茨城のヒト・コト・バ PEOPLE, THINGS, SPOTS OF IBARAKI

谷川祐一さん・谷川麻美さん

PEOPLE

有限会社谷川クリーニング

谷川祐一さん・谷川麻美さん

街のクリーニング屋さんから始まる、人と地域の「いい関係」

会社が組織として機能していくために作る、仕組み、組織図、評価制度などのルール。しかしそれらを作らず、人と人とが信頼し合うことを前提とした組織運営を行う会社、有限会社谷川クリーニング(以下、タニカワクリーニング)は、その組織体制が評価され、2020年には「ホワイト企業大賞」を受賞した。
受賞の裏にあるのは、「関係性を大切にする」という軸。言葉にすると簡単なキーワード。しかしタニカワクリーニングでは、スタッフたちが仕事を通し、実体験として深く人と人との繋がりを心に刻んでいる。

特別なことは何もしない、社員への信頼を前提とした会社経営。

「どんな経営をしているんですか、と聞かれてもお教えできることが何もないんですよね」と話す祐一さん。麻美さんも「会社見学に来ていただくときは、『やり方』を知りに来るというより、考え方を探りに来てもらうと、参考になるかもしれません」と話す。

ルールや仕組み、組織図を作らず、正社員とパート社員の上下関係も作らない組織運営。いわゆる「普通の会社」とは異なるスタイルで経営されているタニカワクリーニング。その舵取りをしているのは、代表取締役の谷川祐一(たにかわ・ゆういち)さんと専務取締役の麻美(あさみ)さんご夫婦。

タニカワクリーニングは茨城県神栖市に本社を置く地域企業で、もとは1969年に祐一さんのお父様が始めた事業。現在は法人化し、神栖市、鹿嶋市、千葉県北東部の地域に、17店舗を展開中だ。

2代目としてクリーニング事業を展開する祐一さんだが、当初は事業を継ぐつもりはなかったそう。かつては東京で大手企業に勤めながら、俳優として役者の道も歩んでいた。

そんな祐一さんが神栖市にUターンし事業を継ぐことになったのが、今から17年前。傾いてしまった事業の立て直しを実家から頼み込まれ、しぶしぶながら継業したそう。以降、社員や父親との関係性に悩みながらも、事業を立て直していった。

その過程の中で生まれたのが、ルールを作らず、社員を信じることを前提にした経営スタイル。この経営は評価され、2020年の「ホワイト企業大賞」では、見事大賞を受賞。茨城県の企業としても、クリーニング業界としても、初めての快挙であった。

タニカワクリーニングの経営や受賞の話を聞くと、きっと先進的な取り組みをしてきたんだろうと期待が膨らむが、「特別なことは何もしていないんですよね」と祐一さん。社内の様子も、「受賞より、今日の仕事内容に関心があるんだと思う」とのこと。

祐一さん「僕の役割は、『映画プロデューサー』みたいなもの。映画を作ると決まったら、いい作品を作るために監督や脚本家、カメラマンなど必要な人材を集める。撮影が始まったら、僕はノータッチ。力を発揮するのは現場の人たちですから」

大切なのは、仕組みではなく「関係性」

クリーニング機材とスタッフの配置を示すホワイトボードが、工場内に設置され、当日の確認事項などもスタッフが自分で書き込み、他のスタッフとコミュニケーションを図る。スタッフ名が書かれた赤い磁石は、サッカーの戦術ボード用磁石。「この形なら、スタッフが向いている方向と、作業中に気を配る必要がある位置がわかるから」という麻美さんのアイディアから採用された。

しかし、タニカワクリーニングにはブレない軸がある。それは、「いい関係性を作る」という軸だ。いい関係とは、お互いに心を開き、自分の想いや考えを伝え合える間柄。だからこそ、祐一さんは採用に力を入れている。

面接に来た人たちに対して、祐一さんは、仕事のこと、働く人のこと、これから目指していくことなどを2時間かけて語る。年間の面接回数は、およそ200回。声が枯れてしまいそうだが、祐一さんいわく「俳優時代に喉を鍛えてきましたから」。

