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茨城のヒト・コト・バ PEOPLE, THINGS, SPOTS OF IBARAKI
ダイナモデザイン
岩田直樹さん
「一緒に話せるのが嬉しい」 耳が聴こえないデザイナーの、コミュニケーションへの想い
教育機関や研究機関を数多く有するつくば市には、国内のみならず国外からも、数多くの学生や研究者が集まる。最先端の研究を行う施設が多いだけでなく、スタートアップや学生起業の動きも多く、新しいことや挑戦への関心が高い。
さらに、市内には聴覚・視覚に障がいを持つ人を対象とした日本国内唯一の国立大学、筑波技術大学がある。目が見えない人、耳が聞こえない人も暮らすつくば市からは、地域が持つ多様性への関心も伺える。
そんなつくば市を拠点にしている岩田直樹(いわた・なおき)さんは、「耳の聴こえないデザイナー」として活躍中。「2021年デジタルの日」のロゴ制作者としても全国から注目される方だ。
岩田さんは耳が聞こえないが、手話、文章、読話を用いて、相手の聞こえる・聞こえないに関わらず朗らかにコミュニケーションをとってくれる。今回は、岩田さんが向き合ってきた、デザインとコミュニケーションについて話を伺った。
朗らかに、丁寧に、人と向き合う
つくば市でデザイナーとして活躍中の岩田さんは、生まれつき耳が聞こえない。両耳とも聴力レベル100デシベルの重度難聴。補聴器をつけて生活しているが、「音が鳴っているのは分かるけど、なんの音かは分からない」とのこと。
岩田さんは意思疎通の手段の一つに、日本手話を用いている。その特徴の一つが、手、指、腕、肩、そして目、眉毛、舌、口など動かしながら言葉を表していくこと。日本手話で話すときは、顔も体も豊かに動く。フレンドリーな人柄も重なってか、岩田さんが手話で話す様子はとても活き活きと感じる。
そして、手話を使えない人に対しても、文章や読話で朗らかにコミュニケーションをとる。その姿勢は、日々の業務で、手話が分からない「聞こえる人」と一緒に仕事を進めるときにも現れる。
仕事に欠かせない打ち合わせでは、「聞こえない」ことを相手に伝えた上で、メールやチャットをはじめとした文章を中心にしたコミュニケーションを図る。やり取りが煩雑にならないよう、伝えたいことを図と文章に落とし込み、丁寧に提案資料をまとめていくそう。
生まれつき視覚に頼ってきたこともあり、「見えるもの」に対して敏感で、視覚情報からの分析も強みの一つ。対面での打ち合わせでは、資料だけでなく、言葉の奥にあるお客様の反応や表情も捉えるそうだ。
そんな、視覚を活かしたコミュニケーションでお客様の中にある想いを汲み取り、デザイナーとして形あるデザインで現してゆく。
また、岩田さんは大学時代から地域コミュニティやイベントにも積極的に関わってきた。休日は、県内外のサウナに足を伸ばし、居合わせた人たちとサウナ談義に花を咲かせることもあるそう。
岩田さんのデザイナーの実力と、交友関係の豊かさを表すのが、「2021年デジタルの日」のロゴ制作デザイナーに選ばれたことだろう。
著名なクリエイターも多く推薦された中、岩田さんはつくば市や故郷の和歌山県、その他各地で知り合った人たちからたくさんの推薦をうけ、ロゴ制作者として抜擢。制作期間を経て、2021年7月には岩田さんがデザインしたロゴが全国に発表。「2021年デジタルの日」のロゴとともに、メディアで岩田さんの姿を目にした方も多いはずだ。
和歌山からつくばへ。デザインを学びに進学
岩田さんの人柄をシンプルに言い表すなら、好奇心旺盛でポジティブ。公私ともに「耳が聴こえないデザイナー」として活動をつづけている。
「耳が聞こえなかったとしても、僕たちが活躍することで、後の世代にとってのロールモデルになったらいいなと思います」
そう語る岩田さんは、子どもの時代から絵を描いたりものを作ったりすることが好きだったそう。作品を作っては人に見せて、褒めてもらえるのがうれしかったと、当時を振り返る。小学校は聞こえる人、聞こえない人がともに学ぶ学校に通学。目立ちたがり屋で、友達と一緒にはしゃいでいることも多かったそうだ。
