茨城のヒト・コト・バ PEOPLE, THINGS, SPOTS OF IBARAKI

清水司さん

PEOPLE

株式会社西崎ファーム代表

清水司さん

先代の意志に、自身の想いを乗せて。人生を懸ける覚悟で「継業」した2代目の挑戦

自分で事業に取り組み、思い描く農業に挑戦したい。その夢を叶えるため、人生を懸ける覚悟で「継業」を選択した青年がいる。かすみがうら市で、鴨の飼育から屠畜・加工までを一貫して行う鴨農家・株式会社西崎ファーム(以下、西崎ファーム)の2代目、清水司(しみず・つかさ)さんだ。

先代の意志を受け継ぎながら、「輸入品の代替品をつくり、日本の田舎でお金の循環を生み出したい」「しっかりお給料を支払えて、一人一人がやりがいを持って働ける会社をつくりたい」そんな想いを抱く清水さんに、今に至るストーリーや想いを伺った。

先代から受け継いだ、鴨にとってストレスフリーな養鴨場

西崎ファームのメイン品種「かすみ鴨」。大型で肉付きが良く、肉質も柔らかく、味わい深いのが特長。ヒナのときだけは屋内で過ごすそうで、この囲いの中にいるのは、生後初めて外に出たという鴨たち。小屋と屋外を自由に動き回る。


筑波山の麓にある西崎ファームの養鴨場。ここでは鴨たちがのびのび過ごしている。羽を伸ばしている姿、夢中で地面を掘っている姿、どっしり日向ぼっこをしている姿。そんな様子を眺め、思わず頬をゆるめていると、穏やかな空気が一変。餌の時間となり、争奪戦が始まった。よく見ると、小柄な鴨はなかなか餌にありつけない。生育に差が出てしまうのでは?と気になるも、「強いものが生き残る、それが本来の姿」と語る清水さんの言葉に、はっとさせられた。

西崎ファームの飼育方法は、放し飼い。ワクチン、抗生物質、消毒剤、農薬など、薬剤は使わない。飼料も、遺伝子組み替えのものや酸化防止剤などが入っているものは使わず、人が食べても安心な自家配合飼料を使用している。

養殖の鴨は、通常生まれてから49日で出荷されるのだそう。しかし、西崎ファームの出荷の目安は生後90日。飼育期間が長くコストもかかるが、味も肉質も強く仕上がる。

時間をかけてじっくりと鴨たちに接する様子からは、「鴨を飼育している」というよりも「鴨がのびのびと過ごせる環境づくりをしている」という印象も感じられる。そんな環境で育まれた鴨肉には、味と品質に信頼を寄せている方も少なくない。取引先も、東京や神奈川などの首都圏を中心に、東北から沖縄までと幅広く、飲食店や通販を通じて、多くの人が西崎ファームの鴨肉の味を楽しんでいる。

飼料は、近隣で生産されている飼料米をはじめ、ポストハーベスト農薬(※)を使用していないトウモロコシ、ゴマ、菜種油、魚粉、近隣のお菓子屋さんでお菓子作りの行程ではじかれた大豆などからできている。鴨たちは餌の他にも、養鴨場内の緑藻や腐葉土を自由に食べてビタミンやミネラルを補っているそう。


西崎ファームの基礎を築いてきた、先代であり創業者の西崎敏和さんは「鴨にとって快適な環境を作り、育ってくれるのを待つ」という独自の養鴨の形を確立。アニマルウェルフェア(※)という考え方があまり浸透していない日本で、西崎さんは、鴨の心身の健康を意識したスタイルを30年以上前から貫いてきた。

そんな西崎さんから事業を託されたのが、清水さん。

清水さんは、宮城県出身で、大学進学を機に茨城県にやってきた。その後、学生時代から農業の現場に携わる。大学卒業後もいくつかの農業の現場で働いてきたが、西崎さんからの誘いもあり、事業を継ぐ前提で西崎ファームに入社。そして社内で3年間修行し、2020年5月に事業継承。西崎ファームの代表となった。

事業継承というと、親族や地域に縁のある人が後継者となるケースが多い中、清水さんは地縁・血縁にとらわれない形で事業を引き継いだ。その背景には、農業に対する熱い想いがあった。

※ポストハーベスト農薬:収穫後の農作物に散布する、殺菌や防カビを目的とした農薬。
※アニマルウェルフェア:動物を「感受性のある存在」と捉え、家畜にとってストレスや苦痛の少ない飼育環境を目指す考え方のこと。