全国の様々な企業には、毎年たくさんの新卒の社員たちが入社していく。そして、彼らが離職するときの理由のほとんどが「人間関係」を発端としたものだと祐一さんは話す。入社した後、給与や待遇、仕事に不満があっても、それを相談できる相手が社内にいない。相談できないのは、社内で心を開き話し合える関係性が作られていないから。

逆に言えば、相談できる相手がいれば職場での問題はほぼ解消される。働く上で、給与や待遇は大切だが、それ以上に大切なのは「価値観が合うかどうか」と祐一さんは語る。

就職してから「こんなはずじゃなかった」と思ってほしくない。そのために祐一さんは、面接の中で時間をかけて仕事や人との向き合い方を伝える。そして面接後は、実際に職場で働く人を見てもらい、「自分はここでやっていけそうか、コミュニケーションをとれそうか」を考えてもらう。就職後に深く関わるのは、経営陣ではなく、現場の人々だからだ。

いい関係性は、自分から結びに行くもの

コロナ禍の休校期間中に行った地域貢献事業、18校のカーテン904枚と児童の上履き600足のクリーニングは、スタッフの発案で始まったもの。スタッフたちは自分たちの母校に営業に赴くなど、クリーニング作業以外も率先して行動した。

祐一さん「面接で『子どもが熱を出したら休ませてもらえますか』ということをよく聞かれます。でも、僕はそれに答えられない。伝えられるのは、『みんなと良い関係を築けていればだれも見捨てないし、迷惑な人だと思われていたら誰も助けてくれない。だからあなた次第なんです』ということ」

スタッフ同士の関係性だけでなく、お客様との繋がりも大切で、「お客様も、スタッフと人として付き合いたいかどうかを見ている」と祐一さんは語る。タニカワクリーニングの店舗を、「◯◯さんがいるお店」とスタッフの名前で覚えているお客様も少なくないそうだ。

他にも、店内の装飾を手伝ってくれる方、差し入れを持ってきてくれる方もいれば、スタッフに誕生祝いの花を贈ってくれる方もいる。

麻美さん「お店で毎日ファンミーティングをしている雰囲気です。出勤するスタッフも、毎日楽しそうですね」

ルールや仕組みで管理された店舗では生まれなかった、お客様との関係性。その背景にはもちろん、「スタッフが自ら関係性を結びに行く」という意識が求められる。

祐一さん「スタッフがコミュニケーションに消極的な態度で店頭にいると、それを見抜いたお客様が入り口前で踵を返して帰ってしまうこともあります。それがショックで泣いてしまうスタッフもいました。でも、自分で頑張って成長し、周りに応援されながら人気者になっていきました」

「無法地帯」から立て直しをスタート

祐一さんの親子の仲が険悪になった果てに、激しい親子喧嘩に発展したこともあったそう。しかし、そんな様子を目の前にした麻美さんの第一声は「親子喧嘩の怪我って保険おりないんだよ」。タニカワクリーニング再生の裏には、肝の座った麻美さんの存在も大きかったはずだ。

現在のような組織形態になって約5年。細かい方針は2、3ヶ月単位で変化していくことも多いが、社内外の関係性を大切にする姿勢は一貫して続いている。

今でこそ「良い関係性」を軸に据えた経営を行っているが、17年前、祐一さんが実家に帰ってきたころ、タニカワクリーニングは経営が傾いているだけでなく、雰囲気も「絵に描いたような無法地帯」だったそう。

祐一さん「挨拶が返ってこなかったり、怒鳴り声が聞こえてきたり、若手が怒られて泣いていたり、ということが日常茶飯事。店舗の中で知らないおばちゃんたちがお茶会をしていることもありました」

祐一さんは、地道に約10年かけ、社内で起きるトラブルを減らしながら、収益を上げていくことに成功。しかし、社内の人間関係は冷え込み、コミュニケーションも表面的なものばかりになっていったそうだ。さらに、祐一さんと父親の関係も一層悪化。

祐一さん「会社の利益は上がってきたのに、親父は『なぜ俺の言うこと聞かないんだ!』と言うし、僕は僕で『お前がだらしないから俺が立て直すはめになったんだろ!』と言い返す。最後は取っ組み合いの喧嘩になり、従業員たちも騒然としていました」