デザイナーを意識し始めたのは、中学生のころ。当時発売したデザイン性の高い携帯電話に衝撃を受けたことがきっかけだ。もともと作ることが好きだったこともあり、高校進学のころには「将来はデザイナーになろう」と意識するようになったそうだ。
高校卒業後、デザイナーを目指すべく進学したのは、筑波技術大学。岩田さんは総合デザイン学科を専攻した。デザインを学べる大学は国内に数多くあるが、筑波技術大学は聞こえない人、見えない人に対してきちんとコミュニケーションをとり情報を伝える体制が整っている。岩田さんにとっても、それがこの大学に進学する大きな決め手となった。
街に飛び込むのは、楽しいことが起こりそうだから
進学後は、キャンパス内にある学生寮で1人暮らしを送っていた。大学内では、耳が聞こえなくても情報取得がスムーズに行えるので、学生生活に不安は少ない。
それでも岩田さんは、学外のコミュニティやプロジェクトにも積極的に飛び込んでいった。中学、高校とろう学校で過ごしてきた岩田さんにとって、久々の「聞こえる人」が多い世界。もちろん戸惑いもあったが、岩田さんの中では、不安より好奇心が勝っていたそう。
「そもそも、ずっと同じ環境にいるのが苦手なんですよね。それに、いろいろな挑戦をしたほうが自分も成長できるし、楽しいことも起こるはず。だから、いろいろなものに参加したくなってしまうんです」
学外コミュニティへの関わりしろは、やはりデザイン。
デザインは、さまざまな場面で必要とされる。だからこそ岩田さんは、自分の武器である「グラフィックデザイン」の力をきっかけに、参加の糸口を見つけていった。もちろん、街の中にあるコミュニティは聞こえる人が大多数を締めていたが、デザインスキルでいろいろなものを作れることを伝えながら、輪の中に入っていった。
実際に飛び込んでみると、自身の「聞こえない」ことも、理解してくれたり、興味を持ってくれたり、一緒に何かやってみようと声をかけてくれる人が多い印象もあったそう。岩田さん自身、頼ってもらえるのはうれしいし、デザインを作りながらプロジェクトに貢献していくことにやりがいを感じていた。
「僕にとっては会話できること自体が特別。だから、一緒に話せただけでもうれしかったです。正直、会話についていけず頷くことしかできなかったこともありました。でも『ここでコミュニケーションを諦めると、自分も聞こえる人を避けることになる』と思ったんです。だから、できるだけタイミングを見つけて質問したり、何度も聞き返しながらしっかり会話に参加していきました。これは、聞こえる人が多いコミュニティに入ったからこその気づきですね」
デザインには、役割がある
自主的にデザイン制作を行っていたが、もちろん大学での学びはデザイナーの基礎固めにつながっている。特に、筑波技術大学の「PBL型授業」は、岩田さんの考える「デザインの役割」に大きな影響を与えている。
PBL型授業とは、実践を通して行う問題解決型授業。
岩田さんの受講内容は、つくば市内の製菓店と筑波技術大学のコラボレーション企画。教員、製菓店店主の主導の元、筑波技術大学事務(健聴者)、聴覚障がい学生、視覚障がい学生が複数のチームに分かれて進行される。製菓店の協力の下、筑波技術大学オリジナル商品を開発するプロジェクトだ。
そして岩田さんのチームの作品は、機能とコスト感覚を評価され、最終的に実際に製造されることになり、作られたお菓子は学内を中心に使用された。
この授業で岩田さんが見出したのは、「デザインには、問題を解決する役割がある」こと。
「この授業では、『目の前にある課題をどう解決するか』を考える経験ができました。デザインを学び始めたころは、グラフィックでわかりやすく伝えることが大事だと思っていました。でも、相手が機能や情報をキャッチできない状況で、その問題を解決して上手く届けていくことも、デザインの大切な役割。デザインの仕事をした実感を初めて持てたのも、このときでしたね」
人と向き合った先にある「一緒に話ができてよかった」という気持ち
聞こえる人、聞こえない人がともに手話と筆談だけでコミュニケーションをとり、お互いが理解しあうきっかけをつくるイベント「ろうちょ~会」にも、運営スタッフとして学生時代から参加。このイベントは、東京都内、千葉県、そしてつくば市内でも開催されてきた。つくばでの開催時は、岩田さん自身も、手話に親しむ交流を企画している。
