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茨城のヒト・コト・バ PEOPLE, THINGS, SPOTS OF IBARAKI
見晴らしの丘 真壁 うり坊
添野俊介さん・海老沢勇太さん・金成一歩さん
地域の仲間と応援が背中を押した、茨城の魅力に出会えるオーベルジュ
未だ続くコロナ禍で、感染リスク回避だけでなく働き方を変えるために地方移住を検討する人も増えつつあるそう。その中には、「実家の家業を継ぐ」「地元で事業を立ち上げる」など、地元での可能性を意識したUターンを考える方も、少なくないのではないだろうか。
茨城県でも、地域での挑戦ができる。地元・桜川市で施設の運営を引き継ぎ、2020年10月末にオーベルジュをオープンさせた青年たちも、県内チャレンジャーの一組だ。飲食観光業が苦境に立たされる中での取り組みだったが、仲間の協力や茨城県内のプレーヤーたちの応援を受けながら彼らが生み出した場所は、茨城の魅力に出会う新たな拠点になりつつある。
歴史と自然とヤマザクラの街
桜川市は、ヤマザクラの名所で知られる街。ソメイヨシノの季節から少し遅れ4月中旬ごろになると、市の北側を囲む山々の中腹にヤマザクラが咲き誇る。新緑の木々とピンクの花弁が織りなす山の装いは、水彩画のような美しさ。
市の南北と東には街を囲むように筑波山地がそびえ、東側には田畑が広がる。南北にかけて流れるのは、市名の由来にもなった桜川。桜川市は、関東平野における、自然豊かな里山の街でもある。
さらに、市内の「真壁の町並み」は、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、街中の104棟が国の登録有形文化財として登録されている。石材業も盛んで、真壁地区は「日本三大石材産地」の一つ。産出される真壁御影石を加工した「真壁石燈籠」は国の伝統工芸品に指定されているほどだ。
地域の若手が作る、茨城の食に出会えるオーベルジュ
そんな桜川の街から山に登っていく道路の入口には、オーベルジュ「見晴らしの丘 真壁 うり坊(以下、うり坊)」が、麓に広がる田畑や街を見下ろすように佇んでいる。
オーベルジュとはフランス語で、「郷土料理を提供するレストラン付きのホテル」を意味する言葉。宿泊設備はあるが、メインとなるのはあくまで食事だ。
朝昼は野鳥のさえずりが聞こえ、麓には季節ごとの田畑の景色が広がる。日が傾くと空が夕焼けで染まっていく。うり坊では、桜川の自然と営みを感じながら、茨城の食材をふんだんに利用した食事を楽しむことができる。
宿泊の客室もスマートな印象で、デザインされた家具と空間は、「自分のおしゃれな部屋」にいるような気分でくつろげる。寝るだけではもったいない、ワーケーションのワークスポットとしても使いたくなる空間だ。
そんなうり坊運営の中心を担うのが、リノベーションの設計・施工を手がけるデザイン会社、株式会社ティック(以下、TiC)取締役の添野俊介(そえの・しゅんすけ)さん、うり坊支配人の海老沢勇太(えびさわ・ゆうた)さん、うり坊料理長の金成一歩(かなり・かずほ)さん。
そもそもうり坊は、元は他の業者が別の名称で運営していた施設だった。それを、俊介さんの父、TiC代表取締役の添野俊男(そえの・としお)さんが買い取り、2015年から「うり坊」として運営。しかし、新型コロナウイルス感染症の影響もあり2020年3月に一時閉館を余儀なくされた。
このタイミングで、俊介さんは施設の経営を引き継ぐことになった。かつてのうり坊からオーベルジュとしての「うり坊」への道のりは、ここから始まっていく。
地元の同級生と始めたうり坊リニューアル
施設経営を父から引き継いだ当時を「社長は『ピンチをチャンスに』と言っていましたけど、簡単なチャンスじゃなかったですね」と振り返る俊介さん。
俊介さんは桜川市出身。真壁の街なかで育ったが、大学進学をきっかけに上京。そのまま都内に就職したが、30歳で茨城に戻り、TiCに入社。営業を担当するようになった。当初はまだうり坊の経営に関わっていなかったが、父が運営する施設の様子を、経理的な側面から把握していたそう。
そして、うり坊を一時休館し、俊介さんが再出発の役目を担ったのが2020年3月。新型コロナウイルス感染症が急速に広がり、飲食観光業が苦境に立たされ始めた時期でもある。
