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茨城のヒト・コト・バ PEOPLE, THINGS, SPOTS OF IBARAKI
コミュニティスペースおへそ
松原功さん・松原枝里さん
多様な価値観の「狭間」から生まれる、暮らしのおすそ分け
暮らし方の選択肢が増えた昨今、地方へ移住して暮らすという選択も、より身近なものとなってきた。松原功(まつばら・こう)さん・枝里(えり)さん夫妻も、地域おこし協力隊として常陸大宮市に移住し、地方に暮らしの拠点を移した家族。
二人は、協力隊として3年間の任期を終えた後も常陸大宮市に留まることを決め、市内外の人々が集うコミュニティスペース「おへそ」(以下、おへそ)の運営を続けている。
自分たちの価値観や想いを大切にして生きるために、地方で自分の暮らしをつくることを選んだ二人。暮らしの中で得た気づきや、自分の暮らしを楽しむことで生まれた人と場所の輪についてお話を伺った。
移住先で作った、「暮らしのおすそ分け」をする場所
茨城県の北西、栃木県との県境に位置する常陸大宮市。市内の約60%を森林が占め、東に久慈川、南には那珂川が流れる、水と緑に恵まれた街だ。おへそがあるのは、常陸大宮市内の山の間を縫うように水田や畑が点在する旧緒川村地区。舗装された道路から外れて、山の斜面に向かって続く小道を登ると、おへそを運営する松原功さん、枝里さん夫妻が出迎えてくれた。
おへそは、松原さん夫妻が常陸大宮市の地域おこし協力隊時代にオープンさせたコミュニティスペース。「協力隊のときの活動テーマは『暮らしを自分で作っていくこと』。自分でできることを増やしていくことで、人生が豊かになると思うんです」と語るのは枝里さん。既存の物件をリノベーションしておへそを作る際は、DIYワークショップイベントを開催。市内から県外の方までワークショップに参加し、作業の中で数々の交流も生まれた。
さらに、おへその完成お披露目会では、ワークショップに関わった方はもちろん、近所に住む方々がお祝いに駆けつけた。1歳から70歳までの幅広い年齢層が世代の垣根を超えて交流していたという。
枝里さん「たくさんの人のご協力があって完成したおへそ。最近のおへそで行われているのは、和菓子サークルや速読の教室、私が講師のヨガレッスンなどです。協力隊や移住者のお茶会の場所としても使って頂いています」
功さん「妻がオーナー、私がマネージャーとしてこの場所を運営しながら、私たちが中心となり地域に働きかけるというより、『来てくれた人それぞれが、この場所や集まった人たちから何かを感じ取ってくれたら、それが一番』と思っているところです」
二人が営むおへそには、テーマがある。それは、「暮らしのおすそ分け」だ。
会社員でなくても、都会でなくても、それぞれの幸せの形がある
二人が常陸大宮市にやってきたのは、地域おこし協力隊に着任したことがきっかけ。現在は夫婦として活動しているが、この地域に深く関わるようになったのは、結婚する前のこと。
鹿児島県出身の枝里さんは、大学進学を機に上京。一度は東京で働いた後に、全国を旅しながら農家へのファームステイやボランティア活動を経験し、地域おこし協力隊になったという経緯がある。
枝里さんの大学生時代は、長い夏休みの時期に、農家の手伝いをする代わりに宿と食事を提供してもらう、というスタイルの旅を楽しんでいたと言う。お金が無いなりにも、人と自然と触れ合う旅の中で「田舎はいいな」と思うようになったそうだ。
しかしその後、就職したのは都内の企業。
枝里さん「都会に憧れていたこともあり、東京に就職しました。でも『お金を沢山稼ぐことが成功』という価値観に囚われてしまい、焦って消耗する日々でしたね。身を削って働いても幸せが遠のいていく違和感の中で、思い出したのが学生時代の旅の記憶なんです」
そして仕事を辞め、改めて旅を始め、日本各地の農家を転々とめぐるようになった。その旅を終える頃には「やっぱり田舎暮らしをしたい」という自分の気持ちを再認識したそう。
また、旅の途中で考えていった自分のライフスタイルは、農業に加えて自分の好きなスキルを生業として使っていく「半農半X」という暮らし方。「半X」の部分をリラクゼーションに関する仕事をすることに決めた枝里さんは、旅を終えた後、働きながら学校に通い、リラクゼーションの民間資格を取得。
資格を取得した後、かつての旅の途中で教えてもらった地域おこし協力隊制度で移住先を探していたときに、偶然出会えたのが常陸大宮市だった。
東京都出身の功さんが地域おこし協力隊になったきっかけも、自分自身の暮らし方への疑問から。
功さん「いつも数字に追われ続け、疲れてしまっていた会社員時代に、ふと『会社員でなくても、食べることに困らなければ暮らしていける』という考えに行き着いたんです」