岩田さんにとっても、聞こえる人と聞こえない人の違いをじっくりと話すのは、ろうちょ~会が初めて。聞こえるかどうかの違いはあれど、趣味や仕事など共通の話題を持っていれば一緒に盛り上がれる、という発見もあったそう。
「聞こえる人、聞こえない人、お互いどんなふうにコミュニケーションをとったらいいか分からない。やっぱり、お互いを知らないと不安なままだと思うんですよね。だからこそ、それをつなぐ機会を作って、信頼関係を築きながら、いい関係性を続けられるようにしていきたいです」
また、聴覚のみにとらわれず、いわゆるマイノリティと言われる人たちが積極的に声を上げていくことも大切と岩田さんは考える。問題点や解決案を伝え、みんなで考えていくことで、少しずつ社会を良い方向に向かわせられるからだ。
ただ、聞こえる人たちと付き合うのが嫌になってしまった時期もあったそう。
たとえば、会議では自分ひとりの状況がつかめず取り残されてしまう事もあった。仲間はずれのような状況になり、「自分は手話ができる人たちとだけ付き合えばいい」と思うこともあったほど。
しかしその一方で、「いろいろな人と関わることで、自分たちのことを知ってもらえるはず」「耳が聞こえない自分たちが声を上げることで、世の中も変化していくはず」という気持ちも抱き続けてきた。
そして何より、聞こえる人たちとのコミュニケーションを諦めなかったのは、相手と会話できることへのうれしさが岩田さんの中にあったから。
「聞こえる人と話すときは、我慢や苦しさも生じます。でも、一緒に話ができてよかったと思えば、そんな気持ちも全部清算できます。僕のことを理解して話をしてくれる人にもたくさん出会えたので、もしかしたら僕は運がいいのかもしれませんね」
そんな気持ちの現れのように、趣味の一つであるサウナでは、現地で出会った人たちとの交流も積極的。初対面同士でも、サウナ談義で盛り上がるそう。もちろん、手話ができない人と出会うことが圧倒的に多い。はじめのうちは、岩田さんが読話で意思疎通を図ってゆく。すると次第に相手も、ジェスチャーや表情を使いながら話すようになってくれるそうだ。
障がいに関係なく楽しめる世界を作りたい
岩田さんの活躍や交流の背景には、つくばの街がもつ雰囲気も、少なからず影響しているかもしれない。つくば市は、教育機関や研究機関も多く、多種多様な人が訪れる新しい街。だからこそ、新しい価値観やこれまで出会わなかった人たちを受け入れてくれる雰囲気があるのでは、と岩田さんは話す。
大学卒業後も、故郷の和歌山や東京での暮らしを選ばず、つくばに留まったのは、この街でたくさんのつながりを育んできたから。
「積極的にチャレンジする人、聞こえない人たちを理解してくれる人、一緒に何かやってみようと声をかけてくれる人。つくばを中心に、いろいろな人と出会ってきました。みんなとの間に生まれたつながりから離れてしまうのは、もったいないですしね」
いま岩田さんが抱いている想いは、「障がいに関係なく楽しめる世の中を作ること」。つくばでの人のつながりや、ろうちょ~会の運営、そしてデザイナーとしての活躍は、そんな世界に少しずつ近づいていくためのアクションではないだろうか。
「せっかく障がい者という立場に自分がいるから、それを活かせたらと思います。『障がい者』と聞くと、ネガティブな印象を持たれがち。それでも、人それぞれが持っている魅力を上手く磨き、底に眠っている価値を見出して、人々に気づいてもらう。そしてそれを世の中に結びつけていく。耳が聴こえないデザイナーとして、それが僕の役割かもしれません」
好奇心に従いさまざまな場所に足を運び、たくさんの人と出会ってきた岩田さん。岩田さんのアクションや活躍が、出会った人たちに、聞こえない人をはじめマイノリティとされる人々への気付きや考えるきっかけを生み出していたはずだ。
コミュニケーションの戸惑いもある中、「一緒に話ができるのがうれしい」という想いで人と向き合ってきた岩田さん自身も、対話の中で気付かされてきたことも多かっただろう。
その小さな積み重ねが、障がいに関係なく楽しめる世界の実現に繋がってゆくのかもしれない。