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茨城のヒト・コト・バ PEOPLE, THINGS, SPOTS OF IBARAKI
社会福祉法人オークス・ウェルフェア 理事長
鹿志村茂さん
福祉スタッフも利用者も、自分らしい生き方を応援したい
学校や職場で自分らしく過ごせている人は、今の日本でどれほどいるのだろう。「それぞれの個性を大切にしよう」と掲げられることはあっても、その集団や地域、日本ならではの「こうあるべき」という枠に、自分らしさとのバランスを模索することが多いのではないだろうか。
そんな風土に変化を起こそうとしている人がいる。ひたちなか市にある社会福祉法人オークス・ウェルフェアの理事長、鹿志村茂(かしむら・しげる)さんだ。鹿志村さんの信念は、スタッフそれぞれが自分らしい毎日を過ごすことによって、施設の利用者それぞれの「らしさ」を支えること。そのために保育士の持ち帰りの仕事をゼロにするなど、思い切った方法をとってきた。
鹿志村さんは他にも、画期的な風を福祉業界に吹かせた。その一つが「介護ボランティア×夏フェス」という企画で、施設の近くで開催されるロック・イン・ジャパン・フェスティバルに来る若者に宿と介護体験を提供。介護の関係人口を増やす試みを行った。
その個性的な運営の根本にあるのは、鹿志村さん自身が幼少期から感じ続けた、周りの人と同調することを求められる息苦しさ。生まれ育ったこの地域を、違いを認め合える風土に変えるべく挑戦する鹿志村さんの取り組みをお聞きした。
利用者それぞれの「らしさ」を尊重する
社会福祉法人オークス・ウェルフェアでは、主に4つの福祉施設を運営している。設立順で言うと障害者支援施設「オークスヴィレッヂ」(1993年)、高齢者支援施設「オークス東海」(2010年)、「おーくす船場こども園」(2016年)、そして「おーくす佐野保育園」(2018年)だ。ひたちなか市と東海村にまたがる半径500mの範囲にそれぞれが点在している。夏には国営ひたち海浜公園から「ロック・イン・ジャパン・フェスティバル」の音楽が聞こえてくる距離感だそう。
今回鹿志村さんとお会いした「おーくす船場こども園」は認定こども園と学童クラブが併設され、0歳から小学6年生まで幅広く利用する。子ども達と関わる方針は「自由と主体性」。遊びを通した成長を大切に、子どもそれぞれの「らしさ」に向き合っている。この運営方針に賛同する保護者や保育士は多く、近くに引っ越したいとまで言う保護者もいるそう。
障害者支援施設や高齢者支援施設でも、利用者それぞれの「らしさ」を大切にすることが主軸にある。その環境はスタッフ一人ひとりが「自分だったらこんな場所に住みたい」と工夫を重ね、作り上げてきた。理事長の鹿志村さんは、その大きな方針を決定する役割を担う。
「よく会社説明会で話すんです。『僕もあなたも何分後かに事故に遭って首から下が動かなくなるかもしれない。だから誰もが、どんな人も安心して暮らせることが大事だよ』って」
利用者の幸せは、スタッフの幸せから始まる
鹿志村さんの言う「どんな人も」は、とても幅広く「一人として同じではない」ということを意味する。そう感じたのは高齢者支援施設「オークス東海」を見学していたときだった。入居者用の個室トイレが2つ並んでいて、用を足す際に右回りで腰掛けやすいトイレと左回りで腰掛けやすいトイレ、どちらでも選べるようになっていたのだ。
多様性への工夫は学童クラブの中にも施されており、例えば音楽室にある楽器のなかには、当たり前のように左利き用のギターが用意されていた。
無限にある人の在り方を尊重する鹿志村さんの信念のもと、スタッフは利用者一人ひとりとの関わり方を日々工夫することが必要とされる。利用者に対し画一的に接するよりも、労力は格段に大きいだろう。
鹿志村さんはその意欲を引き出すため、スタッフの勤務外の時間を大切にすることにした。幼い子どもを育てるスタッフには育児休暇や看護休暇を推奨することはもちろん、法定ではカバーされない小学生の子どもの看護休暇を独自に創り出した。
スタッフ自身のためのリフレッシュ休暇も作ったという。取材時に近くにいたスタッフに声をかけそのことを伺うと「勤続5年間で5日のリフレッシュ休暇と5万円の補助金を支給され、沖縄に住む息子に会いに行けた」と嬉しそうに話した。
有給休暇は翌年まで繰り越せるので、最大40日を使って遠慮無く短期留学や長期旅行に使って欲しいというのが鹿志村さんの考えだ。