鴨の様子をチェックする清水さん。日々、現場に立ちながら、経営や事務作業も担っている。鴨を区分けする囲いなどの施設内設備も、スタッフと手作りしたという。


選んだ道は第一次産業のプレイヤー

継業に至るまでのストーリーは、清水さんの高校生時代まで遡る。

高校生だった当時、親の転勤で宮城県に暮らしていた清水さん。そこで遭遇したのが、東日本大震災。清水さん自身は無事だったものの、自宅からそう遠くないところまで津波が迫り、精神的に大きなショックを受けたのだそう。

「震災当時、大学受験に失敗し、浪人が決まっていたんです。自分が予備校に行っている間、友人たちはボランティアをして地域のために頑張っていたのに、私は不勉強の尻ぬぐいに時間を使っていることが情けなかった。『自分にできることはないか?社会的に意義のあることや貢献できることはないか?』と悩みながら受験勉強をしていました」

そのときに考えていたのが、農業の道に進むこと。もともと生物学や植物が好きだったことから、この分野に取り組み、「社会に貢献していくなら農業の道」と心に決めた。

大学時代は多くの生産者を訪ねた清水さん。写真は、食と酒を通して東北の魅力を届ける「食と酒 東北祭り」の準備で、東北各地の酒蔵や農家へ出店のお願いをしている様子。他にも、有償ボランティア「農業ヘルパー」では、「体験としての農作業」ではなく「生業としての農作業」に触れ、将来を左右する貴重な経験だったと振り返る。


その後、農業経済を学ぶため筑波大学生命環境学群に入学。授業だけでなく、農業サークルに入り地元農家のもとで農業体験をしたり、農業ヘルパーとして仕事をしたり、個人で全国各地の農家を訪ねたりすることもあった。さらに、大分県の酪農家や宮崎の豚農家で3ヵ月ファームステイにも取り組み、様々な生産現場で学びと経験を深めていった。

一口に農業といっても、さまざまな仕事や役割がある。そんな中、清水さんが目指していたのは「生産者」という道。

「学生時代、周りの農業を志す人たちは、農業を流通から支えたい、コンサルで経営を応援したいという人が多く、第一次産業のプレイヤー(生産者)になりたいという人は、多くはなかったんです。自分がリスクをとり、生産者になって、成功事例になりたい。そう思って、絶対に生産者になろうと思いました」

清水さんと先代の西崎さんとの出会いは、清水さんが大学の農業サークル活動に取り組んでいたころ。サークル活動の中で西崎ファームを訪れていたのだ。しかし、このときはまだ、「今のような未来が待っているとは想像つかなかった」と清水さんは振り返る。そもそも、畜産業は視野に入れていなかったのだそう。

「自分でやるなら野菜かなと考えていました。動物は好きでしたが、畜産業は初期投資に莫大な費用がかかる。しかも、牛や豚が出荷できるようになるまでに年数を要するので、現金が手元に入るまでに長い時間がかかるんです。自分ではゼロから始めるのは難しいと思い、当時は選択肢から外していました」

向かって左端が清水さん、右から2番目が先代の西崎さん。大学時代の西崎ファームでの体験を振り返り、「体験といってもほぼ草刈りで、西崎さんの話を聞くことがメインでしたね。哲学的な話で内容は理解できなかったですが」と笑う清水さん。代表となった今、西崎さんが話してくれたことの意味が少しずつ分かってきたという。


人生を懸ける覚悟で継業を決意

大学生活のかたわら、農業の経験を重ね、知見も少しずつ広げていった清水さん。やがて就職活動を開始したが、そこで農業という働き方の中にある課題にぶつかっていった。

「就職活動をするにあたって、選択肢が3つありました。自分で農業を始めるか、農業企業の社員になるか、農業と関係ない仕事をするか。その中で、新規就農はハードルが高いと感じ、農業企業に就職しようと考えました。しかし、仕事内容や給与面含め、ここならやりがいをもって働けると思える会社が、あまり見つかりませんでした」

悩んだ結果、大学卒業後は、関西で野菜の生産をしている大企業の農業部門に入社。しかし、清水さん自身が目指す農業とのギャップを感じて5か月で退社。次に宮城県の農業企業に就職するも、スタッフとの温度差を感じ、早い段階で転職を考えるようになったそう。

「当時は生意気だったのかもしれません。農業の現場や農産物をより良くしたいという思いで勉強して、上司に色々な提案をしましたが、嫌がられましたね。よく社内でぶつかっていました」

農業への想いと現場のギャップに苦しんでいたとき、清水さんのもとに1本の電話が入る。相手は、大学時代にお世話になった、西崎ファームの西崎さん。その内容は「引退を考えているが、跡継ぎがいないから廃業しようか悩んでいる」というものだった。

「電話を頂いてから、すぐに話しを聞きに伺うと『跡を継ぐ前提で社員にならないか?』という話を頂きました。決断まであまり時間はかからなかったですね。こんないい話はないなと。自分で農業を始めるとしたら、作物を作り現金を得るまでの『0から1』をどう作ればいいんだろうとずっと悩んでいたんです。だから、西崎ファームの養鴨場という『1』がある状態でスタートできるのは、とてもありがたかったです」