この騒動が起こった当時、妻の麻美さんは妊娠しており、祐一さんは「離婚されても仕方がない」と覚悟したそう。それでも麻美さんは、前向きに会社経営をサポート。前職の銀行時代の経験を生かした経理や「社長夫人としての在り方」などを学びながら、会社の経営を支えていった。祐一さんも、社会保険労務士への相談や、ルールづくり、評価制度づくりを実施。

しかし、社内関係の改善は上手くいかなかった。

祐一さん「大きな会社で働いていた経験から、『仕組みが作られている会社がいい組織だ』と思っていました。でも、評価されたい人、管理が必要な人がいないと、制度や仕組みを運用しても意味が無いですよね。当時は、試行錯誤しながらもずっと違和感を覚えていました」

大量退職を前に、自分の気持ちを伝える

スタッフが大量退職した際は、クリーニングの現場では素人同然の祐一さんと麻美さんも現場を手伝った。祐一さんは、「現場で指示を出せる人がいなかったから、みんなが自主的に動くようになったんだと思います」と当時を語る。

違和感が残るまま経営を続けていたある日、業務の核を担っていたスタッフが退職。それを発端に、ひと月の間にスタッフの約8割が辞めていった。毎日のように事務所を訪ねてくる、退職希望者たち。

そんな中、祐一さんがとった態度は、「心を開き、じっくりと想いを伝える」ことだった。

祐一さん「やりたいことがあったけど、会社を立て直すために帰ってきたこと。自分と親との関係。そして、みんなが楽しく働ける会社にしたいという想い。包み隠さず、1人1人に3時間ほど時間をかけて伝えました」

祐一さんの想いを受け取けとり職場に残ったのは、18人中4名のスタッフ。そこに2名の新人スタッフ、祐一さん、麻美さんが参加し、少人数ながらクリーニング工場を稼働させていった。

最初は目の前の仕事を黙々と進めるだけだったが、祐一さんが指示を出していたわけでもないのに、徐々にお互い声を掛け合い、支え合いながら仕事を進めていくように変化。

麻美さん「60年近くクリーニング一筋でやってきた方が、みんなで話し合って考えながら仕事ができて、今が一番楽しい、と言ってくださったんです」

祐一さん「がんばろう!と言って一緒に仕事してくれる人に対して、指示やルールは必要無いかもしれない、と感じるようになりました。そこから、大切にしなくちゃいけないのは、ルールや仕組みではなく関係性なのではないか?関係性を良くしていく取り組みだけをしていけばよいのではないか?と考えるようになりました」

「いい関係性」の真意は、体験の中で見出される

あえてルールを挙げるとすれば、スタッフ同士でミーティングをする際の心構え。参加者が「正直に」「自分の心を開いて相手を受け入れる」「自分・相手・世の中を信頼する」を意識することで、それぞれが安心して意見をぶつけ合うことができる。

ルールや仕組みを作らず、相手を信頼することを前提にした職場。もちろん、業務の中で問題は起こる。それでも祐一さんは口を出さず、問題解決を現場のスタッフたちにゆだねている。今では、現場で話し合い問題解決する文化が根付き、祐一さんのもとには「事後報告が届くだけ」ということも少なくない。

祐一さん「現場のみんなで協力して解決することで、状況をよくするために自分から動き、1人1人と関係性を結んでいく意識が磨かれていきます」

タニカワクリーニングにとって、トラブルや退職の相談が、一緒に働いている人に一番にされないのは「異常」なことなのだそう。仮にその事態が起こったとしても、それは「社内のコミュニケーションについて見直す機会」として、前向きに捉えられている。

いま、タニカワクリーニングのスタッフたちは、笑いながら話し合い、ときに泣いたり、ヒートアップしたりしながらも、もっと楽しく仕事ができるように、前向きな意見をぶつけ合っているという。それができるのは、お互いを信頼し、逃げずにオープンに言い合える繋がりができているから。そして、みんなでいいチームになろうという意思があるから。

祐一さん自身も、いろいろな人との関係の中で、助けてもらいながら事業を進めてきた経験がある。険悪だった父親との仲も、祐一さん自ら相手を理解していくことで、今では良好になったそうだ。

