自分の原動力につながる

当時芳子さんが暮らしていた結城市の地域イベント「結い市」に出展した際は、たくさんの人にアップルパイを味わってもらえただけでなく、他のイベントへの出展の誘いも頂いた。

芳子さんが結城市でアップルパイ専門店を始めてからは、店舗での販売や商品の研究だけでなく、地域のイベントにも積極的に参加。イベント出展の際は、一度にたくさんのアップルパイを焼けるようにと、街の洋菓子店からオーブン貸し出しの協力を得ることもあったそうだ。

紆余曲折がありながらも、結城での営業を続けたのち、縁がつながり2015年に水戸芸術館裏手の店舗に移転。2018年には再び移転し、現在の店舗である、南町三丁目商店街への出店に至った。

これまで、芳子さんと雅美さんの想いや人柄に惹かれ、若い世代の方がボランティアとして手伝ってくれたそうだ。都内のお店のアップルパイをお土産に買ってきてくれる方もいて、一緒に味の勉強会をすることもあるという。

店舗内に設置されたYOCICOTAN Cafeのストーリーブックには、芳子さんがシニア起業してから今に至るまでの物語が、雅美さんの視点から記されている。

芳子さんにとって、関わってくれる人たちが楽しんでくれている姿こそが原動力であり、そこから刺激を受けて「これからも色々やってみよう」という前向きな気持ちにつながっていく。応援してくれる仲間に囲まれている芳子さんだが、本人曰く「大変なときにSOSが出せないんですよね」とのこと。

「昔の人間だからですかね、仕事が大変でも我慢してしまって『手伝って!』と言えないんですよね。でもそんな時は娘が周りに声をかけてくれるおかげで、応援してくれる若い世代の人たちが集まってくれるんです。みんなが来てくれるのは、娘の人柄ですね。だからこそ、私もなんとかやらせてもらっています」

一方で、模索しながら事業を進める中、「上手くいくはずがない」と、出る杭を打つような言葉を投げかけられることも、全く無いわけではなかった。それでも芳子さんがあきらめずに続けてこられたのは、「お金儲けが全てではない」からだという。

「商売としてやってはいましたが、お金儲けが目的だったわけではないんです。趣味で作っていた頃から、若い子たちが美味しそうにアップルパイを食べているのを見て、本当に嬉しかった。そうやって喜んでもらうことが、私の使命なのかなと思っています。アップルパイを作るのは労力もかかるし、この歳になると生活も大変。だからこそ、自分が生活できるだけのお金を稼げて、みんなが喜んでくれるなら、それでいいんじゃないかと思いながら続けてきました」

人とのつながりの中で、育まれるものがある

「自分と向き合ったときに、『これまでみんなから受け取ってきたもの』がどれだけ自分の中にあるか、だよね」

様々な世代のお客様に愛され、リンゴ農家、パティシエ、地域の人々、そして娘の雅美さんの応援のもとお店を営んできた芳子さん。60歳を過ぎてから新たな挑戦を始めた自身を振り返り、「仕事だけではなく、色々な人たちと交流して、色々な人達の考え方を聞いていくことは大切だよね」と語る。

アップルパイづくりを始める前、東京で生まれ育ち結城に嫁いできた芳子さんは、地域文化の違いに戸惑いながらも、会社が抱えている多くの社員と家族を養うため、嫁ぎ先の稼業で必死に働いていた。

そして、引退後にアップルパイづくりを始めた芳子さんだが、「アップルパイでみんなに喜んでもらいたい」という気持ちは、引退後に急に芽生えたものではなく、稼業を営んでいた時代に約30年間所属していた、社会奉仕団体の精神から育ませてもらったそうだ。

「リンゴ農家さんのために『自分は何ができるだろうか』と考えられたのは、社会奉仕団体を通じて色々なボランティアやコミュニティに参加し、私の中に『だれかのために動きたい』という気持ちが育まれていたから。色々な人に関わらせてもらうことで、つながりができるだけでなく、自分の中に自然と軸が生まれてくると思うんです」

歳を重ねて迎える第二の人生も、定年や引退がスタートのタイミングではなく、もっと前からアクションを起こしておくことが大切なのだそう。

「仕事一途で走ってきた人が、引退を迎えて、そこからいきなり新たにスタートを切ろうとしても、きっと難しいですよね。40代50代の人が第二の人生を考えるなら、今から色々な場所で、色々な人とつながっていくことで、次に進んでいくときの足がかりになっていくんだと思います」

自分が頑張る姿を、若い世代に見てもらいたい

「リンゴを通じて皆さんと交流できれば、一番自分が楽しめるかな」とこれからの夢を話す芳子さん。

「みんなを笑顔にしたい」という想いを胸にアップルパイづくりを続けてきた芳子さんには、まだまだやりたいことがある。

その一つは、来てくれた人たちがホッとできるようなお庭造り。芳子さんが好きな、アメリカの絵本作家・園芸家として知られるターシャ・テューダーが作り出すような世界観を意識した空間を目指しているそうだ。

「まだ具体的になっているわけじゃないけど、広い畑の中に小さな家やお庭を作って、そこに来たお客様には、一日ゆっくりと時間を過ごしてもらいたいですね」

さらに、芳子さんがこれまでアップルパイを通じて出会った人たちに会いに行く旅の計画も温めている。

「今までたくさんの人にお店に来ていただいたので、今度はこちらから会いに行きたいんです。いまは新型コロナウイルス感染症の影響で動きづらいですが、少しずつ計画を進めていて、これからの楽しみの一つですね」

引退後の第二の人生をいきいきと過ごす芳子さんからは、若者にも負けない力強さを感じる。「同じような考えや感性を持っている人たちが集まると、年代も関係なく話せるし、楽しいですね」と語る芳子さんは、これからもチャレンジを重ね、夢を抱く姿を見せることで、次の若い世代に対して働きかけられる人になりたいと考えているそうだ。

「自分たちが頑張っている姿を見せることができれば、若い世代の人たちも『あと何十年か経っても、まだまだ面白いことにチャレンジできるんだな』と思えるようになるんじゃないかと思います。頑張っている姿を見せて、若い世代の人たちと色々な話をすることが、これからの自分がやっていくことかもしれませんね」

PROFILE

PEOPLE

東京都出身の現在72歳。高校卒業後、三井銀行で外国為替を扱い結婚を機に茨城県結城市へ。稼業のオフィス家具販売店の経営に35年携わり、 稼業の引退を控えた63歳のとき、「第二の人生」の趣味探しから始まり、1つのリンゴとの出合いからアップルパイづくりに専念した。現在は茨城県水戸市の南町三丁目商店街で路面店を構える、YOCICOTAN Cafe オーナーでアップルパイ担当。現在はシニア起業家として講師を務めることもある。

YOCICOTAN Cafe https://yocicotan.shop/

INTERVIEWER

高橋舞

1995年つくば市生まれ。立正大学文学部社会学科を卒業後、Uターン就職と悩むも「自身の成長を地元に還元したい」という思いから2018年より東京で求人メディアの営業として武者修行中。また大学在学時から茨城出身の女性を応援するフリーマガジン「茨女」に携わり、現在は副編集長を務める。就活時に感じた「茨城にはどんな仕事があるか分からない」という思いを解決していくために、企画・取材を通して読者に選択肢を伝えることをモットーとしている。好きな音楽フェスはROCK IN JAPAN FESTIVALとつくばロックフェス。

Photo:平塚みり(守谷市在住)(一部提供写真を除く)