スタッフ用の設備も手厚い。高齢者支援施設「オークス東海」のスタッフ休憩室には広いカフェスペースのほか、1台ずつ仕切られたマッサージチェアや個室が5つ。個室は床暖房付きで、仮眠やストレッチ、ヨガなどに活用できる。また、隣接する更衣室にはメイクルームがあり、1日を仕事だけで終わらせず、勤務後のプライベート充実を勧める。
鹿志村さんは、スタッフの福祉を徹底的に厚くする理由をこう話した。
「多くの人は働く上で休んだ方が良いと思うんです。自分を犠牲にしてでも奉仕する考えの人や、それが合意の上の会社などもありますが、合意も無く自己犠牲をさせてしまうと『ブラック』になってしまう。スタッフ自身が幸せを感じれば、頑張らなくても自然と笑顔とか幸せな雰囲気が利用者さんに伝わると思うので、そういう考え方でやっているんです」
業界の働き方に疑問を持ち、風穴を開ける
ここまでスタッフの休み方を重視することは、福祉業界では当たり前ではない。6年前に「おーくす船場こども園」を設立した際の採用説明会で、こんなことがあったという。
「私が『保育士は制作物の持ち帰り仕事は無しです。禁止です』と言ったら、参加者達から『そんなの無理です!』って反論があって。そうか、やっぱりそういう業界の風土なんだと思ったんです」
保育業界にとって「持ち帰り仕事があること」「クラス担任は平日に旅行に行けない」などは当たり前のことだった。その忙しさを耳にしていた鹿志村さんは、保育士が家庭や自分の時間を確保できることを起点に運営を考えた。各自の業務内容を全員が把握できるようにし、一つの業務には常に2~3人のスタッフを配置。結果として混乱無く運営を始めることができたという。本来はクラス担任を持つと旅行などは難しいが、ここではそれを実現できる。
「おーくす船場こども園」の木幡涼子園長に、仕事と生活のバランスについて聞いてみた。
「私は子どもが3人いて帰宅後に家庭のことが結構あるのですが、定時で上がれるので子どもとの時間が持てるんです。私も含めてスタッフみんな、自分の子どもを大事にした上で園の子どもを大事にしています。自分の生活が楽しく豊かだと、仕事に対して前向きになれます」
スタッフが心身共に充電する時間を、組織が作る。その姿勢の中に、利用者一人ひとりを大切にするための瞬発力や想像力、思いやりなどの力が生まれる仕組みを垣間見た。
きっかけは、人への興味と同質性への反骨心
福祉業界に新しい風を吹かせる鹿志村さん。「誰かにとって正しいとされるものも、時にはそうではないこともあるのでは」と思い始めたのは、なんと幼稚園生のころだった。
現在46歳の鹿志村さんは、施設があるひたちなか市と東海村が接するエリアの農家に生まれた。幼稚園生の鹿志村さんは他の人と同じことがとにかく嫌いだったという。中学生のときには親の反対を押し切りアメリカに短期留学をし、自分の周りの世界は世界の全てではないことを確かめに行った。その後は私服登校の高校を選び、入学式で中学校の制服着用と言われたことに反発してお気に入りの赤いシャツを来て出席。暗い色の制服に囲まれ、鹿志村さんが際立つ集合写真となった。
「小さいときから『教師の言うことは絶対だ』みたいなことに違和感があったんです。教師だってもちろん間違うことがあるわけなので。あと当時の日本って、どうしても同質性というか均質性というか、『みんなが同じである』っていう幻想が強かったと思うんです。でも僕としては『それって違うよね』と思ったんですよね」
一人ひとりの違いを受け止め切れない学校教育を体感し、最初に目指した職業は教師だった。「こういう教え方だったらもっと楽しく覚えられるのに」という思いからだったという。しかし人類学に強い興味を抱くようになり、教師よりも深く人と関われる仕事は何かを模索し、福祉業界に飛び込んだ。現在、社会福祉法人オークス・ウェルフェアの4つの施設を合わせると利用者は600人以上、スタッフは300人近く。望み通り、多くの「人」と向き合うことができている。
個性のままに、理事長として働く
鹿志村さんは本当に人類学が好きなようで、取材中に何度も「ホモサピエンスが…」と口にしていた。
「人類の話になっちゃうんですけど、私達の祖先は介護をしていた記録があるんです。歯が無いホモサピエンスの骨が発見されていて。だからよく『最古の職業は何か』という話がありますが、介護もその一つかなと思うんです」
もう一つ大好きなことは建築だという。「おーくす船場こども園」は利用者の視点に立って自らデザインし、それを建築家に託したのだとか。雨の日でも走ることができる回廊や、暗いところから明るいところへ進みたくなる心理を利用したエントランスなど、大小様々なアイディアを実現した。