麻美さん「良い関係というのは、良いことも悪いこともきちんと言い合えること。『上辺だけの付き合いはいらない』という厳しさを、私達も持っています」

祐一さん「まずは自分から勇気を持って相手に伝えようとしないと、良い関係は生まれない。だからといって、スタッフたちには『みんなで仲良くしよう』とはあえて言いません。真意は言葉では伝わらないと思いますし、コミュニケーションを通して、人は助け合えるということを体験してもらいたいですからね」

「楽しそう!」をきっかけに繋がる場所を作りたい

地方の人口減少や移住の話題について、「関係人口という言葉は良いなと思っています」と話す祐一さん。隣町や県内、国内といった範囲だけでなく、隣の家同士でも関係性が結べたら、街も社会も豊かになっていくのではと期待する。

スタッフ同士や地域のお客様との間で良い関係性作りを続けてきた、タニカワクリーニング。祐一さんはいま、「会社の事業規模拡大を目指すよりも、みんなが楽しいと思えることに取り組みたい」と考えているそう。

その背景には、「地方の人口減少も問題だけど、家族間の関係性が薄くなっていることも問題」という課題意識がある。

祐一さん「地域貢献の前に、まずは楽しいと思える生き方や働き方をしなくちゃいけない。仕事の文句ばかり言っていると、子どもたちも働くことに希望を見出せなくなると思います。僕らも、楽しい仕事や暮らしを体現する必要がありそうですね」

いま、昔から続く地域コミュニティへの加入者が減ってしまったのは、そこに楽しさを見出だせなくなったからではないか、と祐一さんは考える。一方で、自分が幼いころに見た、大人たちがお祭りの準備をする様子が印象に残っているそう。「たった2日間のお祭りのために、楽しそうに1か月以上時間をかけて準備をしていた」と当時を振り返る。

そこでいま、「楽しそう!」という気持ちをきっかけに関われる場所を作ることができないか考案中だ。

祐一さん「タニカワクリーニングは『仕事』を中心に関係性を結んできた場所。そして新たに、『遊び』を中心に生み出す場所を作ることで、皆様のお役に立てるかもしれません。たとえば、自由に使えるコミュニティスペースやカフェなどを作り、みんなが集まるきっかけにしたいです」

麻美さん「会社の中で、みんな楽しく仕事をしながら繋がりを作っていっています。その尊い関係性を、社外にも展開していけたら、もっと楽しくなりそうですね」

タニカワクリーニングのスタッフ同士だけでなく、スタッフとお客様、そして地域の中にも広がりつつある、人と人とのいい関係性。

祐一さん「仕事も家庭も、人生の時間のひとつ。だから、両方とも楽しいほうが良い。会社でも地域でも、みんながその中で良い人間関係を築くことができれば、『この場所にいたい、大切にしたい』という気持ちが生まれていくと思います」

 

PROFILE

PEOPLE

1969年、茨城県神栖町(現神栖市)に祐一さんの父、谷川末男さんが「谷川クリーニング」として創業。1994年、有限会社谷川クリーニング設立。2004年、祐一さんがUターンし、2代目として会社の経営を引き継ぐ。現在、茨城県神栖市と鹿嶋市、千葉県北東部の地域に17店舗を展開中。

末男さんが初めて自分の店舗を構えたとき、「自分が一人前になれたのは世間の皆様のお陰だ。だから今度は自分が仕事を通して世間の役に立とう。そして、仕事を通して世の中に役立つ人をたくさん育てていこう」と決意。

現在も創業の心を忘れず、クリーニングの仕事を通して「お客様のありがとうを集め、魅力的な人財を育て、地域に貢献していく企業」を目指し、日々仕事と地域の人々に向き合っている。

タニカワクリーニング https://tanikawa-cl.com/

INTERVIEWER

佐野匠

1985年茨城県下妻市生まれ。20代半ばに東京から地元に戻るも、キャリアもスキルも学歴も無かったため、悩んだ末にボランティア活動に参加し、その中で写真、文章、デザイン、企画、イベント運営などのノウハウや経験値を蓄積。最近やっとライターやフォトグラファーの仕事を頂けるようになりました。カッコいいと思うものは、マグナム・フォトとナショナルジオグラフィック。

Photo:三次義友(鹿嶋市出身)(一部提供写真を除く)