俊介さん「バトンは受け取ったけど、ご時世的に厳しいし、施設運営の経験も無いので不安でした。ちょうどそのころ、中学の同級生だった海老沢さんが転職を考えていた時期だったんですよね。そこで、うり坊の話をしながら『せっかくだから、一緒にやってみない?』と声を掛けたら話に乗ってくれたんです。彼が入ってくれたのを機に、本腰を入れてうり坊のことに取り組み始めました」
海老沢さんも桜川市出身で、俊介さんとは中学時代の同級生。当時はお互いそれほど仲良くなかったというが、今では冗談を言い合う仲。中学卒業後は別々の道に進んだが、大人になってからは度々会って話をすることもあったそうだ。
大学進学で上京した海老沢さんだが、就職は茨城県内企業。ゴルフ場の営業として、施設内の様々な運営に携わっていた。
海老沢さん「当時勤めていたゴルフ場では、フロントやレストランでの仕事もあったんです。そこでの経験が活きると思って、彼は声をかけてくれたんだと思います。思い返すと軽いノリでうり坊に参加したのかもしれませんが、事業の話を聞かせてもらいながら、楽しいことができそうだなと思っていました」
地域に根付いた「尖った」お店を目指す
このとき、俊介さんは海老沢さんと一緒に、「楽しいことや尖ったことをやりたいよね」と話し合っていったそう。ここで言う「尖ったこと」とは、想いを同じくする仲間たちと一緒に、既存の枠にはまらない楽しい事業を続けていくこと。
俊介さん「飲食・宿泊施設を運営するのは初めてでしたが、自分たちが楽しいと思えることを続けていこうと思いました。デザインや内装、食事も、自分たちがいいなと思えるものを取り入れる。その軸となるのが、うり坊という場所が桜川に根付き、地域に貢献できるような場所にしていきたいという想いですね」
そして二人が打ち出したのは、地域の食材を使った料理を提供する、オーベルジュというスタイル。そこには、和のテイストだった以前のうり坊の雰囲気を大きく変えたいだけではなく、「桜川の里山にオーベルジュが生まれる」という新鮮な印象を与えたいという想いもあった。
オーベルジュというスタイルに方向性が決まった背景には、料理長を務める金成さんとの出会いも大きい。金成さんと俊介さんたちとの出会いは、茨城県内に拠点を置く企業コンサルからの紹介がきっかけ。
二人と出会った時、金成さんは「同世代が尖ったことにチャレンジしている!」と刺激を受けたそう。
金成さん「私自身、採れたての季節の食材を、生産者様から直接受け取り、素材を大切にしながら料理をしてお客様にお届けする、ということに関心があるんです。そんな中、二人から『地域の食材を活かした、茨城県内屈指のオーベルジュを目指している』という熱い想いを聞いて、これはぜひと思い、料理長として参加しました」
普段は物腰柔らかい金成さんだが、厨房に入ればプロの集中力を発揮。そんな様子を「声をかけられないほどの緊張感が伝わってくる」と俊介さんは評する。海老沢さんも「料理に対してすごく真面目だし、絶対に手を抜かない」と絶大な信頼を置いている。さらに金成さんは、農園の野菜の質を見極める際に、作物だけではなく畑の「土」を食べて判断するほどの研究熱心な方。
うり坊で提供する料理の食材は、三人が、実際に生産者のもとを訪ねながら選び抜いていった。訪ねた生産者の場所は、桜川市内はもちろん、茨城県内各地に及ぶ。実際に足を延ばし話をすることで、良い食材に出会えただけではなく、俊介さんたちの想いに共感してくれる人たちとの縁も生まれていったそう。
茨城の食から茨城に出会えるオーベルジュ
海老沢さん、金成さんと共にうり坊の骨子を再構築した俊介さんは、新たに店舗運営スタッフを募集。内装も、TiCのデザイナーが設計した新たなスタイルで雰囲気を一新。ハード・ソフトを整えてうり坊をリニューアルオープンしたのが、2020年10月29日。
新しくなったうり坊は、茨城の食材を生かしたランチとディナーを味わえるほか、宿泊客は翌日の朝食も楽しめる。ランチメニューは1,980円から。地域としては高めの価格設定だが、それは自信の表れでもある。
俊介さんも「値段以上のものを提供している自信があります」と言い切るだけのことはあり、お客様の中には、味に感動し思わず涙を流した方がいるほど。味とサービスに感謝を込めて、店長、料理長それぞれに直筆の手紙を送ってくださった方もいたそう。