そんな「会社員以外の生き方」を意識したことをきっかけに、会社を辞め、埼玉県の小川町で開催されていた農業塾に入塾したという功さん。その後、狩猟にも興味が湧き、罠猟と網猟の狩猟免許を取得。
林業についても、田舎暮らしや空き家改修のことを調べていたときに、静岡県で皮むき間伐(木の皮をむいて、立ち枯れさせる間伐方法)を行う団体に出会い、学ぶようになったそう。
その後功さんは、再び都内の企業に就職するが、自然の中での暮らしや空き家改修への興味は消えず、茨城県内で行われた古民家改修ワークショップにも参加。そのとき、同じワークショップに参加していた、すでに常陸大宮市の地域おこし協力隊として活動していた枝里さんと出会い意気投合、交際をスタート。
その後、功さんも枝里さんに遅れて常陸大宮市の協力隊となり、市内に移住。活動を共にするようになった。
いきいきと暮らすことが、地域に溶け込む第一歩
お金を稼いだからこそ得る幸せはもちろんある。だが、それ以外の生きる方法を選ぶことも出来る。それに気づいた二人が模索しながらやってきたのが、常陸大宮市。そしてこの地で取り組んできたのが「暮らしを作ること」。
地域おこし協力隊の任期中、枝里さんは移住コンシェルジュの業務に加えて、昔ながらの手仕事を身につけるため、地元のお年寄りの元や教室へ通い、竹かご編みや綿入り半纏の作り方を習得。さらに、講習会を開いて文化の伝承に努めた。
真剣に取り組んできた甲斐あって、なかでも枝里さんが作る「えびら」と呼ばれる地域の伝統的な竹かご編みは好評で、講習会はいつも満席。綿入り半纏も地元の住民からオーダーを受けるまでになった。
功さんの任期中も、以前から培ってきた林業の技術や知識が、森林資源豊かな市内で大いに生かされた。林業、農業、狩猟などの知見が、常陸大宮市の多様性のある森づくりに役立てられ、現在でも、森に親しんでもらうためのワークショップや、間伐材の活用、山間地域の課題でもある鳥獣対策活動なども続けている。
枝里さんも功さんも、常陸大宮市の山の暮らしに馴染むまでに、時間はかからなかったという。
枝里さん「地域に住む方は年配の方も多いですが、私たちを同志のように迎え入れてくれました。今では、回覧板を回しに行くと、お隣のお母さんと40分ぐらい立ち話をしてしまうんですよね」
さらに二人は、自分のやりたい事や出来ることを、地域に暮らす人々と積極的に共有し、時には地元の人たちに教えを請い、時には自ら仕事を引き受けることで、地域の中での役割を得ていった。
「地域のためにやってあげなければ」と思うのではなく、「自分たちも含めて気持ちよく楽しく暮らせる方法を考える」というのが、松原さん夫婦にとっての移住先での暮らし方。その向き合い方が、地域との良い関係を生んだ。
地域おこし協力隊としての役目を果たすだけでなく、「楽しくにこにこしていたら、人も集まってくれるはず」と、二人は口を揃えて語る。「質の高いものと出会うことが多い」という気づきも、移住後の暮らしの中で得たものだそうだ。
例えば、食べ物の「本当の美味しさ」を実感したのも移住後のこと。作り手たちが丁寧に作物と向き合い、素材そのものや調理法に真摯に向き合ってきたからこそ、本当に美味しいものが生み出されるのではないかと、二人は感じている。
枝里さん「料理以外にも、地域には色々な手仕事やものづくりがあります。生業にしている人もいれば趣味の人もいるけれど、どちらも、その人が人生で得たものの表現なんだと思うんです」
「暮らしをおすそ分けしたい」という気持ちから始まった場所作り
常陸大宮市での活動の中で、夫妻は折に触れて「自分たちにとって、人生で得たものや、それを表現する方法とは何だろうか」と思いを馳せることが増えていったそう。
都会で安定した会社に勤め、お金を稼ぐことも一つの道。しかし松原さん夫婦は、協力隊の活動の中で、地域の人たちとともに、やりたいこと、できることを共有しあいながら過ごせる豊かな暮らしの尊さも経験していった。
この経験は、自分たちと同じような暮らし方や生き方に悩んでいる人たちにとってもヒントになるのではないか。そう考えた二人は、自分たちの暮らしの延長線上にあるコミュニティスペースを作ることを決意。それが、現在二人が運営している「おへそ」に繋がる。
功さん「私と妻の、今までの人生で、それぞれ学んで得た知識、楽しいと思う事、その『おすそわけ』を出来る場所。それが『おへそ』です」
「おへそ」を作るためにDIYが可能な物件を探していたところ、常陸大宮市の職員からの紹介ですぐに見つける事ができたそう。実際に物件を改修する際は、以前枝里さんが参加していたワークショップで出会った大工さんが、枝里さんと功さんの想いに共感して引き受けてくれたという。