「デザインや見た目は気にしなくていいという経営者もいますが、それは人に興味が無いように感じてしまいます。デザインっていうのは相手や環境を考えるということ。相手の身体的特徴や心理、文化などを考慮して心地よい使い勝手にすることで、日常のちょっとしたエラーを減らせると思うので、そこは非常に大切にしています。」
自身の個性を押し殺さず、諦めなかったことで自分らしく働ける場を作ることができた鹿志村さん。自らの幼少期を思い出すようにこう言ったのが印象的だった。
「子育てに悩んでいる親御さんって『うちの子は〇〇ができない』のような、他との『違い』に悩んでいる方が多いんです。何というかそういう『違い』は悪くないって伝えたいんです」
自由と主体性のために「押し付けない」
鹿志村さんが昼休みに時々昼寝をしているという場所に案内してくれた。そこは学童クラブの裏手にある林だった。森のなかで遊んでいた原体験もあるそうで、「木を見上げたときの音とかって気持ち良いじゃないですか」と語る鹿志村さんの表情は柔らかかった。
踏み固められた小道からは子ども達がいつも走り回っている様子が感じられ、木々の間には子ども達の背丈ほどの篠が生えていた。この篠が子ども達の姿を森のなかに隠し、大人に干渉されない自由な時間を過ごせる場を作り出すのだそう。
学童クラブに入ると、10種類ほどの楽器が揃う音楽室や理科室、映画鑑賞用のスクリーンなど、充実した設備があった。先日はノーベル賞候補と言われる研究者を招き、「ミュオン」という素粒子をテーマにした工作実験教室を開催したそう。広い林といい充実した設備といい、最先端の科学者との出会いといい、その手厚さに感心するたび鹿志村さんは何度も「用意は色々しておいて、でも押し付けないことが大切なんです」と口にした。
法人のウェブサイトに、こんな保育・教育指針が書いてある。
「私たちは理想の子ども像を子どもに押し付けません。(中略)
一人ひとり顔が違うようにその思いも違います。一人ひとり好きなことも違います。
その一人ひとりを認め、受け入れ、子どもが自由に主体的に選択できるように支援します。」
思い返すと鹿志村さんの言葉には「〇〇すべき」「〇〇してあげる」などの言葉が一切出てこなかった。スタッフも子どもに対して「〇〇しなさい」などと言わず、「私はこう思う。あなたはそう思うんだね」と対話することを大切にしているという。そうした日常が、子ども達が自分の気持ちを怖がらずに伝え、それを押し付けず、他者との違いを知って受け入れる下地を育んでいる。小さいころの鹿志村さんが欲しかったのは、きっとこの環境なのだろう。
多様な人材を採用して、違いを知る環境に
他者との違いを受け入れられるよう、鹿志村さんは多様なスタッフを採用するようにしている。現在はバングラデシュ、フランス、スイス、ハワイ出身など様々なバックグラウンドのスタッフがいるほか、性格のばらつきにも着目している。
「例えばホームランバッターだけ集めると勝てるチームになるかというと違うので、そこはなるべく色々なポジションの人を採っています」
通常、成績が優秀で朗らかな人は採用されやすい。しかし苦手なことがあっても何か強みがある人も採用することで、子ども達は色々な大人に触れることができる。今後欲しいのは県外からの人材だという。
「九州だったらこんな味付けとか、関西ならではの考え方とか、色々あるじゃないですか。地元も大事ですけど、この地域の考え方だけでやっていくより、色々なところの人に来てもらった方が組織としての柔軟さが出ると思うんです」
他者を認め合う生きやすい地域、そんな未来を作っていく
鹿志村さんは、組織内だけではなく地域の多様性を育むことまで考えている。
「今やっていることは一人ずつにはちょっとの影響だけど、違いを認め合う子ども達がここを卒園して育ったら、この地域で生きづらさを持っている人でもどんな人でも、それなりに楽しく幸せを感じられる未来になるんじゃないかなと。『こんな社会いやだ』と思ってるだけで何か変わるんだったらいいけど、変えようと思って動かなければ社会は変わらないので」
違いを受け入れてもらえなかった幼少期からの息苦しさをバネに、法人の個性を形作り、それを堂々と前に出して行く鹿志村さん。今後ちょっとした野望があるという。
「いつかビリー・アイリッシュ(※)みたいな髪型にしたいんですけどね」(※アメリカ人歌手。黄緑と黒の髪色が有名。)
周囲を驚かせてしまうのでまだ様子を見ているそうだが、多様性を認め合う土壌が更に豊かになったころ、そんな髪型の鹿志村さんを見ることができるのかもしれない。