自分の夢を叶えるにはこれがラストチャンス。絶対そこで成功してやる。その強い覚悟を持って、清水さんは西崎ファームの門を叩いた。

先代の意志に、自分の想いをプラスして発展させてゆく

西崎ファームの事業継承の決断をする際、「自分の想いを実現できるか」という点も強く意識した。

「輸入される農作物や畜産物の代替品を作りたい、という想いがあったんです。輸入品の代わりとなるものを日本の田舎で賄えたら、国内や生産地域の中でもお金が循環していくことにもつながりますからね」

西崎ファームが作り続けてきた「鴨肉」も、フランスやハンガリー、タイ、中国からの輸入量が多い品目の一つ。国産の鴨肉を流通させることで、生産地域にお金が巡るし、海外の人に消費してもらえば、その分日本にお金が入ってくることにもつながる。

「事業はお客様のために」という考え方もあるが、事業を進めるなかで一番大切なのは一緒に働いてくれるスタッフだと考えている清水さん。「ちゃんと儲けること」を実現することは、高品質な鴨肉をお客様に提供し、事業を安定させ、スタッフに還元することにもつながっていく。


実現したいことはもうひとつ。それは「ここで働いていて良かった」と思えるような会社をつくること。

自身が就職活動をしていた時に感じた、「魅力的な会社が少ない、低賃金、休みが無い、過酷な労働時間」という農業の労働環境。これが当たり前ではいけないし、一人の農業従事者としても「やはり、儲かることが大事」だと清水さんは強く語る。

「しっかり給料を支払うことができ、きちんと休みがとれて、やりがいをもって働ける会社を、一次産業界にもつくりたい。そういった意味でも、きちんと儲けられる見込みのある鴨は魅力的です」

先代からは「俺がやってきたことを、そのまま存続させても意味がない。西崎ファームを土台にして別のことを始めてもいい」という言葉もあったそう。清水さんは先代が築き上げてきたものを守るだけでなく、自分の想いを乗せて発展させてゆこうと考えたのだ。

お客様やスタッフに支えられながら経営に奮闘

入社後3年の修業期間を経た清水さんは、2020年5月、西崎ファームの代表取締役に就任。しかし、それからの1年半は、「マイナスになった利益をゼロに戻す」の繰り返しだったと振り返る。

2020年5月といえば、新型コロナウイルスの影響が深刻化し、初めて発表された緊急事態宣言の最中。未曽有の事態に飲食業界は大打撃を受け、その影響は生産者にも及んだ。西崎ファームでは、売上げが一時半分以下になったという。

実はこのとき、コロナ禍と同時に人手不足にも悩まされていた。「年齢的に厳しいけれど先代がいるうちは」と長い間務めてきたスタッフ数名が、清水さんへの代替わりのタイミングで辞めてしまったのだ。

会社の中では清水さんが一番年下。だからといって遠慮はせず、伝えるべきことはきちんと伝え、時には冗談も言う。その中でも相手を尊重することを忘れない。スタッフとのやりとりを見ていて、そんな姿が垣間見えた。


二重の危機を乗り切るため、ネットショップの開設や産直通販サイトへの登録を行い、個人のお客様への販売を強化。残ったスタッフとともに必死に農場を切り盛りし、1日1日をなんとかつないできたという。

2021年1月、そこへ追い打ちをかけるようにやってきたのが、近隣地域でまん延した鳥インフルエンザ。その影響で、2週間の出荷停止を余儀なくされたこともあった。

代替わりという大きな節目から、襟を正す間もなくやってきた試練。それでも乗り越えられたのは、自身が抱く農業への情熱と、支えてくれたスタッフたちの存在、そしてお客様からの言葉があったから。

「私が引き継いだとき、お客様からは『跡継ぎができてよかったね』と期待の言葉をいただき、変わらずお付き合いをさせていただいています。コロナの影響で離れたお客様も、1件もありません。鳥インフルエンザの際も、『早く通常通りになるのを待っています』と応援してくれました。これは先代が築き上げてきた強みでもありますし、長年西崎ファームから買っていて、『他の品質だと満足できないから、お宅からしか買いませんよ』と言ってくださるお客様が非常に多いんです。すごくありがたいことですよね」 

危機を乗り越えながら経営を続け、2021年9月現在、6名のスタッフとともに現場を動かしている。人を増やすことで、できることも増えていったそう。

例えば、パソコンを使った事務作業。苦手な清水さんの代わりに得意なスタッフが担当してくれて、自動計算できるスプレッドシートを作成してくれた。事務処理が一気に早くなり、清水さんも「感動しましたね!」と声を弾ませる。