空間を実際に作る工事は、この大工さんの指導の元、さまざまな人が参加できるワークショップ形式で行われた。改修をワークショップ形式で行うことは、おへその着想が浮かんだ時から決定していたそう。人と人が偶然出会い、協力しあう場で得られる気づきや出会いがもたらす可能性を知っている二人だからこその計画だったはずだ。
おへそが気づかせてくれた、自分たちが大切にしたいこと
様々な人と協力しながらおへそを作るという過程は、松原さん夫婦にとっても「おすそ分け」を受け取る機会となった。
枝里さん「実を言うと、改修が始まった頃は、『暮らしを楽しむ』という大事な軸を見失っていた時期でもありました」
おへその改修作業が始まったのは、枝里さんが協力隊の任期を終えて1年が経とうとするころ。任期を終え、自力で生計を立てる必要に追われていっただけではなく、「目に見える結果を出さねば」「かけがえのない地域の手仕事を伝承しなければ」と頑張りすぎてしまったのだと言う。こうあるべきという理想に縛られ、枝里さんは何も手につかなくなってしまったそうだ。
そんな中、枝里さんに自分自身を見直す機会をくれたのは、改修ワークショップでおへそに集まった人たち。ワークショップ中の雑談で、ふと悩みを打ち明けた参加者に、枝里さんは何気なく自分の経験談を話したそう。そのとき悩みを話していた参加者は、枝里さんの話から新たな視点や価値観を得て、前向きな気持ちになっていったそうだ。
枝里さん「その方と話をしながら、自分は原点を忘れていたことに気づきました。私自身、東京での生活には『こうあるべき』に縛られ馴染めなかったけど、旅を通じて外に出たとき『もっと広い世界や価値観がある』と気づけていたんです。協力隊のときは、頑張りすぎていてその原点を忘れていたんですね」
一番近くで枝里さんの気持ちに寄り添っていた功さんも続ける。
功さん「僕らは、あくまで自分たちの気持ちや暮らしの延長にあるものを『おすそ分け』していきたいんだなと再認識しました。あくまで自分たちが無理をしないこと。でも、色々な背景を持った方が訪れて、そこで偶然出会い新しいことが生まれていく場所も、地域の中にあったらいいなとも思っています」
気持ち良く暮らすために必要な時間
さまざまな協力や支えがあり、おへそは無事完成を迎えた。ここで生まれる出会いや新たな取り組みが期待されているが、新型コロナウイルス感染症により、イベントの企画や集客が難しい状況が続いている。
しかし結果的に、おへそについて振り返りながら、ゆっくり運営していく期間になっていった。おへそへの集客は難しいが、気負わず付き合える人たちと一緒に、無理のない範囲で「おすそ分けをする」という活動に落ち着いてきたという。
また、「2020年の春は何もできない代わりに、夫婦でたくさん話をしました」と二人は振り返る。運営に限らず、お互いが一緒に暮らしをつくる良きパートナーであるために、見つめ直したこともあった。
枝里さん「移住や地域おこしといった文脈がなくても、一緒に暮らす人として、夫婦関係は大切ですね」
功さん「一緒にいる時間が長いと、『話さなくても分かるでしょ』という気持ちになってしまいます。でも、やっぱり話さないと心の中は分からない。お互いを尊重することや、きちんと考えを確認することは大切ですね」
おへそは、異なる価値観や生き方に出会える場所
おへそという場所をきっかけに、様々な人に出会い、夫婦で話し合いながら「暮らしのおすそ分け」という二人の中にあるテーマを深めていった、枝里さんと功さん。
功さんは、おへそを「狭間(はざま)」だと言う。異なる価値観や生き方の人同士がたまたま出会い、相手の世界を垣間見た後、また自分の世界にもどってゆく。だけど、おへそを訪れたことで、その後の価値観や生き方に何かしらの変化がうまれる。そんな場所にしていきたいと考えているそうだ。
功さん「都会の人や地方の人、若い人やお年寄り、沢山の人に集まってほしい。でも、そこで出会った人たち同士が、お互いの良いところを取り入れようとがんばる必要は無くて『こんな人がいるんだ、こんな暮らしもあるんだ』と、ただ文化に触れてくれるだけで良いと思うんです。それだけでも、おへそという場所が存在する意味があるのではないでしょうか」
枝里さん「みんなが得意なことを披露できる場所になれたらいいなと考えています。でも、発表会のようなものではなく、例えばここで、ごはんを食べている時に、誰かが演奏をしたり、それぞれの趣味や特技をさらっと出せる雰囲気が理想です。それが、おへそらしさかもしれませんね」
松原さん夫妻は、今後おへそで悩みながら挑戦してゆく自分たちの姿を見て欲しいとも話した。
長い道のりを経て今の暮らしがあるように、これからも二人の暮らしは続く。今後もつまずく事も間違えることもあるかもしれない。だが、その度にそれらは暮らしの一部となり、おへそに集う誰かの気づきとなるのだろう。おへその「暮らしのおすそ分け」は、これからも続いてゆく。