メニューには食材が作られた地域名や生産者名が記され、作り手への敬意と、桜川や茨城の魅力を発信したいという気持ちを見てとることができる。
近隣に住む人たちがランチを楽しみに来るのはもちろん、泊りがけで足を運び、ディナーや朝食を味わっていく県外の方も多い。そしてお客様は、食事を通して、茨城の食材をたっぷり使った料理を五感で楽しみ、茨城の食材の豊富さも実感していくのだそう。
俊介さん「まだお客様や地域の皆様に認めていただけたかは分かりません。でも、リピーターになってくださる方が少しずつ増えてきて、手ごたえも感じているところです」
さらに、地元の方たちからの『若い世代が面白いことをやっているな』という応援や、生産者の方にも『みんなに味わってもらえる』という喜びの声も頂いているという。
地域の頑張る人たちが背中を押してくれた
「尖ったことを続けて、桜川に貢献したい」という想いで、うり坊再構築を進めてきた俊介さんたち。コロナ禍での準備期間は、不安も大きかったはずだ。
実際に、うり坊のバトンを受け取った時は「仲間が集まるかどうかわからないし、正直なところ不安だった」と俊介さんは振り返る。それでも、仲間とともにオープンまでこぎつけられたのは、海老沢さんや金成さんだけでなく、茨城の様々なチャレンジャーや応援者に出会えたからだと話す。
昔は東京にあこがれていて、地元愛も無かったという俊介さん。しかし30歳になって茨城に戻り、うり坊を引き受けるようになってから、たくさんの茨城を元気にしようとする人たちに出会った。
とくに、いばらきフラワーパークの運営に携わる藤野龍一(ふじの・りゅういち)さんが語った、「地域の枠にとらわれず、相互協力して茨城県の活性化に繋げていきたい」という想いに共感。今でも心に残っているのだそう。
俊介さん「地域おこし協力隊の方、県施設のリニューアルを手がける方、ローカルプロジェクトを企画運営する方。そんな方々と出会い話すことで『地元で頑張ってみよう』という想いが生まれていきました。この出会いがなかったら、ここまでできなかったですね。色々な人に出会い、背中を押してもらいながら理想を実現していきました」
みんなで作るうり坊
さらに、うり坊で働くスタッフたちにも恵まれたと二人は語る。
うり坊の運営では、支配人の海老沢さんを中心に、桜川近隣の10代後半から60代までのスタッフが集い活躍している。その一体感は、経営陣として現場を見ている俊介さんも思わず嫉妬するほどなのだそう。
海老沢さん「実は、僕を含めスタッフたちのほとんどは飲食店やホテルでの業務経験が無いんです。でも、仕事の合間に色々な話をするし、仕事の反省点などもこまめに確認。冗談も言い合ったりもしますね。みんなで『もっと良いサービスを提供するためには』を考えながら一緒にうり坊を作り上げている感じが、本当に楽しいです」
ちなみに、俊介さんが運営の中でこの上ない嬉しさを感じたのは、スタッフミーティングのときに海老沢さんがふいに発した「楽しい」という言葉を聞いたとき。飲食や宿泊業界に厳しい状況が続く中、海老沢さんを事業に誘った張本人として、一番聞きたかった言葉だろう。
地域の魅力に出会う拠点にしていきたい
俊介さんたちがうり坊を再始動させて、まだ1年足らず。しかし、すでに「茨城県一番のイタリアンが食べられるお店を目指す」という高い目標を掲げている。俊介さんも海老沢さんも、「茨城の食材は美味しいし、金成さんの腕なら一番を狙える。だから僕たちもより丁寧なサービスを提供していく」と口をそろえて語る。
さらに、うり坊を、桜川市や茨城県、そして隣県の魅力に出会う拠点にしていくための準備もしているそう。そのために、俊介さん自身、地域の取り組みや行政の施策にアンテナを張りながら、うり坊と街とが融合するような取り組みを模索しているところだ。
俊介さん「以前、都内から桜川に帰省したときに、街の中で行きたいと思える場所が無かったんです。だからこそ、うり坊が訪れたくなる場所の一つになれたらと思います。この場所をきっかけに、まだ知られていない桜川や茨城の魅力を知ってもらいたいですね」
茨城の人たちとの出会いと応援で背中を押されて生まれたオーベルジュ、うり坊。俊介さんたちの挑戦はまだ始まったばかりだが、これからどのような展開が生まれていくのか、期待が高まる。うり坊を作る人たちが挑戦を重ねるたびに、この場所を訪れる人たちが、まだ知らない茨城の魅力に何度も出会えるのではないだろうか。