SNSや通販サイトにいただくコメントへの返信も、Web上のコミュニケーションが得意なスタッフが行っている。購入してくれたお客様に、インターネットを介して、感謝の気持ちや食べ方の提案、補足の説明などを、まるで会話しているかのように伝えているのだそう。

オンラインショップで販売されている『むね肉のロースト(かすみ鴨)』。食べるときは、解凍してフライパンで焼くだけ。焼いて出た脂もおいしい!とお客様から大評判。SNSのコメントには「その脂をキノコに吸わせて余すことなく!」とスタッフが返信し、Web上でもお客様とのコミュニケーションが生まれている。


有機農業の経験値と生産技術を持っている人や、食育に興味がある人も社員に迎えており、会社としてできることの幅は広がっている。

「自分に無い考え方を持つ人に巡り合えました。ただ単に働くのではなく、やりたいことを持って参加してくれるのは嬉しいですね。人を増やすことで、短期的には資金繰りが難しくなりますが、長期的にはプラスに転じられると思うので、みんなと力を合わせて、どんどん良い方向に進んでいきたいですね」

生産者としての飽くなき挑戦

チームの力を活かしながら、鴨肉のよりよい品質への追求に、さらなるエネルギーを注ぐ。西崎ファームの鴨肉の特徴は、パサつかずしっとりしていること。それを見極めるポイントとしては肉の色と手触り。西崎ファームでは、飼育から加工まで一貫して行っているので、出荷する肉の品質を常に自分たちで観察することができる。これは、西崎ファームの強みの一つでもある。

「精肉加工を自分たちで行うので、養殖から屠殺、そして加工の直前までの行程に対して、フィードバックができるんです。いま出荷している鴨がどんな状態なのかを自分たちでチェックし、良い場合は何が良くてこうなったのか、悪い場合は何が悪かったのかを考えて養鴨に活かせる。人的に変えられない要素もありますが、変えられるものの中でベストを尽くします」

注文を頂いてから捕獲し、屠殺。市場や仲介業者を通さないため、最短の時間で鮮度抜群の鴨肉を届けられる。


西崎ファームの鴨肉の価値を伝えるという面では、東京からの距離感が利点になっている。西崎ファームがあるかすみがうら市は、東京から車で約1時間半の距離にあるため、都内からも足を運びやすい。そのため、実際に東京のシェフたちに、養鴨場を見に来てもらうこともあるのだそう。

「我々がお客様のところに鴨肉を持って行っても、大きなインパクトを与えるのは難しい。だからこそ、私たちの養鴨場を見ていただくのが一番の営業ですね」

品質は期待を裏切れない。だからこそ、箱を開けて肉を見るたびに「なんだこれは!」と感動してもらえるような高品質な肉を目指し続けている。

「西崎ファームのお客様の多くはプロの料理人。フィードバックもプロです。肉の質が落ちているとご指摘もいただきます。だからこそ『今回も質がいいね!』『この肉でこんな料理を作りたい!』と言われたら最高ですね」

鴨肉への想いを共有できる料理人の方々や、西崎さんの代から支えてくださった方々、代替わりで新たなスタートをきった西崎ファームを応援してくれている方々、そして唯一無二の鴨肉を提供する養鴨場を築き上げた先代に感謝しながら、清水さんたちは今日も試行錯誤を続ける。

「継業」もチャレンジの選択肢のひとつに

思い描く農業を模索する中で「継業」という道を選び、今に至る清水さん。継業という選択を、「今動いている事業を引き継ぎ、自分の事業にしていくのは、とても良い手段」と考えているそう。

「農業に限らず、魅力的なもの・競争力のあるものを作っているのに、跡継ぎがいない会社や事業はたくさんあると思います。地元に帰りたい人や、1から事業を始めるのが難しい分野へのチャレンジを考えている人が、事業継承という選択肢を持ったら面白いですし、上手く継承されれば、中小企業がなくならずに済むのではないかと思います。事業継承に目を向けてみるのはチャレンジの在り方の一つかもしれませんね」

後継者不足問題の解消や、第三者ならではの視点で地域資源の価値を再定義する役割もあることから、継業は地方において期待が高まる取り組みの一つでもある。継業のマッチングをしている地域や銀行もあるのだそう。

地縁・血縁にとらわれない形で事業を継承し、先代の意志を受け継ぎながら、「夢の実現」と「自身の抱くミッション」への挑戦を続ける清水さん。その姿は、自分で事業にチャレンジしたいと考える人たちの視野を広げるきっかけとなるだろう。

清水さんの挑戦は始まったばかり。清水さんが農業従事者としてどうなっていくのか、西崎ファームがどうなっていくか、今後の展開も目が離せない。